獏に奪われた 第5話 神戸莉子
撮影の日、莉子はとてつもなく美しくなっていた。いつもテレビで見ているが、実際に会うと、その美しさは確実に際立ったものだった。百人が百人、彼女を美しいというだろう。
一方の晴人は、最後に莉子に会った日から、三十キロほど増量していた。忙しさにかまけて、たしかに、偏った食事、運動不足などは自分でも自覚していたが、それにしてもひどい体だ。莉子に会ってすぐに、断ればよかったな……と晴人は後悔した。
撮影は滞りなく終わった、キャッチーズの二人も、面白おかしく会社を紹介してくれた。社員たちも、喜んでいる。この調子なら、テレビの反響で、また売り上げが伸びるかもしれない。これからもっと忙しくなるぞ。晴人は少し興奮していた。
撮影中、莉子と晴人は、いかにも初めて会うかのような雰囲気で撮影を進めていた。しかし、撮影が済んだあと、莉子は晴人に話しかけてきた。
「……元気だった?」
「ああ、元気だよ、久しぶりだな、お前は、元気か?」
「うん、元気、ありがとう。久しぶりに食事でもしない? 今日仕事何時に終わるの?」
「今日は……八時くらいには、終わらせられるかな、撮影もあったからな」
「私、今日はこれで終わりなの、仕事終わったらここに来て?」
莉子が差し出してきたお店のカードは、芸能人御用達で有名な個室のある料亭だった。いまや、芸能人と化した莉子と食事に行くなんて、週刊誌にとられやしないか。少し心配になった。仕事を早めに切り上げ、指定された料亭に行くと、すでに莉子が個室で待っていた。
二人は、特に盛り上がる会話もないまま、日本酒と料理に舌鼓を打っていた。晴人は莉子の様子を伺っていた。
「大学卒業ぶりね、五年ぶり? くらい?」先に莉子が晴人の目を見て話し始めた。
「……そうだな」
「なんか、晴人、変わったね」
「ああ。年とったからな」
「年とったって、まだ若いじゃない、私たち」
莉子は他愛もない話を続けているようだった。晴人がこうなったいきさつなどは、特に聞いてこなかった。
チャリン……
晴人のスーツのポケットからスマホが落ちた。莉子はそれを拾い上げた。
「これ……まだつけてたんだ」
「ああ、夢見が悪いからな、それをつけていないと」
莉子は、自分が晴人に以前プレゼントしたバクのキーホルダーを、まじまじと見つめていた。
「なんか、これ、こんな顔してたっけ?」
「もう古いからじゃないか?」
莉子は、バクのキーホルダーが、プレゼントした時より丸く膨らんで顔が少し睨んでいるように見えた。しかし、買ったのはもう何年も前の話だ。晴人がまだこれを持っている事の方が驚きだった。
「あのころは、たくさん夢の話をしたね」
「莉子は夢を叶えるの早かったな……俺はかなり時間かかっちゃったけど」
「でも、晴人の夢も叶ったんでしょ?」
「どうかな……今夢が叶った状態なのか、わからないな」
莉子は、「でもあなたが頑張った結果じゃない……」と息を吐くようにつぶやいた。ような気がした。
「私、会社やめようと思ってるんだ」
「え、フリーになるってこと?」
「そう、結婚したいから」
「あ……あの時付き合った……人……?」
「うん……あの時、あんな形になっちゃって……なんか私も気まずくて、ごめんなさい」
「謝るなよ。俺も、悪かった、あの時仕事が異常に忙しくて、いっぱいいっぱいだったんだ」
「実は最近、敷島……くんにも会ったの」
「え! 京太郎? いつ?」
「敷島くん、編集の仕事してるでしょ、ワイドショーで敷島くんが担当してる作家さんの本を取り上げる事があって、それで」
「京太郎……元気だった?」
「うん。晴人の事心配してた」
そういえば、あの日ラーメン屋で会って、飲んだ日から連絡を取っていなかった。
「なんか、病院の事言ってた。敷島くんが晴人に紹介した病院? 患者になった同僚が、次々と会社やめちゃったから、急に晴人のこと心配になったって。でも晴人と連絡とれなかったって言ってたよ」
会社を辞めてから、全てを新しくしたくて、携帯電話の番号を変えていた。以前の会社の人に連絡先を知られていることも、どうにも拒否感があった。
「ああ、前の会社やめてから、番号変えちゃったんだ、でも俺は元気だから大丈夫だよ」
「……そうね。元気そうでよかった。こんなに太っちゃったしね!」
莉子はフフッと笑いながら言い、晴人のお腹を叩いた。
「晴人。無理しないでね、仕事が順調なのはいい事だけど」
「大丈夫だよ、体調もすこぶるいいんだ、全然疲れないっていうかさ」
「……」
莉子は、晴人が健康には見えなかった。どう考えても、疲れすぎているような面構えをしていると思ったし、さすがに老け込んでいると思ったからだ。だから、晴人を食事に誘ったのだ。少し年齢を重ねたとはいえ、どう考えても太りすぎだし、どこか思い悩んでいるような印象も感じた。
「晴人、ちゃんと眠れてる?」
「ああ、俺さ、ショートスリーパーなんだ、だから短時間の睡眠でも全然平気なんだ」
「なにそれ……どういう事? 昔はそんな事なかったじゃない、昼まで寝てる事もあったじゃない」
「ああ、だから、なったんだよ」
「なにそれ! ただの睡眠不足なんじゃないの⁉︎」
「そんな事ないよ、全然眠くならないしな」
「私は、あなたには幸せになってほしい」
「自分は幸せになったもんな」
「そうよ、私は夢を叶えて、大切な人と一緒になる。仕事だけが、人生じゃないと思う」
莉子は、晴人の手を少しだけ強く握った。
「…………。たまにはゆっくりして! 遊びにでも行ってね!」
「ああ、そうだな」
二人は料亭を出た、莉子はタクシーで帰ると言い、入り口の前でタクシーを拾った。
「莉子……結婚おめでとう」
晴人は、振り絞るような声で言った。
「……。 ありがとう! 晴人も、幸せになってね!」
莉子は晴人に眩しいほどの笑顔を向けた。その笑顔は、この世のものとは思えないほど、美しく見えた。こんなに美しい人を、自分が幸せにしたかった……と一瞬頭によぎったが、すぐにやめた。終わった事を後悔しても仕方がないし、自分にはそんな資格もないような気がした。
莉子が去ってすぐ、京太郎の事を思い出していた。少し迷ったが、晴人の指は、もうすでにスマホの中の京太郎の名前をタップしていた。
「はい、もしもし敷島です」
「あ……京太郎……? 俺だけど」
「え、まさか、晴人⁉︎」
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