私より知っている 第7話 試合

 日曜日はすぐにきた。あれから、学校で咲良に何か危害を加える者は一人もいなかったが、話しかける者も一人も現れなかった。無論、咲良から誰かに話しかけることもない。

 咲良は一人、バスに乗って朝陽の試合に向かった。片手にお弁当は持っていない。こんな空っぽの自分に料理なんてできないと感じたからだ。テニスコートには、ベンチで準備している朝陽の姿がある。向かいのコートには明らかに朝日よりもずっと大柄な選手がスマッシュの練習をしていた。とても重そうなボールが飛んできそうだ。試合が始まる少し前に、朝陽は観客席に座る咲良の姿を確認すると、少しだけ、広角を横に引っ張った。

 咲良は、その朝陽の姿を見た瞬間、突然自分がなぜここにいるのかわからなくなってしまった。朝陽は、ボールを高くあげ、サーブを打った。その姿を見て、咲良は心がときめかなかった。あんなに好きだと思っていたサニー先輩の名前も、覚えていなかった。その時咲良はスマートフォンの中にいる、サニー先輩のことを追っていたのであって、目の前にいる室田朝陽のことを目で追っていたわけではなかったことに気づいた。スマートフォンというつながりがなければ、自分には何も残らないことも。


「ごめん、カッコ悪いところ見せちゃったかな」

「いいえ、そんなことないです、朝陽先輩、素敵でした」

 また、特に思ってもいないことを言う咲良の悪い癖がでた。朝陽は、試合でボロ負けした。全く歯が立っていないようだったのだ。相手は、全国大会常連の強者。朝陽は都大会も突破したことがなかった。

「……今日の試合で勝てたら……話したいことがあったんだけどな……」

「……?」

 朝陽は顔を赤くして、言うべきかどうか、迷っているようだったのだ。

「今日は、帰ります」

 咲良はこれ以上朝陽の姿を見ていても仕方ないと思い、体を朝陽と反対側に翻すと、朝陽が咲良の手首を掴んだ。

「ちょっと待って。以前僕のこと好きって、言ってくれたでしょう? あの返事をしようと思っていたんだ」

「……え?」

 咲良が振り返ると、真っ直ぐと咲良の目を真剣な眼差しで見つめている朝陽がいた。あんなに試合でボロ負けしたのに、そんな強い眼差しを向けることができるなんて、この人が本気で何かを伝えようとしていることに、咲良は驚いた。その眼差しを咲良も真っ直ぐと見つめ返したところで、今朝陽が放った言葉にルイて頭を動かす。そんなことを本当に言ったのだろうか。直接いうわけがない。言うとしたらチャットを通してだ。もしそれが本当ならば、スマホという小さな機械を手にしただけで、自分は随分と気が大きくなれるものなのだな、と咲良は思った。

「あの時は、すぐ返事できなかったけど、あの好きって言ってくれて気持ちは、まだ有効?」

「朝陽先輩……ごめんなさい……私、覚えていないんです……」

「え……そうなの?……」

「それだけじゃなくて、全てを。私スマホやめて、そしたら何も覚えていないんです。友達の顔も、今までの思い出も、先輩を好きだった気持ちも」

 咲良は朝陽に本当の気持ちを打ち明けた。自分が追いかけていたのは、この小さな箱の中にいた朝日であって、今自分の目の前にいる朝日ではなかったことを。そして、この高校生活がどんなものだったのかを思い出せないことも。

 朝陽は、咲良の言葉がなかなか理解できないでいるようで、少し俯いたり、咲良の顔を見たりしていたが、何も答えることはできなかった。咲良は軽く一例をして、その場をさろうと後ろを振り返ると、「咲良ちゃん」と朝陽が呼び止めたところで、朝陽もコーチから呼ばれてしまった。咲良が朝陽の方を振り返ることはなかった。




 帰りのバスに座ると、咲良はまたイヤホンを耳につけて、ラッドウィンプスの『携帯電話』を流した。少し古い歌だが、この歌詞を聴いていると、自分のことのようにも感じられたし、はたまた自分とは全く違うようにも感じられた。

 バスの中には一番前に座っているご老人と、後ろの方に座っている桜しかいなかった。四分三十六秒の『携帯電話』が終わると、次のトラックに進みそうになったところで、咲良はスマホを消した。

 その後バスに揺られる残り二十分間の中で、自分の高校の二年間と、朝陽のことを振り返ろうとしてみた。朝陽はもうすぐ卒業する。推薦入試で、既に大学は決まっていて、部活をやる余裕もあったようだ。自分は、卒業式が終わって春休みが終わったら三年生になり、受験生となり、大学へ行く。こんなにも空っぽな自分に何ができるのだろうか。今までスマホの画面以外に何をみてきたのだろう。咲良には、この二年間の思い出が、全て夢の中の出来事だったような気がした。朝日への気持ちも、こんな何も残らない高校生活を過ごしてきてしまって、これからの未来が咲良には全く見える気がしなかった。これからつくつ思い出も、自分の中には残らないのだろうか。

 バスの中から見える夕日で、目頭が熱くなるかと思ったところで、自分の停留所についてしまった。

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