あなた 最終話 あなた

 ・男の供述

 娘は結婚に悩んでいた。男手一つで育ててきた一人娘は、きっと今までろくに彼氏もできた事がないようだった。しかし、お父さんに楽してもらいたい、花嫁姿を見せたいという思いから、結婚する気をおこしたらしい。ちょっと寂しい気もしたが、娘の気持ちが何よりも嬉しかった。

 何度も婚活パーティーに出かけている様子だった。そんな努力が実ってか、最終的にマッチングアプリで出会った男性と、いい縁ができ、やっとの思いでの婚約だった。

 しかし、娘は結婚詐欺にあってしまった。婚約した男は詐欺師であった。全くそんな風には見えなかった。娘はコツコツと貯めていた貯金を全額失った。娘はお金を取られた事よりも、裏切られた事に何よりも深く傷ついていた。

 私は、娘をはげまし続けていた。娘は次第に私には笑顔を向けるようになっていったので、私は少し安心した気持ちになった。


 ここの所娘から連絡がないので、私が娘の部屋を訪ねると、娘は寝室で首を吊っていた。もう何日か経過した後のようだった。娘は一人で死んだ。私には心配をかけないように笑顔を見せていたけれど、傷ついた娘の心が癒えることは無かったのだと私は悟った。

 私は婚約者であった男の行方を追ったが、その男はトカゲの尻尾切りでしかなかった。

 私は詐欺グループの事を、独自に調査した。かなり人数の多い大掛かりなグループらしい。そして、その中に、マッチングアプリを運営し、下っ端の詐欺師を送り込む、主犯格の女がいることを突き止めた。女の名は猫田ミサト。見たところ十代とも見える少女では無いか。しかし、この女のせいで、きっと何人もの女性が被害にあっている。そしてこれからも。

 私はこの女の事は絶対に許せなかった。絶対に許さない、娘が受けた屈辱、この女にも味わわせてやらなければならない。社会的制裁はできない、この女には失うものなんて何もないように思えた。殺すしかない。その命を奪ってやることでしか、この女に復讐する術は無い。私は、長距離大型トラックの運転手をしていた。このトラックではねたらひとたまりも無い。必ず死ぬ。確信していた。


 そして、私は、猫田ミサトがネットカフェから出てきて、横断しようとした所をトラックで突っ込んだ。軽い猫田ミサトの体は、マネキンのように綺麗に宙を舞った。私はその後を確認する事もなく、そのまま走り去った。しかし、こんな大勢の人間がいる街中で、大型トラックで事故を起こしたとあれば、すぐに警察が来ると思っていた。しかし、待てど暮らせど、自分に疑いの目がかかる事はないようだ。それどころか、ニュースにすらなっていないようだった。私はその後、猫田ミサトが本当に死んだのかどうか、確かめたくなった。しかし、どんなに調べても、猫田ミサトは消息を絶ってしまったようだ。死亡事故という案件すら見つからなかった。

 警察は、何をしているのか、本当に私に捜査の目は向いていないのだろうか。しかし、彼女もどうせ家出少女が詐欺グループに買われた類だろう。身元不明で処理されたのだろうか。


 そんなある時、運送の仕事で行った伊豆で、彼女の姿を見つけた。

 私は彼女から目が離せなくなった。なぜこんなところに住んでいる。なぜ生きている。私は幾度となく伊豆へ向かい、彼女の行動を監視するようになった。なぜあんなにいい暮らしをしている。今まで行ってきた詐欺の数々で羽ぶりが良いのだろうか。なんにしても、許せない。

 猫田ミサトは笑っていた。眩しいほどの笑顔で笑っている彼女を何度も見た。娘の心はズタズタにされて、一人で静かに死んだというのに、あんな穏やかな笑顔を浮かべる彼女に、私は涙が止まらなかった。どうして猫田ミサトが、この伊豆で優雅に暮らして居るのかは、わからない。いや、すでにそんな事はどうでもよかった。一つ分かっていることは、確実に仕留めなければいけない。それが私の生きる意味だ。という事だ。




 倒れている那々子が気がつくと、男はもう姿を消していた。未だに何が起こったのか那々子には理解ができなかった。あの男性は誰だったのか、全くわからない。しかし、あの時殺したはずだと、彼は言った。猫田ミサトはあの時交通事故にあって脳死したはずだ。きっとその事故に関わっているに違いない。痛みがひどい、刃物はまだ腹部に刺さっている、こんな形で命を落とすことになるなんて。那々子の頬を涙がつたった。

「一条さん、どうしました?」

 聞き覚えのある声だ。那々子が命からがら顔をあげると、その目には五名竜二の顔が映った。

「五名先生、私……こんな形で……死ぬ……の?」

「助けてあげますよ、私なら」

「先生……た……す……けて……」







「いわゆるホームレスですね、年齢はわかりませんが、七十代と思われる男性です」

「……はい」

「毎日、新宿周辺のあらゆるコンビニで目撃情報があり、それで警察に通報があったんです。警察病院の診断によると、アルツハイマー病だという報告を受けました」

「え、認知症なんですか?」

「はい、典型的な認知症のようですね。こちらの質問にはほとんど何も答えませんし、会話が成り立たないんです。おじいちゃん身寄りも無いみたいだし、こちらもどうしようかと思っていた所だったんですよ、引き取っていただけるという事で、本当に感謝しています。みなさんと心を通わせているうちに、また何か、思い出すかもしれませんし」


 新米介護師の結城ゆうきは警察からの説明をよく思い出していた。警察と話すなんて初めてだったし、ホームレスが本当に保護されることもあるのか。一体どこの誰なのか、身元も不明らしい。これが市営の介護施設の仕事か。ただでさえ、こんな青梅の山奥の介護施設に入社してしまったというのに、最初の仕事がこんなに重い案件なんて。気分までなんだか重くなるものだな、と結城は思っていた。

 今日はその老人の入所の日だ。認知症ならば、自己紹介をしても、明日になれば忘れてしまうのだろうか。朝から気が重いな。結城は一人なのに、大きくわざとらしいため息をついた。

 車がホームの前に止まり、警察の人に連れられて、その老人はホームの自動ドアをくぐった。

 その老人を見た時、結城は非常に不思議な感覚を覚えた。腰は曲がり、髪の毛は整えてもらったようだが、それでも、長いこと手入れをしていなかったことがわかる。しかし、その立ち姿にはどことなく、知性と気品を感じるものがあった。

「介護師の結城と申します。おじいさん、お名前を伺ってもよろしいですか?」

「……」

「なんとお呼びすればよろしいですか?」

「……な……なこ」




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