第4話

 ぽふぽふ、と黒板消しを叩く。

 アニメでよく見るやり方を真似してみたが、ほとんどチョークの粉は出なかった。


 今私は、空き教室に一人でいる。

 先生と偶然目が合ってしまったのが運の尽きで、ここの掃除を頼まれたのだ。


 もちろん初めは一人ではなかった。

 先生が名前を上げた生徒たちに掃除をするよう言って回ったのだが、全員予定が入っていて手伝えないと断られた。そんなことあるか。


 こんな時に友達がいれば誘って掃除したりできるのか。いや、要らないけど。


「ごほっごほっ……急に粉出てきたし……」


 うざったいチョークの粉に咳き込みながら振り返れば、よく分からない物たちで溢れかえった一角が嫌でも目に入る。

 先生曰く、物には番号がふられたシールが貼ってあるから、対応する箱に入れて欲しいとのことだった。

 一緒に手渡された積み重なった箱を、ふらつきながら運んできたのが十五分ほど前。

 とりあえず汚れた黒板を消したのがついさっきだ。


 確かに置かれた物たちを手に取ってみると、白いシールが貼り付けられている。

 中には素手で触れるのが躊躇われるくらいに埃まみれになった物もあったが、置いてある軍手はいつのものか分からないので、はめるのは遠慮しておいた。


 積み上げられた物には統一性がなく、でんでん太鼓や狐面、チアリーディングに使うぽんぽんから金髪のウィッグまで、様々なものがここに投げ捨てられていったようだ。

 きっと学園祭などで使ったのだろう。


 時折、色の着いたガラス片や割れた陶器のような物もあったので、慎重に拾って近くにあった茶封筒に入れていく。


 そうしているうちに、作業が終わったのは窓の外がすっかり暗くなってから。

 壁掛け時計の針は五時半を指していた。




 秋の五時半は夜とさほど変わらず、冷気が頬を撫でていく。


 元々人通りの少ない所ではあるけれど、この時間ともなれば更に出歩く人は少ない。


 学校と家の間にたった七つほどしかない街頭が地面に落とす光を踏みながら、呑気に夜ご飯はなんだろうと予想する。


 この寒さなら鍋もあるかもしれない。

 昨日の買い物の内容を見るに、ラーメンの可能性もある。いや、スパゲッティ食べたい。


 神社の前に差し掛かる辺りで、脳内は完全にスパゲッティで支配されていた。

 あんまり安い麺だと美味しくないよな、とか、水っぽいミートソースは嫌だなぁとか、そんなことを考えて。


 手袋をはめた手を閉じたり開いたりして歩いていると、前方から人影が歩いてくるのに気がついた。珍しい。

 どうやら全身黒い服を着ているようで、この距離からでは背格好までは確認できないが、どうやら雰囲気的に男性のようだ。


 お互いこの歩調なら、丁度大鳥居の前ですれ違う。


 少しづつ大きくなる人影に慣れないせいで、ちょっと緊張気味に歩を進める。


 そして予想通り大鳥居の前ですれ違った。バレないよう視線だけ横に流し、顔を伺う。

 しかし、暗闇が邪魔してよく見ることが出来なかった。


 まあそこまで興味があったわけでもないので、再び地面に視線を落とす――と同時に、嫌な気配が背中にまとわりついた。

 思わず身震いしてしまうような、そんな気配。


 振り返って確かめるのも躊躇われ、私はそのまま石階段を駆け上がり、大鳥居をくぐって境内の中へと走り込んだ。


 広い道の真ん中を、息を切らしながら全速力で走る。

 ただ、なんだか不吉な予感がしたのだ。気のせいならばそれでいい。とりあえず人がいるところへ行こうと思い、奥の社務所へと向かう。


 肺の中に夜の神社の張り詰めた空気が入り込んで苦しい。咳き込みが止まらない。


 ノンストップで本殿辺りに来たところで、木々の隙間から見えた社務所の灯りに少し安堵し、控えめに振り返ってみる。


 ――視界中央を覆う、暗闇とは違う黒。

 そして下の方にちらつく鼠色。いや、鉄色と言った方が正しいか。


 それは徐々に速度を上げて近づいてくる。

 声を上げようにも、喉が硬直して働かない。


 月が雲に隠されているというのに、生々しい光沢をもっている包丁が、一直線に私の脇腹目掛けて突っ込んでくる。

 死ぬのだ、と直感的に感じたのは人生初だった。


 私との距離は残り数センチ。ぎゅっと目を瞑り、身体中に力を入れる。

 痛みが走るその瞬間を覚悟した。


 ――あーあ、もっといい人生を送っておけば良かったな。


 などと、体の緊張とは裏腹に、呑気な思考が脳内でぼんやりと浮かび上がる。





「くだらんのう、人間よ」



 瞼越しに、眩しい光が視界を包んだ。

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