第2話 おじさんのおでかけ

「しょーくんはどれがほしい?」


 流行りの曲とやらが流れる比較的静かな本屋、ベビーカーの中を覗き込んでそう囁くママンの声が俺の鼓膜を刺激する。

 うぅ〜ん、それにしても最近流行りの曲っていうのは、いまいちワイには伝わらんなぁ…。もっとこう、ググッと熱い魂の鼓動を感じさせてくれるようなもんはないんやろか。

 ママンの話などそっちのけで、店内で流されている曲に耳を傾ける。

 もう今の若者は酸性黒桜とかオルレアンの乙女とかは聴いてへんのやろか…?


「ママの話聞いてた?…やっぱり八寸法師とか読んでみたい?」


 ママンの声が俺を現実へ引き戻した。

 はぁ…八寸法師って、そんな幼い子どもが読むようなもんをこのワイが読むと思うかぁ?ワイみたいな大人にはなぁ、それ相応の、上品な書物がお似合いなんや!

 ママンが手に取った絵本を押し退け、御目当ての書物があるコーナーを指差してやった。


「え、しょーくんこんなの読みたいの…?もう、パパの影響なのかなぁ…」


 料理のコーナーにある、とある一冊の本——そう、世界の酒とおつまみ図鑑‼︎

 この間、ネットサーフィンしてたら見つけたんだよなぁ。会いたかったで、マイハニー!

 ベビーカーの中から手を伸ばしてみるも、愛しき彼女には一切届かない。


「ん〜、しょーくんにはまだ早いかな。もっと大きくなってからにしようね?」

 

 ママン、ママン!この前盗んだパンティー返すからそれちょうだい!この前勝手にお菓子食べたのも謝るから!これからはちゃんと検索履歴消すからぁぁぁ‼︎


「…もう、暴れないの。めっ、だよ」

「…ケッ!」

「しょーくんはもっと楽しい絵本買いましょうね〜」


 今日のママンは全然優しくない!こんなんママンやなくておかあサタンや!悪魔や!待っとれよ、いつか迎えに来るからな!お前もこんな狭い店やなくてもっと広い世界見たいやろ!

 楽しそうに小さく鼻歌を歌いながらママンはベビーカーを押して、もう一度絵本のコーナーまだ戻ってきた。


「ほら、今度こそどれがいい?」


 もう今回は絵本で手を打つしかないようやな…。ワイも大人や。ここはママンのためにも何か探して喜んどるふりしてあげなな。

 ただ毎晩読み聞かされるかもしれへん本やからな、慎重に選ばなアカン。できれば性悪王女様が騙されて裸で街を出歩いて、鼻の下を伸ばした市民たちに視姦されるような物語があったらええんやが…。そんなおっちゃん向けの本はここには無いんか?

 上の段から順番に、端から端、また端から端へと何度も繰り返して探し続けていると、一冊だけ明らかにジャンルや対象の違うものが混ざっていることに気がついた。

 どこの不届き者がこんな所に入れたのかは知らんが、ワイは几帳面な性格でな。こういうのは気になってまうねん。だからと言って片付けてはい終わり、で済ませるのも違うと思う。ここで出会ったのもなんかの縁や、買っていったろ。


「ママ!」

「ん、欲しいの決まった?どれどれ——」


 これから世話になるで!絵本コーナーに迷い込んだ子猫ちゃんよぉ!

 ママンはその黒の背表紙をした薄い本をスッと取り出し、手に持った。


「……ん⁉︎」


 どうしたん、ママン。そないに頬っぺた赤くして、熱でもあるんとちゃうの?それとも、その十八禁の本に何か問題でもございましたか?

 しばらくの間硬直し続けた彼女は、ゆっくりと表紙を開き、より一層頬を赤らめた。

 え、ママン⁉︎どないしたん、ちょっと興味あったんですか⁉︎隅っこだけ、隅っこだけでいいからワイにも見せてくれ…!その作者のイラストとストーリーめちゃくちゃ好みやねん!


「…こほん、こ、この本はしゅーくんにはまだ難しいかなぁ〜…?あ、そうだ!やっぱり苺太郎なんてどうかな、ママこのお話大好きなんだ〜!」


 そんなことを言いながらママンはその場から逃げるかのようにレジへ向かい、お会計を済ませた。もちろん、一度もその薄い本の中身を見せてくれることは無かった。

 なぁ、ママン?隅っこだけでも見せてくれたらよかったやん。ワイなんか悪いことしたかなぁ…?そりゃあパンティー盗むことくらいあるけどなぁ、それくらいちょっとしたイタズラとして許してくれても———

 ちらりとママンのほうへ視線をやると、彼女は相変わらず頬や耳を赤くしていた。

 ま、ええ反応も見れたし、今日は許したるわ。もちろん、パパンにはこのこと内緒にしといたる。……やから、今からワイがお漏らしすることも内緒にしといてくれや…。

 身体を震わせながら全身から力を抜き、溜まったものを放出した。


「えぇ⁉︎しょーくん急にどうしたの⁉︎」

「ままぁ…」


 すまん、前世からなぜか本屋に行くとトイレ行きたくなるんや…。あぁ…気持ちえぇ…。

 キラリと輝く一粒の涙が俺の頬をゆっくりと落ちるように伝っていくのを感じた。

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