第1話

 日の傾き始めた午後五時。


 夏も終わり、秋声が聞こえ始めたこの頃、周囲では奇妙な噂が流れていた。

 その噂というのは、「最近、二組の斎藤さんが神隠しにあっている」というもの。


 二組の斎藤 椿さんといえば容姿端麗、才色兼備、眉目秀麗、才貌両全。どんな賛美の言葉も当てはまってしまうほどに完璧な存在。

 言わば高嶺の花である。


 そんな斎藤さんの一族は代々神社の神主をしており、ここの土地神様を祀っている。

 その敷地の広大さと珍しい建築方式を見ようと、毎日遠方からの観光客で賑わっている神社で、お正月には初詣に訪れた人々が蟻の大軍のように押しかける。


 それに最近は毎日、巫女装束の斎藤さんを見ようと男子生徒がせっせと神社に通いつめているとか。


 そんな彼女は、最近学校に来ておらず、町内でも見かけることがないらしい。

 初めの数日は季節の変わり目ということもあり、体調不良が長引いているのかと、みんなあまり気に止めていなかったようだ。

 しかし、ニ週間が過ぎた今。流石に学年中に戸惑いの雰囲気がただよっていた。


 先生方からの説明などあるはずもないので、次第に噂話に尾ひれが付き、今では両足が生えてすっかり一人歩きしてしまう始末だ。


 なんかの病気を患ったという生徒や、誰かとの駆け落ちだとかいう生徒。

 そして挙句の果てに、神隠しにあったのでは、という予想が立てられたのだった。


 確かに優等生の斎藤さんらしくない行動に、何らかの秘密があるのではと勘ぐってしまう気持ちは分からなくもないが、あまりにも飛躍しすぎてはいないか。


「おい、プリント」


 ピラピラと音を立てながら視界を上下する薄っぺらの紙の存在にやっと気が付き、あっと言う声と共に相手の手から半ば強引に受け取った。


「お前ぼーっとすんなよ」

「はいはい」


 一応小学校からの知り合いである男子に軽くキレられる。


「ったく、同じ名字のくせして、斎藤さんとはえらい違いだよな」


 言い捨てると、相手は舌打ちしながら椅子に座り直した。

 こっちも舌打ちしてやろうかと考えて、やめた。


 そう、私の名字もサイトウなのだ。漢字は西塔。

 よりにもよって、斎藤さんと同じ読み方をする名字だなんて。そのせいで何故か、何度もため息をつかれてきたのだ。


 私自身、斎藤さんとの関わりは無きに等しいのだけど、名字のせいであまり彼女に対して良い印象をもったことはなかった。

 いや、だからといって別に虐めたり貶したりするつもりは毛頭ないけれど。

 彼女が素晴らしいのは紛れもない事実なのだから。


「おーい、お前ら話聞けよー。はいプリント見てー。最近不審者がよく現れてるらしいので、女子は充分に気をつけて帰るように。男子はまぁ……いいだろ」

「ちょ、せんせー!ひどぉい!アタシ心は乙女なのよっ!」


 クラスのおちゃらけた奴が、言葉に合わせてくねくねと体を動かすと、クラス中がどっと笑い声に包まれた。


「じゃあ河北は俺と一緒に二人で帰るか」

「うげっ、いや別に俺男だから帰れるって……」


 大人しく座った河北かわきたは、周りの男子につつかれている。

 残念ながら笑いに参加出来なかった私は、勝手な気まずさを誤魔化すように小さな咳払いをした。


「そんじゃ、気ぃつけて帰れよ。さようなら」

「「さよぅ〜なら〜」」


 まとまりのない挨拶をすると、生徒たちは一斉に鞄を持って机を後ろに下げた。

 そして我先にと走り去っていく彼らの後ろ姿をぼうっと見ながら、私ものろのろと帰路に着いた。



 見慣れた靴に足を入れると、早くも深まった秋の訪れを感じた。冷たい。


 開け放しのガラス戸から容赦なく吹き付けてくる強風が前髪を崩し、目を乾かす。必死に前髪を抑えて瞬きをしながら、風に抗って校舎を出た。


 まるで私を学校の中に閉じ込めておきたいと言わんばかりの風に、苦笑する。


 昔から風には好かれているようで、暑いと思えば心地よい風が肌を撫で、家の前に積もった落ち葉が邪魔だと思えば、すぐさま強風が落ち葉を全てかっさらい、学校に行きたくないと願えば、周囲の木々がほとんど倒木するほどの嵐が吹きすさんだ。


 故に家族には、いつか桜じゃなくて風に攫われるんじゃない?といつも笑われている。

 良く考えれば、桜吹雪も花嵐はなあらしによるものだから、どちらにせよそこまで変わらないんじゃないか。


 学校から20分ほど、行き合いの空の下をのんびり歩くと、右手に噂の渦中かちゅうにある神社が現れた。


 荘厳そうごんな雰囲気をまとう朱色の建物が、大鳥居の向こうにどっしりと構えているのが遠目に見える。

 境内には松や銀杏、杉と……あとは名前のよく分からない木々が、見事な紅葉と常緑の混ざりあう美しい風景を創り出していた。


 これなら神隠しにあったと言われても、誰も疑問に思わないだろう。ましてやあの斎藤さんだ。神様に見初められて傍に連れられたとしても、全くもって違和感はない。


「あら、学生さん?」


 突然の背後からの声かけに、心臓が勢いよく跳ねた。振り向いてみれば、近場のスーパーのレジ袋を片手に持った見知らぬおばさんが、にこにこと愛想良くこちらを見ていた。


 もしかして、この人が先生の言っていた不審者なのだろうか。プリントもよく読んでいなかったし、先生も性別までは言っていなかったので断定は出来ないが、私は懐疑かいぎの念を込めた視線を相手に向けた。


「あ、はい」


 驚くほどぎこちなく機械的な返答に、おばさんはやっぱり!といっそう笑みを深めた。


「そのスカート、椿の高校のものと似てたから思わず声かけちゃったのよ。もしかして、椿のお友達?」


 椿の高校……お友達……。その言い方から、目の前のこのおばさんが斎藤さんの親族であるのだと理解した。

 全体的にふっくらとした体型のせいで、似ても似つかないけれど。


 睨むような視線を慌ててやめ、曖昧な反応をしてしまう。


「え、あ〜いや、そんなに関わりはないんですけど……」

「でも椿を知ってくれてるんでしょう。丁度お饅頭があるし、上がっていって」

「え!?いやいや、そんな。斎藤さんは学校中で有名なので……」

「あら、そうなの……?椿、なにか学校でやらかしたりした?」


 途端に、笑顔から心配の表情に変わる。私は再び、慌てて訂正する羽目になった。


「あの子、学校ではそんなに優秀な子なのね」


 感嘆している様子を見ると、おばさんは知らなかったのだろうか。親族なのに?


「あの、ご存知なかったんですね」

「えぇ。あの子、家では全然そういうことは話してくれないから。ありがとう、教えてくれて」


 にこっと微笑むと、口元が少しだけ斎藤さんと似ている気がする。気がする程度だけど。


「いえ、それじゃあ私はこれで……」


 今すぐにでも帰りたくて仕方がなかった。親しくもない他人の親族と話すことほど気まずいことはない。


「あ!そうだわ!」


 せっかく上手く切り抜けられたと思ったのにまだ何かあるのかと、少し煩わしげに振り向く。


「ちょっと待っててね!」


 そう言い残すと、パタパタと軽快な足音を立てて石段を登り、境内の中へと駆けていった。


 数分して戻ってきたおばさんの手には、小さな赤色が握られていた。


「はい、うちの神社の御守りよ。持っていって」

「あ、ありがとうございます」


 仕方なく御守りを受け取り、背を向けて足早に去ることにした。


 ちょっと先で頭だけ振り向くと、まだおばさんはそこに立っていた。まるでこちらをじっと観察するかのように。



「ただいまぁ〜」


 ガラガラと音の鳴る、曇り硝子の古い引き戸を開けると、もあっとした室内の暖気が冷えた体を包んだ。


「あ〜あったか。姉ちゃーん、おやつ何〜」


 小学生のような呼び掛けをしてみると、二階にあるリビングから「餅〜」と返ってきた。


 急いで部屋の中に鞄と上着を投げ捨て、制服から部屋着に早着替えをしてリビングに飛び込む。お餅とお茶のいい匂いが充満していた。


「おいしそ〜」


 パクッと口に入れると、昔ながらのあんこの甘みが広がる。


 姉ちゃんが見ているテレビには、地元のローカル番組が映っているようだった。

 どうやら神社仏閣の特集のようで、案の定、地元で一番の大きさを誇る斎藤さんの家、「龍川咲神社」が大々的に紹介されていた。


「ここも昔から紅葉綺麗だよね」

「んー……あ、そういやさっき、そこの神社の人に御守りもらったんだ」

「え、なんで?……って、あぁそっか、同級生にここの神社の子いるんだっけ」

「でも、最近神隠しにあったんじゃないか〜とか言われて……あれ、でもあの様子だといなくなっちゃった感じしなかったな」


 今更になって思い返せば、斎藤さんがいなくなったならもっと憔悴しょうすいしていたり、心配していたり、焦っていたりするはずだ。

 少なくとも、神社の前にいただけの私なんかに構っている余裕はない。


「ただ学校に行きたくないだけじゃない。優等生でも、ほら、爆発しちゃう時だってあるでしょ」

「……そっかぁ」


 もきゅもきゅと餅を頬張り続けながら、確かにそうかと思い直す。


 神隠しなんて非現実的なことを、現実主義者の私がよく信じていたものだ。

 もちろん対象が斎藤さんだったとはいえ、流石にありえなさすぎる。


「それよりさぁ、今年初詣行けないから、年越し前に年末詣ねんまつもうで行くよ」

「あぁそっか、今年の正月は婆ちゃんとこ行くんだもんね」


 婆ちゃんのとこ、と言っても、既に私の祖母は二人とも他界してしまっているため、正確に言えば婆ちゃんと住んでいた母方の祖父と叔母家族のところだ。


 一家はここから離れた北海道の地に住んでいるので、年越し前に飛行機に乗って向かわなければならない。

 その前にお参りに行く予定であった。


「いつがいいかなぁ」

「十二月中盤辺りでいいんじゃない」


 そんなたわいのない会話ばかりしていると、ピンポーンとチャイムが鳴った。

 インターホンの画面を確認すると、宅配便の制服が目に入る。


「はい」

「あ、山田宅配です〜!お荷物お届けにまいりました〜」


 愛想のいい声がインターホン越しに聞こえる。いつもは低くて無愛想なお兄さんが届けてくれるのだが、今日は違うらしい。


「今行きますね」


 冷えた階段に素足を乗せると、ピクッと体が反応した。

 少しでも早くマットの上に乗りたいと、早足で駆け下りる。

 判子を持ってドアを開けると、冷気とともに、どうも〜という気の抜けた挨拶が入ってきた。


「判子かサインお願いしま〜す」

「はい……これで大丈夫ですか?」

「……はい!大丈夫です!ありがとうございました〜!あ、取り扱いにはお気を付けて!」


 ガチャンとドアが閉められる。なにか割れ物が届いたのだろうか?


 宛先を見てみると、私の名前が書いてあった。

 差出人は……あれ、書いてない……?


 取り敢えず、自室で開けてみることにした。

 ハサミでガムテープをザリザリと切ってゆき、蓋を開ける。目に飛び込んできたのは、梱包材の白だった。やはり割れ物らしい。


 ガサガサと言う音を立てながら梱包材を退け、中に入っていた桐箱きりばこを取りだそうとする。


「え、桐箱?そんな高そうなもの……」


 恐る恐る、薄い蓋を持ち上げてみる。


 ――中に入っていたのは、小玉だった。


 色は宝石ほど綺麗ではなく、白濁はくだくしており、サイズは人差し指の先ほど。


「石……?」


 つまみ上げてみれば、意外と質量があり重たい。

 不思議に思ってもう一度箱を覗くと、底に紙があることに気がついた。

 薄い和紙のようで、文字は墨で書かれているようだ。


 ――この小玉は「風神様の神球しんきゅう」と言われる御神体のひとつでございます。丁重にお祀りになってください。


「は、御神体?え、なに?」


 言葉ひとつひとつに、混乱せざるを得なかった。

 御神体を貰うつもりも、祀るつもりもないのだけれど。


 よく見れば、もっと小さな文字でなにか記載してあった。


 ――ごめんなさい。私たちのため、神託しんたくのためなのです。


 心臓がドクドクと波打っている。なに、どういうことだ。


「神託って言っても……」


 ふいに、ツンとした部屋の冷気が、ふわっと暖かな空気に変わった。次第にお香のようないい匂いが鼻をくすぐる。

 近所のお祭りの行進で聞こえる、シャンッという鈴の音と共に、艶やかな白布が私の頭上で波打った。


「久しいな。山茶花さざんかの姫よ」


「……え」



 歯車が、回り出した。

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