ほどなくして、深夜帯の人との交代時間がやってきた。


「おつかれさん、特に変わったことはなかった?」

「おつかれっす、なにもないっすね」


 簡単な引き継ぎをしてレジの裏――スタッフルームへ。店のPCで退勤入力を済ませれば、バイトは終了。コンビニ店員から女子大生へと早変わり。いやここは元に戻るが正しいか。


「つっかれたー」


 制服を片付けて丸イスに腰かけてひと息。時計を見れば、ちょうど長針と短針がVサインをしているところだった。


 帰ったら日付まわってるなあ……ってことは年も明けちゃってるのか。


「あれ? 上埜、まだ帰ってなかったのか」

「なーんか座ったら立ち上がる気がなかなかしないんすよね。私もトシっすかね?」

「なにいってんだ、10年早ぇよ」


 笑いながら、センパイは胸ポケットからタバコを取り出した。


「いつも思うんすけど、ここでタバコ吸っていいんすか?」

「かたいこと言うなよ。アイコスだし」


 そういう問題なんだろうか。そのうち店長に怒られそうだ。


「もうすぐ新年だなあ」

「そうっすね」

「結局、年末らしいことぜんぜんできなかったわ」

「大みそかにバイトしてる時点で無理じゃないっすか?」


 ある意味、季節感とは一番縁遠い職業な気がする。24時間365日営業だし。


「お、そうだ」


 なにか思いついたような声が隣から聞こえる。アイコスを携帯灰皿に突っ込んだかと思えば、部屋から出ていって――1分と経たないうちに戻ってきた。


「ほい、上埜の分」


 そう言って手渡されたのは、緑色のカップ麺だった。


「なんすか? これ」

「見てのとおり、緑のたぬきだ」

「いや、それはわかるんすけど」


 なぜに今? 夜食?


「このままなーんも年末らしいことしないまま新年を迎えるのもなんだと思ってな」

「あー、そういうことっすね」


 年越しそばってことか。


「金は別に気にしなくていいぞ。俺のオゴリだ」

「そんなカップ麺ひとつでドヤ顔しないでほしいんすけど」


 ため息をつきながら、私は容器を持つ手に少しだけ力をこめる。彼の体温が、まだ少し残っているような気がした。


「でもまあ……ありがたくいただきます」

「おう、さっそく食べようぜ。年が明けちまう」


 その言葉を皮切りに、ふたりでいそいそと準備をする。粉末スープをかけて、天ぷらを麺の上に置いて、お湯を注ぐ。最近は食費節約のためにいろんなカップ麺を食べることが増えてきたけど、やっぱりこのお手軽さはいい。


「――そろそろっすね」


 らされているような3分間が経過。そしていざフタを開けようとしたとき。


「ちょい待ち」

「え?」

「もう1分、待ってみな」

「いやいや……」


 絶対のびちゃうでしょ。


「いいからいいから」

「まあセンパイが言うならいいっすけど……」


 私はよくわからないまま、フタにかけた手を離す。結局、それからもう1分――合計4分待ってからフタを開けた。

 すぐさま漂ってくるのは、ダシのきいたいい香り。


「んじゃ、食うか」

「っす」


 余っていた割りばしを拝借して、手を合わせる。そして待ってましたとばかりにあつあつの麺をひと口すすって、


「……やっぱ、待ちすぎじゃないっすか?」


 食感がいつもより少し柔らかい。当たり前なんだけど。


「上埜はなんで大みそかにそばを食べるか、知ってるか?」

「縁起がいいからじゃないんすか?」

「どう縁起がいいんだ?」

「えーっと」


 なんだっけ、たしか……、


「そばは細長いから、長生きできるように……とかじゃなかったでしたっけ?」

「せーかい」


 まだかたさの残る天ぷらをかじりながら、センパイは言う。


「だけどもうひとつ、由来があるらしいんだ」

「なんすか?」

「そばは切れやすいから、今年のよくなかったことをさっぱり断ち切れますように、って意味だ」

「だから、もう1分待っていつもより麺を切れやすくした、と」

「そゆこと」


 ビッ、とはしをこっちに向けてくる。その得意げな顔私はちょっとイラっとしたので、


「じゃあセンパイは、彼女にフラれた未練をスッパリ断ち切ろうとしてるわけっすね」

「んぐっ」


 思いがけない言葉だったのか、ごほごほとむせ返る。


「な、なんだよ上埜、知ってたのか。誰から聞いたんだ?」

「そりゃあ言えないっすね」


 そんなの、訊かなくてもわかる。これだけ毎日のように、一緒にバイトをしていれば。

 ……あなたの顔を、いつも見ていれば。


「半年も経たずにフラれるなんて、センパイなにかやらかしたんじゃないっすか?」

「ったく全部筒抜けかよ……まさか女子大生にもバレバレなんてな」

「へへ、女子大生だからって甘く見ない方がいいっすよ」


 にやりと笑ってやると、バツが悪いのをかき消すためだろう、センパイはわざとらしい咳払せきばらいをした。


「ま、俺のことはともかくとして……上埜も来年はいいことあるといいな」

「私っすか?」


 センパイのことじゃなくて?


「なんでそう思うんすか?」

「お前ここ最近ずっと、元気なさそうだったからな」

「え……」


 瞬間、私は自分の目が見開くのがわかる。


「その、なんだ。俺みたいなおっさんが話を聞いたところで何の役にも立たないのはわかってるからな。だからせめてがんかけってやつさ」


 早口に言うと、センパイはずるずるとそばをすする。その姿は、いつも見る彼よりもどこか胸にくるものがあった。


 まったく、誰のせいでそうなってると思うんだ。

 でも、


 そういう不器用に優しいところが、私は……


「ほんと、そうっすよ。女子大生の悩みはフクザツなんですから」

「うっせえ、わかってるよ」

「でも……ありがとうございます。元気出たっす」


 そう言って、私はしばらく浮かべていなかったと気がついた笑顔を向ける。

 同時に、はしでつかんでいた麺がぷつり、と切れてスープの中へと消えていって。


 新しいわたしは、もうすぐそこまできていた。

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