絶対音痴 第6話 後悔
次の日、悠馬が出社すると、周りは異様な雰囲気に包まれていた。いつも仲良くしている同僚も、悠馬に声をかけない。
「浅井、部長が呼んでいる」
課長からの指示で、悠馬は部長室に向かった。すでに、心の準備をしているつもりだったが、それでも、悠馬の心臓は飛び出してしまいそうだった。
「浅井くん、なぜ呼び出されているのか、わかっているかな?」
「……は、はい……検討は……ついています」
「ならば、話しは早い。うちの社の規定で、副業が禁止な事は知っているね? おまけに、この有様だ。君には自己都合退職をしてもらいたいと思っている」
悠馬は、部長の言葉に喉が詰まったように、言葉が出なかった。汗が止まらない。少しして、なんとか落ち着きを取り戻し、声を出す事ができた。
「ちょっと、待ってください。マイチューブのアカウントはすでに削除しました。今の所、訴訟を起こされているような事もありません!」
「今の所、ということは、これからはあるかもしれないのだろう」
「でも、私は、誹謗中傷したつもりは……」
「会社のイメージが悪くなっては困る。これは、君一人のために、会社がこうむる損害ではないと思わないか?」
「……」悠馬は、少しの間言葉が出なかった。しかし、もうすでに、悠馬に弁明の余地はない。悠馬は小さく部長の言葉に頷いた。
その日のうちに、退職願を書いた。これで、悠馬は家族も、仕事すらも失ってしまった。あんな小さな事で、あんな数ヶ月の出来事で、人生というのは簡単に壊れてしまう。悠馬は自宅へ帰る足取りが非常に重く感じた。もう誰も待っていないあの家に。
自宅へ着くと、悠馬は、これからの事をどうするべきか、考えなければいけない。いや、それとも、今は落ち着いて少し冷静になるべきか。何よりも、子供たちに申し訳ないことをしてしまったと思っていた。どうしてこんな事になった。ああ、あの日、蛇のような男の元で手術を受けてしまったことが、全ての発端だ。しかし、それすらも自分の罪だというように感じた。悠馬はこの日、激しい罪悪感に苛まされた。
夜になるまで、その場を動く事はできなかった。まだスーツのまま、玄関に座っている。いや、しかし、そろそろ動かなくては、そうして悠馬はリビングまで足を進めた。リビングについたところで、インターホンが鳴った。花が帰ってきたのだろうか、悠馬はもう一度、数メートルもないであろう玄関まで走っていき、覗き穴から外を覗いた。
花とは似ても似つかない恐ろしい形相の男が立っている。悠馬は血の気が引いた。この男は誰なんだ。ドアを開ける事が出来ない。
「浅井さん、いらっしゃいませんか」
男はドアをノックしている。悠馬は記憶をものすごい勢いで辿り、この男を探した。どこかで見た事のある顔であるような気がする。
そうだ! あのビーフシチューの店の店主だ! そのビーフシチューを再現した動画も投稿していた。あの奇妙な味に添加物の疑いをかけた。まさか……殺しに来たのか……あの動画を配信された事を恨んで……なぜこの家を知っているんだ、なぜ俺の名前を知っている。悠馬にとてつもない恐怖が襲ってきた。絶対に殺される……! しかし、ここは四階だ、ベランダから逃げる事はできない。どうしたらいい……! 覗き穴を見ると、まだあの男がものすごい形相で立っている。早く……早くどっかに行ってくれ‼︎ 悠馬は心の中で、強く祈った。悠馬とその男の距離は、たった一枚の、この立板だけであった。
息を潜めながら覗き穴を覗いていると、十分ほど経ったのち、男は諦めたのか、その場を去っていくのが見えた。少しずつ心臓の鼓動が落ち着いてきているのを感じた。ようやく冷静になれたところで、ドアを開けると、あの男が突然悠馬の腕を強く掴んだ。
「うわああぁあぁぁ‼︎」
「浅井さん! 浅井さん! 落ち着いてください!」
「あんた、誰なんだ‼︎」
「私は、アオイケ亭の店主です、あなたにお話しがあります」
「こ……ころしに来たんじゃ……」
「何言ってるんですか! そんな事しませんよ、お話しがあるだけです!」
悠馬は腰が抜けたように、その場に崩れ落ちた。
「浅井さん、大丈夫ですか?」
「はい……すみません……」
悠馬は、その男に支えてもらう形で、家の中に入った。
「お茶も入れずにすみません」悠馬は、本当に腰が抜けてしまったようだ。椅子に座ると、また動けなくなってしまった。
「いいえ、おかまいなく、私はアオイケ亭の店主をしておりました、
「もしかして、あのビーフシチューの……」
「はい、その通りです。先日店を閉めたところです」
「その節は、本当に申し訳ございませんでした!」
悠馬は、椅子から転げ落ちるように床に頭をつけ、土下座をして謝った。史郎はゆっくりとその事情を話した。
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