ようこそ魔法の世界へ
次に目を開くと、見知らぬ部屋だった。
「な、何が起こったんだ!?」
そう言ったのは私ではない。目の前にいる少女だった。
彼女は尻もちをついて、指をこちらに向けている。
ボサボサの髪をひとつにくくり、細い瞳でこちらを見ていた。
「いや、あの……」
それを聞くと彼女は一歩後ずさった。
「話すのか!?」
「は、話しますよ」
彼女は拳を顎に当てた。なにか唸りながら考えているようだった。
辺りを見回すと、そこは生活感の溢れる部屋だった。服は散乱し、本が無差別に積み上げられている。クローゼットやタンスは全て開け放たれ、中身がはみ出ている。
「ごめんなさい、僕が魔法陣を書き間違えて、君を呼び出してしまったみたいだ」
「は……?魔法陣?」
現実離れした単語に思考が追いつかない。
それでも彼女は平然と話を続ける。
「そう、ここを見て欲しいんだけれど、ここにこの記号を書くのは……」
「待ってください! 魔法陣なんて存在するはず無いじゃないですか!」
訳の分からない魔法陣の訳の分からない解説を始めようとしたので慌てて止めた。
「そんなことないだろう。それが魔法陣だよ」
彼女の指差す先は私の足元。
白く輝く無数の線と記号が複雑に描かれている。
「うわ! なにこれ!」
慌てて飛び退くと、散乱する洋服に足を取られ、床に打ち付けられた。
棚にぶつかり、上から本も降ってきた。
「わぁ、大丈夫?散らかってるね、ごめんごめん」
彼女は私の上に乗った本や衣類を退けていく。
「そういえば名乗ってなかったね」
彼女は手を差し出す。
「僕は東雲
私は迷いつつ翔の手を取った。
「私は、北見
ぱあっと、翔の目が輝いた。
「優! よろしくね!」
そして強く手を握られた。私はされるがままに手を揺さぶられた。
「いや、そんな事より、魔法ってどういう事ですか?」
「え? 魔法は魔法だろう? 君だって魔法が無いと生きていけないはずだけれど」
翔は素っ頓狂な声を上げた。見る限り、嘘はついていないようだった。それがまた妙で。
「魔法なんてそんな非科学的なものが存在するはずないですよ」
それを聞いて翔は大声をあげて笑った。
「科学! そんな非現実的なものをまだ信じているのか! いいかい、1952年に雷が魔力由来だと証明された。科学者達は皆自分の過ちを認め、魔法研究に没頭した。その恩恵を受けて、僕たちは暮らしているんだ。外を走る車も、街の灯りも、全て魔力によるものじゃないか! まさか忘れてしまったのかい?」
翔は首を傾げてこちらを見ている。
「違います! 車も灯りも、全て電気の力によるものです。雷は電気です。魔力の方こそ非現実的ですよ!」
翔はまだ笑っていた。
「まだ君はそんな事……いや、待てよ……」
翔はまた深刻そうな顔をして悩み込んでしまった。そして魔法陣に飛びかかると、円の中に描かれている細やかな模様を指で追いはじめた。
そして手を止めた。
「君は本当に魔法を知らないんだね」
「はい」
「そうか、そうか、これは一大事だ」
翔がこちらを向く。目が合った。翔は怯えていて、それでいて酷く興奮しているようだった。
「君は魔法のない世界から、魔法のある世界に来てしまったんだ」
「ど、どういう事ですか……」
「君の住んでいた世界とこの世界は違うって事だ。この世界にいる以上、この世界のどこを探し回ったところで君の家は見つからない」
「えっと、それはどういう……」
「あぁ、そうだね……君の世界にもパラレルワールドという概念は存在するかい? それが一番表現として近いかもしれない」
翔はそう言って少しだけ笑った。
パラレルワールド?この世界に家は無い?
じゃあ、私はどこに帰ればいいの?
もう友達には会えないの?
「それじゃあ……私は家に帰れないって事ですか……」
「そういうこと。察しがいいね」
頭が真っ白になった。
何も考えられない。無力感と悲しみだけが心を支配して、全身を燃え上がらせる。
「あっ、ねぇ、大丈夫かい?」
翔が散らばった衣類の山の中に手を突っ込んだ。そしてそこから引っ張り出したものを私に差し出した。
ハンカチだった。
「ごめん。驚くのも無理はないよね」
ハンカチを受け取る。私は泣いていた。
「いや、はい。すみません」
「うん、大丈夫。僕が責任をもって君を返すから。必ず」
翔は私の目をしっかり見てそう言った。
翔は信用出来る。そう思った。
「分かりました」
翔はにっこり笑った。
その笑顔を見て、何故か私は安心する。
「よし、それじゃあ、夜も遅いし一度寝ようか。一度休んだ方がいいよ」
布団を広げる。寝床と言うには散らかりすぎて居たが、今は寝床があるだけありがたい。
翔は押し入れの中に潜り込んでいった。
「僕はこっちで寝るから、優は敷布団で寝て」
「あ、はい」
翔は見えなくなった。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
布団に入ると灯りが消えた。
しばらく暗闇を見つめていたが、一向に眠れる気配は無かった。
正直、不安しかない。
異世界、魔法。何もかも分からないことだらけだ。この部屋しか見ていないし。
けれど、私は目の前の翔を信じる事にした。
この人しか私を元の世界には返せない。
そんな気がしたし、信用できる相手だ。
静かな寝息が聞こえてくる。
眠れる人なんだな。こんな状況でも。
押し入れの方を見ると、目の前に本が落ちていた。
手に取ってみる。
起き上がって表紙を見る。暗闇であまり見えなかった。
ライトを探して辺りを見回す。
カーテンの隙間から灯りが漏れていた。
カーテンに近づき、少しだけ窓の外を覗いて見た。
眼下に、街が広がっている。
見たことも無い、美しい街。
一言では形容しきれない。見たことの無い形の建物がぐるぐると軒を連ねている。
あまりにも美しすぎる夜景。
生きているかのように、建物が絶えず動く。
綿菓子のような光が至る所で浮かんでは消えている。
人々は、その中を生きているのだろう。
「眠れないのかい?」
翔がいた。
「はい」
翔は気軽に私の肩に手を置いた。
「眠ろう」
そう言い残して押し入れに戻っていった。
「なんなんだ……」
別に寝かしつけてくれる訳でもないのか。
手の中の本を弄ぶ。
そうだ。これを読もうとしていたんだった。
表紙には“私たちの歴史”と書いてあった。
そして見たこともない車や建物の写真が敷き詰められている。
学校の教科書のように見える。
開くと縄文時代と書かれた見出しが目に入る。
「同じなんだ。というか、日本語だ」
すべて読むことができた。所々、わが国日本と書いてあるので、ここは日本で間違いないだろう。
読み進めていくと、知っている歴史が並び立てられていた。様子が変わるのは江戸時代頃からだった。
平賀源内はマジクテルを作っている。
明治時代は魔法が本格的に使用され始め、魔法ブランなるものも発売されていた。
その後の戦争は戦車などではなく、魔法による戦いが大きい。色々と書いてあったが、歴史は苦手なので、何が違うかよく分からなかった。
そこから先は知らない歴史だ。見たこともない用語と、見たこともないものばかり。
理解を諦めて本を閉じた。
教科書を読むと眠くなるのはいつだってそうだ。
翔の言う通り、ここは魔法が使用される世界である事は間違いない。
そしてそれは、私が本当に異世界に来てしまったという証明でもある。
ちりちりと不安が胸を焼いている。
それは無いものとして、眠りにつくことにした。
全て、眠りから覚めた私が考えればいい。
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