あなた 第8話 マッチングアプリ
蓮は、ついにマッチングアプリに登録した。自分で誰かとマッチしてみれば、何か分かるかもしれない。
登録画面を進めてみると、たしかに何重にも質問のページが続くあげくに、身分証明書や、いろいろな書類のコピーを添付して送らなければならず、履歴書まで書かされた。審査には数日かかり、運営側から審査に通らないとアプリを開始することすらできないようだ。
そこまでやって詐欺師がいるなんて、なんだか余計に怪しい気がしてならない。
数日経って、無事審査が通り正式に登録ができると、すでにあちらから何件かいいねが来ていた。こちらがいいねをしかえすと、すぐにマッチする仕組みのようだ。
一人の女性、『あいか』とのやりとりが始まった。あいかは、医療事務をしている二十五歳の会社員で、蓮と同じ大学を卒業しているようだ。蓮は、あいかとの会話が弾んでいるように感じたし、あいかも蓮との会話を楽しんでいるように文面から読み取れた。
蓮は、あいかになるべく早く会いたい意向を伝え、結婚を前提とした真剣なお付き合いを望んでいますという意思を、全面に押し出した。これであいかが会ってくれるのならば、少しでも情報をつかめるだろうか。
那々子に一連のことを話そうか迷ったが、那々子の体の正体が分かれば、それが分かってから伝えた方がいいと思い、打ち明けることはまだやめておくことにした。
あいかとの初対面の日はすぐにやってきた。
あいかは、待ち合わせの時間に五分だけ遅れてきて、「お待たせして、申し訳ありません」と全く悪気の無い声で言うと、そそくさと席についた。わざとらしいくらいに女性らしい雰囲気をまとっている。白いノースリーブのワンピースに、小さなチャームのネックレス。黒髪のロングに毛先を少しだけ巻いていて、なるほど、これぞ五大商社や大手ゼネコンなんかを相手にした合コンに慣れまくった女性なのだな、と蓮は思った。しかし、蓮の本題はそこではない。蓮は、ブレンドとロイヤルミルクティーを注文すると、あいかの目を見てすぐに話し始めた。
「あいかさん、本当に申し訳ありません。さっそく打ち明けますが、僕は実は、結婚相手を探しているのはないんです。人を探していて」
「……え?」
あいかは、少し残念そうな顔をした。
「わざわざ来ていただいたのに、本当にすみません。この写真の彼女、見たことありませんか?」
蓮は、現在の那々子の写真をすっとテーブルの上に差し出した。あいかはその写真を見ると、ギョっとしたように一瞬顔を歪めたが、すぐに平常心を取り戻したかのように、「……さあ」と小さな声で首をかしげながら答えた。
「本当に、お心当たりありませんか? 大事な事なんです」
「高浜さんはこの女性とどういうご関係なんですか?」
あいかは、今度は蓮の目をまっすぐ見て言った。その言葉の力強さには、先ほどまでのわざとらしい女性らしさは全く感じられなかった。何かを話したそうな顔をしているが、蓮のこともどうやら怪しんでいるようだ。蓮は、一度大きく鼻で深呼吸をして話し始めた。
「実は、僕の知り合いの女性が、このマッチングアプリで結婚詐欺にあったということを言っていまして、この女性が何か関わっているのではないかと思ったんです」
「……!」
あいかはその後少し口をつぐんだが、何か言いたそうだった。言葉が出てこないようだ。すると、少しした後で突然あいかの頰に涙が流れた。
「あいかさん⁉︎ どうしたんですか?」
「…………ごめんなさい……」
あいかは、涙を流しながら少しずつ話し始めた。
「私は……本当は、会社員ではありません……まだ大学生です」
「え? そうなんですか?」
「この女性は、
蓮は眉をひそめて驚いた。聞いたことのない名前だったからだ。
「かなみさん、ではないんですか?」
「違うと思います。ミサトさんは、たくさんの偽名を使っていますので。私たちは、猫田ミサトさんと認識していますが、正直それも本名なのかどうかはわかりません」
どういうことなのだろうか。あいかはどこで猫田ミサトと出会ったのだろう。それ以前に、なぜあいかは大学生なのに社会人などと嘘をついて自分と会っていたのだろうか。蓮はあいかを問い詰めるように訊いた。
「あいかさん、お願いします! この、猫田ミサトさんのことを、詳しく教えていただけませんか? とても大事なことなんです」
「……」
あいかはまだ口を開く勇気がないようだったが、後一押しだ、と蓮は思った。
「あいかさん、もし、何か困っていることがあるのなら、僕は力になりたいと思っています。大丈夫です。話していただけませんか?」
蓮は先ほどよりも何倍も低くて優しい声であいかにそう伝えると、あいかの手を優しく握った。
あいかは、蓮の声を聞くと、涙をぽろぽろと流して子供のように泣き始めた。蓮は、あいかが落ち着くのを黙って見守っていた。
あいかは、最近アルバイトを探していた。新型感染症のパンデミックの影響で居酒屋のアルバイトをクビになったあげくに、田舎の両親の事業も傾き、仕送りも止まってしまった。割のいいアルバイトがどうしてもしたかったところで、大学の友人に誘われたのが、このマッチングアプリのサクラの仕事だった。このマッチングアプリは、一つの運営会社が仕切っており、マッチする相手はすべてこの運営の息のかかった人たちらしい。最初は婚活パーティーのサクラ程度だろうと思って参加していたあいかだったが、少しづつ、この運営がもしや詐欺グループではないかという疑いを持つようになる。
マッチングアプリの運営の中で、あいかのような下っ端のサクラに指示を出していたのが猫田ミサトという女だったそうだ。しかし、猫田ミサトは数ヶ月前から行方不明になっているらしい。運営の中でも、慌てて猫田ミサトの消息を追っているようだ。
あいかは、蓮の審査が通る前に情報を開示させられ、すでにいいねを送っていた。会話を重ねていく中で、蓮とうまくいっている気がしたあいかは、運営に相談をすると、詐欺のカモになるか見極めてこい、と初めて指示を出されてしまった。服もメイクも全て用意されていて、どのような対応をするべきかも全て教育させられた。しかし、今日蓮と会うことになり、いざ詐欺を働こうとすると、あいかは怖くなってしまった。しかし、運営に逆らう事もひどく怖かった。そんな気持ちで会いに来た蓮に猫田ミサトのことを訊かれ、一人で抱えきれなかったものを思わず話してしまったという。
「ミサトさんには、私は一回しか会った事がありません……でも、運営の中で、ミサトさんが数ヶ月前から行方不明だって騒いでます。ミサトさんは、私よりも年下だと思いますし、なんであんな若い子がって思いましたけど……」
「他に、何か知っている事はありませんか?」
蓮は、先ほどのような優しい声ではなく、すでにもう尋問口調になってしまっている。
「大学で、私にバイトを紹介した友人は、養護施設出身なんです……運営会社にも、その養護施設出身の子たちが多いように思いました……」
「え、養護施設?」
突然詐欺グループの話しとは、打って変わった言葉が出てきて、蓮はさらに眉をひそめて驚いた。
「なんていう養護施設ですか?」
「
「その先生、どこにいるかわかりますか?」
「さあ、そこまでは……それに、ミサトさんが、その養護施設に関わっているかどうかは、私にはわかりませんけど」
蓮は、あいかの話に驚いた。しかし、大きな情報を掴んで、わかったことがある。那々子の体の正体は、どうやら猫田ミサトという少女らしい。横道学園は、猫田ミサトと関わっているのだろうか、しかし何か秘密があるのは間違いなさそうだ……そんな事よりも、猫田ミサトは、詐欺グループの一員らしかった。その事が何よりもショックだった。
「高浜さん……すみません……」
あいかはまた涙を流していた。
あんなカッコつけた事を言ったものの、蓮はなんて答えたらいいのか、分からなかった。もし一緒に警察に行ったところで、猫田ミサトが本当に詐欺師であれば、那々子が捕まってしまう恐れがある。どうやってこのあいかの力になるというのだ。
「あいかさん、あなたはご実家に帰られたらどうですか? もうこの辺りからは離れた方がいい。ご両親を助けて暮らしていった方がいいのではないですか……それか警察へ、あなたは詐欺を働いたわけではないのですから……」
蓮は、ありふれたアドバイスしか出来なかった。今となっては、あいかの目を見る事すらできない。
「あいかさん。本当の事を話してくれて、ありがとう。あなたのことは、決して他言しません。僕は、独自にこの横道学園を探ります」
蓮は、ゆっくりと立ち上がると、伝票を持ってその場を後にした。後ろを少し振り返ると、あいかがまだ、うつむきながら座っている。こんなに情報をくれたのに、かわいそうな事をしてしまった。と、蓮は胸が痛くなった。しかし、今は前に進むしかなかった。
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