第3話
ホームルームが終わると、教室の中はにわかに騒がしくなる。
最初は何の授業だとか、眠くてしんどいだとか、サバゲーが熱いだとか、顧問がウザいだとか。
朝はみんな眠気が抜けきっていないせいか、大抵どうでもいい話題ばかりが飛び交っている。
陰キャらしく教室の隅に座っている私は、教科書を広げながら周囲の話題に耳を傾けていた。
「ねぇ、そういえば斎藤さんのことだけど」
「椿ちゃんって最近、神隠しの巫女って言われてるよね」
「なにそれ都市伝説みたい」
「昨日の神社の特集見た?」
「彼女を最後に見たのが手水舎の前で」
「え、楠の下じゃないの?」
「神社に通ってたあいつ……そうそう木野。相当ショック受けてるらしい」
「あの子って小さい頃から不思議ちゃんで」
「神様に求婚されたって言ってたらしいとか」
「もしかして俺ら全員狐に化かされてたんじゃ」
「あの子と付き合った男子全員、神様に呪われて不慮の事故にあったとか」
「神様に頼んで嫌いな人みんな蹴落としてたり」
「なんにしろ可哀想だよね〜」
聞き取れた会話だけでも、全て斎藤さんについての話題だった。
あることないこと噂されて、それこそ可哀想に。
「おい、山田来たって」
その一言に、全員が口を閉じて一斉に姿勢正しく座り出した。
無言の時間が流れる。変な緊張感が教室を包んでいた。
「……おはよう」
そう言って教室に入ってきたのは、山田三蔵先生。古典の教科担任であり、この学校で最も怒ると怖いと言われている先生だ。
それ故に、どんなに騒がしいクラスでも山田先生が来れば、優等生クラスに様変わりする。
その時だけだけど。
「号令」
「気をつけ。礼」
日直の声に合わせて綺麗に頭が下げられる。こんなに揃っているのもこの授業だけだ。
まるで軍隊のようだといつも思う。
「最近は、何やらおかしな噂が流れているらしいな」
教室の室温が二度下がった気がする。
「どうだ、坂川」
「え、あ、そう、ですね……」
尋ねられた坂川という男子が、しどろもどろに答える。
「噂というものは、嘘が肥大していったものが多い。語り手が面白いと思うものに形を変え、いずれそれが事実として扱われる」
教卓に手をついて生徒一人一人を見回しながら語る姿は、いつか見た昭和ドラマの教師の動作とよく似ている気がした。
「もし、己の噂が学校中で囁かれているとすればどうだろう。きっと君らはここに来なくなる」
脳内に、斎藤が来れないのはお前らのくだらない噂話のせいだ、という声が聞こえてくる気がした。
きっと頭の固い山田先生のことだから、自分こそ事情をよく知らずに話してるのだろうけれど。
その後も私たちは長々としたくだらない説教話を30分ほど聞かされたあと、やっとのことで授業が開始された。
ただでさえ嫌いな人が多い古典なのに、こんな話をされると更にやる気が削がれる。
やっとチャイムが鳴った時には、どこからともなく安堵のため息が聞こえてきた。もちろん、先生には聞こえないほど小さなものだった。
山田先生が教室から離れると、すぐさま先生の悪口大会が開催される。
ウザいだのうるさいだの好き勝手言うのを聞いて、心の中でしきりに頷いていた。
最初の授業でみんな一気に疲れたせいか、その後の授業はいつもよりスムーズに始まってスムーズに終わり、気がつけばもう昼休みの時間だった。
お弁当を机の上に広げて一人でもぐもぐとしていると、隣の席の女子が珍しく話しかけてくる。
「西塔さん。一緒にお昼食べてもいいかな?」
「え……あ、どうぞ」
唐突な申し出に困惑しながらも、一応頷く。
彼女は森嶋 夏実。名前からしていかにも活発そうな印象を受ける。
もちろん期待を裏切らず、というか期待以上に陽キャなのだが、仲間内で騒いでいる時、彼女が稀に疲れたような表情をしているのを知っている。
きっと根はそこまではつらつとはしていないのだと思う。
「西塔さんって、名前可愛いよね」
「え、名前?」
私の机の横でパンを頬張る彼女に聞き返すと、こくこくと頷いた。
自分の名前を思い浮かべてみる。
西塔 柊――斎藤さんと同じ読みの名字と、男によく使われるシュウという名前。
柊の漢字を使う女子の名前は多くあるけれど、一文字で女に使うのは珍しいんじゃないかと勝手に思っている。
可愛いかと言われれば、あまりそう感じない。
「……男っぽいよ」
「えぇ!可愛いじゃない!西塔って漢字とか」
そっちか。
大体「西」という漢字が入っている名前は可愛く見える傾向にある。
西村、西森、西川、西島、山西、西園……漫画の中のキャラクターでも、美少女の名字に使われているイメージだ。
「そうかな。考えたこと無かった」
「私なんて森嶋だから。可愛さの欠片もない」
「夏実っていう名前も可愛いと思うよ」
相手が言ってほしいであろう言葉をかけると、予想通り顔を明るくして、それほどでも〜とにやけた。
ちょろすぎる。
「あ、そういえば椿ちゃんの話だけど」
椿ちゃん――彼女が斎藤さんのことをそう呼ぶのは、幼稚園からの幼馴染だからだと、以前陽キャ仲間たちに説明しているのを聞いた。
それなら他の人よりもさぞ心中穏やかではないことだろう。
それにきっと、こっちが本題だ。
「私と連絡とってるし、神隠しなんかじゃないんだよね。ただ体調崩しちゃったみたいで、熱が出たり引いたりしてるって言ってた」
「へぇ。ちなみになんで私にその話を?」
今初めて話したくらいの仲のクラスメイトに、突然そんな話をするものだろうか。
それとも仲良い私は真実知ってますよアピール?
「いや……いつメンに言っても、きっと雰囲気壊してつまんないって言われるだろうから」
あぁ、なるほど。
こっちは冗談って分かってて楽しんでるのに真面目に受け取って真面目に訂正してんじゃねーよ!と陰口を言われるのが怖いのか。
まぁ分からなくもない。
「ちなみに斎藤さん、噂のことは……」
「ううん、言ってない。言ったら椿ちゃん、来づらくなっちゃうかと思って」
話してみて初めて分かったことだが、森嶋さんはただ騒がしいだけの仲間たちとは違って、しっかり節度というものを知っているらしい。
そこまで苦手な人間ではないかもしれない。
「おい夏実ー!なんでそこいんだよ〜」
教室の反対側から大声で叫んでくるのは、仲間の一人である平戸
私から見て、グループの副リーダー的立ち位置だと思っている。
「ごめんごめん、今行くってぇ〜」
彼女の変わり身の速さはギネス認定されてもいいかもしれない。
「西塔さん話付き合ってくれてありがとね!」
森嶋さんはそう言って教室を出ていった。
結局、なんだったのだ。
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