第5話

「こんな愚行で命を無駄にするなど……お前に命を与えた父上と、お前を迎え入れる母上が憐れで仕方ないな」

「な、お、誰だよお前!」


 慌て叫ぶ男の声がし、瞼を持ち上げる。すると、視界のぼやけが消える前に手が伸びてきて、私の目を覆い隠した。


「目を開けば、待つは死だが?」


 そう私に言い放つと、聞き覚えのある声の主は手で目を覆い隠したまま、すうっと息を吸う。


 彼が何をしたのかは分からない。

 ただ、その後に響いた不審者の断末魔が、ある程度何が起こったのかを想像させた。


「……さて、目を開けるが良い」


 呆気なく手が離される。

 ゆっくり目を開けば、先程とは打って変わって、視界の中心に白があった。


 少し視線を上げれば顔があることは分かっていたので、足元に視線を落とす。祖母からの教えで、人ならざるものの顔は安易に見てはいけないらしい。

 言わずもがな、この男は昨日の奴だろう。

 え、もう昨日顔を見たって?

 知らない。知らないったら知らない。


「……あの、ありがとうございました。ではこれで」

「この我に対してそれだけか」


 ひゅっと男が指を振ると、さっさと帰ろうとした私の目の前に、透明な壁が出現した。

 鞄が先に壁にぶつからなければ、危うく頭をぶつけるところだった。


「な、なんですか……」


 振り向かずに話しかける。


「命の恩人の我に、たったそれだけの言葉で感謝したつもりかと言ったのだ」


 なんだか少し、昨日と雰囲気が違う気がする。気のせいだろうか?


「全く、''印付き''の者だからと少々救いを与えてやったが、どうやら随分と世間知らずな人間のようだ」


 ――印付き?

 聞きなれない言葉に首を傾げながらも、私は振り向かずにじっと耐えた。


「なぁ、''印付き''の人間よ」


 つう、と首筋に鋭いものが立てられる。それが爪だと気がついたのは、次にとんとん、と首裏を叩かれたからだ。


「この印はあいつのものなのか?相も変わらず趣味の悪いことだ」


 今度は少しキツめに首に指を沈められる。


「しかも首裏とは。これでは首をかき切ることもできぬ。性格までも悪いとは救いようがないな」


 血管を押さえられているのか、次第に頭がふわふわとしてくる。

 かと言って、その手を振りほどいて逃げることは叶わない。


 ――そういえば、昨日御守りを押し付けた時に電流のようなものが走ったような気がする。

 ……一か八か――。


「お待ちくださいな」


 冷たい大気の中に、針のような細く鋭い待ったがかけられた。


「なんだ、玉之浦の姫」


 玉之浦の姫と呼ばれたその人の姿を認めることは出来ないが、どうやら私の背後にいるらしいことは、声の出どころから察せられた。


「その者は私の同輩でございます」

「だからなんだと言う」


 冷たい華奢な手が私の手に重ねられる。

 その手に、鞄から出しかけた御守りをそっと押さえられた。

 少し見れば、爪先には紅が塗られている。


「私のために、お止め下さい。仲間が苦しむのを見たくは無いのです」

「……ふん」


 ぱっといとも簡単に手が離されると、血液が勢いよく流れ始めた。

 ふらっと倒れかけると、細い腕が私の体を支えてくれる。


「もう大丈夫。さあ、帰るといいわ」

「あ、ありが、」


 唇に人差し指が添えられる。

 そのまま振り返ることは叶わず、彼女の姿を見ることは出来なかった。

 ……まあ、薄々勘づいてはいるけれど。


「気を付けて帰ってね」


 背中を軽く押され、立ち上がる。


 振り返ってもそこには誰もいなかった。

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