獏に奪われた 第4話 目覚め

 目が覚めた。晴人はまだ頭ごと布団の中にいた。布団から体を起こしてみると、まだ外は真っ暗のようだ。スマホに目を向けると、三時を回ろうとしている。昨日は夜十二時前に眠りについたので、おおよそ三時間ほど経っている。普段恨めしい日差しが目元を刺激していないだけ、晴人の心は落ち着いていた。なんだか頭がすっきりしている。毎日泥のように起きる朝に比べれば、本当に素晴らしい朝だ。

 しかし、晴人はすぐに思い出した。今日こそは出社しなければならない。心臓が高鳴った。出社までは、まだ時間があるので、晴人は夜中の三時だというのに、このゴミ屋敷のように崩れ返った部屋を掃除することにした。掃除機はかけられなかったが、全てのゴミを出し、久しぶりに床の色が見えた。浴室も、トイレもキッチンもピカピカになった。それだけで、晴人はさらにスッキリとした気持ちになった。少しずつ、太陽が昇っていく。綺麗に整理された部屋に差し込む朝日は、恨めしい気持ちにさせず、久しぶりに陽の光に感謝を覚えていた。


「矢倉! お前よく出社できたなあ!」

 いつものように、事務所の扉を開けた瞬間に、上司の怒鳴り声が飛んでくる。しかし、今日は目が回ったりする事はなかった。

「大変、申し訳ございません。昨日は体調不良で、連絡もできず。でも、もう大丈夫です」

 怒鳴るより先に、何があったのか聞くのが普通ではないか。と晴人は少し思った。自分は心配すらされない人間だったのか、と思うと、この会社にいる意味も、もうすでに見出せない。

「お前の席がここにあると思うなよ!」

 同僚の話しによると、昨日のうちに、上司は晴人の椅子を下のゴミ捨て場に捨ててしまったらしい。晴人は走ってゴミ捨て場まで向かうと、自分の椅子はまだ回収されていなかった。軽く雑巾で綺麗にして、ビルの中に入ると、エレベーターが点検中で、事務所がある三階まで階段で椅子を運ぶはめになってしまった。

 どうしてこんな事ができるのか、晴人には全く理解できなかった。頭が冴え渡っていると、そんな人を人とも思っていない上司の元で、なぜ今まで我慢してしまっていたのだろう、どうしてこの会社に自分はしがみついているのだろう、と冷静になって考えられた。

 この日、晴人は、上司の怒鳴り声にこれ以上謝ることはなかった。


 その日から晴人は、周りから見ても人が変わったようになっていた。

 部屋は見間違えるほどに綺麗に整理され、仕事でミスをすることは、ほとんど無い。毎朝、朝一番に出社し、夜遅くまで、迅速に仕事を終え、契約も何件も取ってきた。いつも怒鳴ることが趣味のような上司も、声をあらげられる機会を失っていった。深夜に帰宅し、三時間ほど睡眠をとると、またスッキリと目覚めることができた。体調は間違いなく万全で、頭はびっくりするほど冴え渡っている。晴人は、今の自分にはなんでもできる気がした。


 晴人は、ついに会社を辞めた。こんな人間の下で働き続けていることが、いかにバカバカしい事かと、心底感じていた。退職届を出した晴人に、上司は初めて晴人をなだめるように止めた。晴人は上司になんて言ってやろうかと、全部吐いてやりたい気持ちだったが、こんな人間にかける言葉も惜しい気がして、やめた。

 最後に会社から出ると、久々に空の色が青く見えた。自分は、人よりも時間がある。そう思うだけで、精神的にも余裕ができた。




 四年後、晴人は自らの会社を持っていた。

 少ない睡眠時間のおかげで、まず投資に成功した。最初は一つのノートパソコンから、少ない額で始まったのだが、手術のおかげで、ほとんど二十四時間株価のチェックをすることができた。利益がでてくると、そのうちにパソコンや器具を増やす事ができ、利益は膨れ上がった。

 その元手で、晴人は若くして、オフィス用品や家具を制作し、マネジメント、内装をするベンチャー企業を立ち上げたのだ。

 会社は、これから起業しようとしている若者たちにえらく人気がでた。社員もどんどん増えていった。これも、人よりもずっと長く仕事に邁進できているおかげだ、と晴人は思った。家もタワーマンションの最上階に引っ越し、付き合う人も、食べるものも全てが変わっていった。しかし、どんなにお金を増やしても、晴人の気持ちは満たされていなかった。


「社長、お電話です」

「ああ、ありがとう」

 秘書が、電話を受け継いだ。

「はい、もしもし」

「初めまして、東上とうじょうテレビのプロデューサー、海野うんのと申しますが——」

 海野は、晴人の会社をワイドショーで取り上げたいと、申し出てきた。起業して三年あまりで、すでに実績を出している、ベンチャー起業の若社長を取材したいというのだ。

「撮影は、会社潜入という形で、社員さん同行のもと、商品の紹介と、社長さんの単独インタビューを企画しています。撮影には、今人気のお笑いコンビ、キャッチーズと、うちの神戸莉子アナで行わせていただきたいと思っております」

「……」

「矢倉社長?」

「あ、はい、すみません、わかりました。よろしくお願いします」

「こちらこそ、お受けいただき、ありがとうございます。どうぞよろしくお願い申し上げます」

 晴人は、一瞬固まってしまった。莉子は、今や人気番組を何本もかかえる、テレビ局の看板アナウンサーになっていた。テレビで見る事は多くなっていたが、晴人にとって莉子は、すでに芸能人のような感覚で、雲の上の存在になろうとしていた。大学卒業して以来、初めて莉子と再会することになってしまった。晴人は心臓がドキドキとしていた。

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