第2話

 窓の外――月光を体内に呑み込んだ底なしの『闇』が、静かに蠢いていた。


 なぜ闇の蠢きを感じるのかは分からないが、確かには窓に張り付く芋虫のように蠕動ぜんどう運動を繰り返し、今にも窓の隙間から侵入しようとしている。


「静かにしておれば、やがて去る。目を閉じて、ゆっくり浅く息をしているといい」


 耳元でそう囁かれた後、手が口から離される。

 体は得体の知れないものへの恐怖に小刻みに震えていたが、傍に人がいるという安心感からか、叫び出したくなるほどではなかった。


 不服だが、あの幸薄顔男の言動には変なところで信頼性があった。


 だからって家に住むとかは許可できないけど!!!!


「――さぁ、もう目を開けても良いぞ」


 安心させるような声色で私に告げる彼は、やっぱりさっきの神社の人とは別人だったのだろうか。


 恐る恐る目を開くと、部屋は元の明るさを取り戻しており、窓には何もおらず、隣家の庭にある木がただ揺れるだけだった。


 ものの数秒で、さっきの化け物を彼が消してしまったのか、それとも自ら去ったのか。

 その疑問は、恐ろしさに震えている私の口から発されることは無かった。


「そなた、随分と厄介なものに好かれたようだな」

「ま、まさか、あれに、私が?」


 未だ微かに震えの止まらぬ唇を動かすと、同様に細かく震えた声が出た。


 その様子を見かねてか、彼は――風は、私の背をぽんぽんと赤子にするようにリズム良くたたき出した。


「厄介だが、決して強力なものではないから安心すると良い。あれはそなたを探して取り込もうとしてくるだろうが、我がそばに居る限りは危険な目には合わせぬから大丈夫だ」

「私を取り込もうとしてくるやつにどう安心しろと……」

「ふむ……そうだな」


 背中をたたき続けながら、風は再び私の視界を覆った。


「こうして目を閉じながら、我に助けを求めると良い。必ずやそなたの元へ向かおう」


 少しだけ、風に安心感を抱いている自分がいた。




 翌日、ベッドから体を起こすと、昨夜と同様にベランダの手すりに座っている風が目に入った。


 結局昨日は、今夜は外で月と共に過ごそう、と風が出て行ったのだった。


「……お、目覚めたか?柊よ」

「おはよう、ございます……」


 部屋の中に入ってきた風は、暗闇の中で見るよりも圧倒的に普通の人に見えた。


「今日は学校へ行くのだろう?我も着いていこうと思ったのだが」

「え、は!?いやいや、制服もないですし、どうやって説明するんですか」

「あぁ、そこに関しては心配する必要は無い」


 彼がおもむろにパチンッと指を鳴らすと、瞬く間に着物が制服へと変化した。


 ブレザーは少し……いや、結構似合わない。


「これで安心だ。あとは色々手を回しておいたから、気にする事はない」


 満足そうに笑顔でひとり頷く彼を見ていると、一人で着替えられるようになったばかりの3歳児のようで、思わず頬が緩む――――はずがなかった。


「ちょ、早く部屋から出てってくださいよ!?」

「何故だ?別にそなたの着替えに興味などないのだから、出ていく必要もないだろう」

「あなたが!!興味ないかどうかは関係ないんです!!私の!!気持ちの問題です!!」


 首を傾げる彼を全力で押すが、驚くほどにビクともしない。

 ビクともしなさすぎて、岩を押している感覚になってくる。


「ちょ、この岩男!!!」

「我は風だが……」

「知ってますが!!!!!???」


 あーーーーーーイライラする!!!


 風の顔をキッと睨みつけると、彼は困ったような顔になった。

 困ってるのは私ですが!!


「あー分かりました!もういいです。別の部屋で着替えますから」

「何をそんなに怒っておる?我が原因なのだとしたら謝るが……」

「結構です!どうせ言ったところで分かりませんし、もうとっくに伝えましたから」


 私にそう突き放され、彼の見えないしっぽと耳が下がったような気がした。


 ふん!!子猫みたいになったからって許したりしないから!


「昨日安心するとか思ったのが馬鹿みたい」


 制服を持って物置部屋へと入り、鍵をかけると、少しだけ冷静さを取り戻すことが出来た。


 やっぱりあいつとは合わない。


 怒りから我に返ると、小窓しかない薄暗い部屋に一人で居ることが心細くなってきた。

 昨日の得体の知れない化け物のせいだろうか。


 電気を付けようと壁に手を伸ばす。


 ――ふにっ


 …………ふにっ?


「あ、あの、お手を離ひてくだひゃい……!」

「え…………ええええええ!?!?なに!!?」


 私の右手に触れていたのは、白い喋る毛玉だった。

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