アブノーマル 第5話 事件2

 今日は毎週出演しているレギュラー番組の収録のため、テレビ局に来ている。収録は夕方からだったが、打ち合わせ、メイク等も合わせて、成美は昼過ぎにはテレビ局に入っていた。メイクをされながら、成美は大きくあくびをした。最近よく眠れていないようだ。昨日もひどい夢を見た気がしていたし、頭も痛い。メイク室のテレビをつけると、また自分の顔が大きく映し出されていた。先日撮った、今度は歯磨き粉のCMだ。歯磨き粉とヴァイオリニストはなんの関係があるのだ、と思い、成美はため息をついた。

「続いてのニュースです。東京都港区にある安曇圭吾あずみけいごさん宅で、二人の遺体が発見されました」

 成美は耳を疑った。また聞き間違いだろうか。

「発見された遺体は、安曇圭吾さん三十七歳、妻の安曇凪さん三十五歳で、夫の圭吾さんはフリーランスミュージシャン、妻の凪さんは都内の管弦楽団に勤めていました。警察は、殺人事件とみて、捜査を続けていますが、先日荻窪で起きた殺人事件と殺害方法が酷似していることから、同一犯の犯行と見て、捜査を進めています」

「凪ちゃん……?」

 成美は今起こっている事が夢なのかと思った。その日は何事もなかったかのように、収録に参加した。

 収録が終わると、マネージャーの車に乗り込んだ。

「成美さん、大丈夫ですか?」

「……」その後成美は、家に着くまで何も声を発さなかった。

 

 玄関を開けると、すでに史郎が帰ってきているようだった。

「おかえり」

「……」

 成美は何も答える事なく、リビングのテレビをつける。ニュース番組は、凪夫婦の事件をさっそく大きく報じていた。凪夫婦の事件は、悠理の事件より、より残忍な殺され方をしていたらしく、しかも夫婦二人とも殺されていたので、悠理の事件より、さらに大きく報じられていた。犯人はまだ捕まっていないらしい。

「成美? 大丈夫か?」史郎が成美に尋ねた。

「凪ちゃん……友達なの……」

「え⁉︎ この殺された人……?」

「そう……親友だったの。高校の時から。凪ちゃんだけが私の友達だった……」

 成美はまだ凪の死を受け入れられていないようだった。


 凪と安曇先輩の葬式は、大々的に行われた。高校や大学の同期もたくさん来ていた。大学の教授たちも、凪のオーケストラの同僚たちも、安曇先輩の仕事仲間も、東京の音楽業界に関わる人たちが、総出で集まっていた。

「凪が……死ぬなんて……信じられない……」

 高校の時からの同期は、化粧をした顔もぐちゃぐちゃになるくらい泣き崩れていた。凪は人望があった。たくさんの人たちが凪の死を嘆いている。

 成美は涙を流す事が出来なかった。遺影に写る凪の顔は、死んだ事なんて、信じられないくらいに笑っていた。明日もあさっても、凪はオーボエを吹いて日本中の人を笑顔にしていったに違いない。こんなにたくさんの人たちが凪のために涙を流している。成美は、凪の死は、日本クラシック界の大きな損失だと思った。


 それからの成美は、魂が抜けた抜け殻のようになってしまった。仕事はいつも通りこなしていた。しかし、演奏にもなかなか集中できず、収録や本番でミスをする事も続き、業界内での成美の評判は、落ちていくばっかりだった。凪がいなくなって、自分の事を受け入れてくれる、理解してくれる人は、この世に一人もいないような気がした。


 成美は部屋の隅にあるチェストの引き出しの中から、以前誕生日に凪からもらったプレゼントと手紙の数々を眺めていた。すると、それと同時にオーボエのリードが一つ落ちた。こんなものまで凪にもらっていたのだろうか……記憶にはないものの、成美はこんなにたくさん、記憶に残らないほど、自分の引き出しは凪で溢れているのだという事に気付いた。

 成美は隣の本棚から、高校の卒業アルバムを引き出し、開いた。そこには、二人で手を組みながらピースサインを向ける成美と凪の姿がある。二人とも満面の笑顔でカメラにバッチリと目線を向けている。一年生の時の入学式、生徒会長として、新入生にスピーチをする安曇先輩の姿も写っていた。成美は凪だけでなく、安曇先輩もいまやこの世にいない事を思い出した。安曇先輩は、実は成美が初めて恋をした人物でもある。人見知りがちで、年上の人も苦手だった成美に優しく声をかけてくれたのは、安曇先輩だった。安曇先輩も凪もこの世にいないと思うと、成美は世界に一人残されてしまった気持ちになった。もう涙もでてこない。人間は涙が出るうちは、まだ世界に絶望していない証拠だ。と成美は思った。

 卒業アルバムを閉じ、リビングに向かったところで、インターホンが鳴った。

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