獏に奪われた 第6話 敷島京太郎

 夜十一時過ぎ、晴人は京太郎の部屋を訪ねた。まだあのアパートのままだ。学生時代、ラーメン屋で会った日、京太郎の部屋は、少しずつ変化をしているものの、彼の歴史を確実に刻んでいた。たくさんの思い出で部屋中が溢れていた。

「お前、全然引っ越さないんだな」

「ああ、ここアクセスもいいし、気に入ってんだよ。家賃も安いから貯金もできるしな」

 晴人は、少し京太郎が羨ましくなった。京太郎の部屋は、古く、たいして綺麗でも、広くもなかった。晴人のタワーマンションの十分の一もあるかないかくらいの部屋だった。しかしたくさんの人に囲まれている彼の人柄が、そこにはにじみ出ていた。

「こんな遅くに悪かったな」

「いや、明日半休だから平気だよ。ラーメン屋で会ったのが、もう……四年前くらい? 時間って速いよな、でもあん時よりは元気そうで安心したよ」

「あのさ、京太郎。訊きたい事があるんだけど」

 晴人は、莉子に聞いた話を思い出していた。あの五名メンタルクリニックの患者であった京太郎の同僚は、次々と会社を辞めたと言っていた。どういう事なのか、晴人は確かめたかった。

「ああ……俺もよくわからなかったんだけどさ。ちょっと鬱っぽかった子だったんだけど、あのクリニックに行ったあと、ものすごい元気になったんだよ。仕事中も生き生きしててさ。成果も出して、雑誌の売り上げも伸びていって。でも、その後すぐに、踏切で線路に飛び出して彼女自殺しちゃったんだよ」

「え! ……自殺?」

 晴人は驚いた。会社を辞めただけではなかった。思ったよりも事は重大なようだった。

「その自殺しちゃった子が、生前、何人かに、そのクリニックを勧めてて、その受診した人達も会社やめて田舎に帰ったり、突然来なくなって行方不明になったりで。絶対になんかあるっていって、週刊誌の奴らが張り込んでたんだけど、何にも出てこないんだとよ」

「……それって、すんごいやばいんじゃないか……?」

「やばいよな……でもどうなんだろうな、本当にそのクリニックが原因なのかな。お前あの後行ってない……よな?」

「……行ってないよ」

「そうだよな! よかった! 忙しそうだったからさ、行ってないだろうとは思ったけど。俺が紹介しちゃったから心配でさ……いや、本当によかったよ」

 晴人は本当の事が言えなかった。よりにもよって、脳の手術を受けてショートスリーパーになったなんて。京太郎の同僚たちは、どんな施術を受けたのだろう。晴人は、突然怖くなった。とはいえ、自分にはいまだ、なにかしらの支障はきたしていない。京太郎の同僚たちは、本当にあの医者のせいではないのだろうか、偶然なのだろうか。

「それにしてもお前、本当に太ったなー」

 京太郎は、あの時と変わらず若々しかった。人生が充実しているように見えた。お金持ちじゃなくても、恋人がいなくても、仕事にやりがいがあって、友達がたくさんいて、毎日を楽しく過ごしている事が、何よりも素晴らしい事なのだ、と京太郎を見てると思えた。

 京太郎は、昔からそういう男だった。悩みなんてないようで、いつも明るくて前向きだった。それゆえに、人の事を思いやる余裕があるように見えた。晴人と、京太郎は学生時代、同じゼミで勉強し、同じバイトをしていた。地元も九州で近かったし、実家の状況もそうは変わらない。それなのに、どうしてこんなに差が出てしまったんだろう。晴人は、京太郎の事がいつも羨ましかった。

「まあ、そろそろ気をつけないと。不規則な生活してるからなー」

「まあ、この体脂肪が。お前の財産の象徴なんじゃねーの」京太郎はワハハと笑いながら、晴人のお腹をさすった。

 お金なんてそんなになくても、京太郎のような人生を歩みたかった。と晴人は思った。自分はなんでこんな手術を受けてしまったのだろう。この体質を使って、四年間、お金を増やすことしかしてこなかった。お金よりももっと大事な事が、この世にはたくさんあるのだという事を、莉子と京太郎の姿を見て感じた。

「お前も仕事相変わらず忙しそうだけど、無理すんなよ! 今度休みを合わせて旅行にでも行こうぜ!」京太郎は相変わらず笑顔で言った。

 京太郎に会うと、晴人は元気が出る。そんな事は、学生時代からずっとわかっていたのに、つい忙しくなると連絡を取るのを怠ってしまうのは、自分の悪い癖だ、と晴人は考えていた。

 京太郎の部屋を後にした晴人は、その足で会社のオフィスへ戻った。晴人はいつもだいたい三時に寝て、六時に起きる。まだ眠るには時間があるので、家に帰るのはまだ早い。もう少し、書類の整理と、アイディアを出してまとめておこう。

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