獏に奪われた 第7話 異常
「社長! トラブルです!」
秘書が晴人の社長室に、焦った声をして入ってきた。晴人の会社は、なんだかんだいって、まだまだ中小のベンチャー企業だ。すべてのトラブルの責任も、もちろん自分で取らなくてはならない。
「明日納品予定で発注していた、カルテインからの依頼なのですが、発注ミスがあったそうで、明日納品に間に合いそうにないそうです……」
「え⁉︎」
晴人は焦った。取引先との信用問題に関わる、何よりもあってはならないミスだ。
「どんなミスをしたんだ! 納品日は絶対だ! どうにかしろ!」
珍しく声を荒げた。それからも、秘書と共にスケジュールを組み、社員や、発注先とのやり取りに追われていた。少し焦りながら話していると、どんどん集中力が落ちていった。頭もグラグラする。
「——社長? 大丈夫ですか?」
「ああ……平気だ。続けてくれ」
秘書が話している言葉が、だんだん遠のいていく。なんだろう。急に目の前の秘書の顔が、ぐるぐるとマーブル状になっていく。
「社長!」
晴人はその場に倒れてしまった。
「矢倉さん、大丈夫ですか?」
晴人は病院のベッドで目が覚め、点滴と呼吸器をつけられていた。
医者がやってくると、少し深刻な顔をしている。その日は一日検査の日だった。初めて人間ドックを受けた。晴人は、こんな事をしている場合ではないと、焦りを感じ、会社はどうなったのだろう、問題は解決したのだろうか、と気が気じゃなかった。検査が終わり、病室に戻される。今日は入院する事になってしまった。
翌日、医者に呼び出され、晴人は入院病棟から診察室へ向かった。病室に来て、医者は、深刻な顔立ちで、検査結果を話し始めた。
「すでに、重度の糖尿、高血圧で、心疾患も出ています。このままでは危険です」
晴人は耳を疑った、それは大きな病などではなく、生活習慣病の数々。しかも、すでに重度で、それこそ命の危機を脅かすようなものだった。
「あの、そんな生活習慣病ってこんなに若くして出てくるものなんですか⁉︎ 俺はまだ二十八なんですけど……」
「いや、有りえなくは無いですけど、珍しいですね……お仕事忙しいんですか? 睡眠はちゃんと取れてますか?」
「はい、睡眠は問題ありません。ショートスリーパーなもので、三時間ほどしか寝ませんけど」
晴人は、自分がショートスリーパーという事を打ち明けた。しかしもちろん手術の事は話すことが出来なかった。医者は少し驚いたような顔をして、晴人の目を一度じっと見つめて、尋ねた。
「いつからですか?」
「四年ほど前からです」
医者は今度は、完全に呆れたような顔をして、大きなため息を吐き、体ごと晴人に向き直った。
「矢倉さん。ショートスリーパーというのは、先天性の遺伝子疾患です。人口の五パーセントもいないと言われています。なりたくてなれるものではないんですよ」
晴人は唖然としていた。
「とにかく、仕事は当分休んで、睡眠をしっかり取ってください。睡眠負債は思ったより深刻ですよ。本当は、このまま今すぐ入院してもらいたいくらいですが」
「……」晴人は言葉をなくしていた。
「生活習慣病を舐めないで下さい。これ以上ひどくなれば、命の危険にさらされることになりますよ!」
医者の言葉は、もうほとんど耳には入ってこなかった。初めて、晴人はこの手術を受けた事を深く後悔した。あの時、なぜこんな簡単な事に気付かなかったのだろう。突然脳をいじって睡眠時間を強制的に短くしたところで、体がついてくるはずがない。このまま自分はもう、長時間眠ることはできないのだろうか……突然これまでに感じた事のなかった恐怖が、晴人の頭を戦慄のように走った。
会社に戻ると、社内は平穏を取り戻しているようだった。
「社長! 申し訳ありません。カルテインの対応に追われていて、しかしこちらは大丈夫です。無事納品にも間に合いました!」
秘書が笑顔で言った。そして、社員たちも笑顔だ。
「それは良かった、よく間に合ったな」
「みんなが力を合わせて、工場に手伝いに行きました」
社員たちはみんな笑っていた。晴人の会社はなんだかんだで小さな会社だ。晴人は、社員の笑顔を今初めてちゃんと見た気がした。時間があったから、余裕があったから、仕事も、いい社員も持つ事が出来た。自分は、金だけを増やしてきたのではない。社員たちの笑顔を見て、晴人は奮起し、彼らのためにも健康を疎かにせず、その日から運動も定期的に行い、食べるものにも注意を払い、健康管理を徹底する事にした。なんだかんだ言って、たかだか生活習慣病だ。大丈夫だ。そう晴人は自分に言い聞かせた。
「数値は全く変わっていませんね……むしろ少し悪くなっています」
「え⁉︎ でも食べるものにも注意してるし、運動だって定期的にしているんですけど……」
「睡眠は、充分に取ってらっしゃいますか? 矢倉さんの年齢だと、七から八時間、少なくとも六時間は取って頂かないと」
その医者の言葉に、晴人は答える事ができなかったが、小さく「はい」とだけ答えた。
こんなに頑張っていたのに、状況は変わる事なく、薬の量が増えただけだ。なんてバカバカしい事をしていたんだという気持になってきた。もうこんな事はやめよう。仕事をしている方がよっぽどマシだ。
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