第32話 もののけ女将
「社長! 社長!!」
いつも騒がしいが、今日は一段と騒がしい新入社員、平角が叫びながら部屋を叩く。
「どうした? 足音を立てないようにって言ってるだろう?」
「それが、そうじゃないんですよ!」
「そうに決まってるだろう?
お客様に対して不快感をな」
「違うんですって!!
女将さんが!!」
「あ、もう。うるさいな。
風呂にカビでも生えてたのか?」
人が来ないが、最近は通信販売で健康になる温泉の水を販売し始めると、老人から人気になって新入社員を雇える程度の蓄えができた。
と、言いつつ。
それ以外は社長と女将との二人体制。たまに旅館の予約があれば市内の料理人をシフトで雇う契約になっているので、実際これで回っている。
平角は、基本的に「健康の水」のパッケージングと発送だけを頼んでいたはずだが、いつの間にか女将の使いっぱしりになってしまった。
煩いなと席を立って平角の方へ
「風呂掃除はいつもと同じ時間にやってます。きれいです。
違いますって、ほらぁ!!」
「うわぁ!?!?!?
おま、お前って、………手が!?」
平角の右手首から下が無くなっていた。
「き、きゅう、救急車を!!」
慌てて、部屋の中の電話機を取りに行くが
「大丈夫っすよ。
痛みというか、出血してないですよ。
それに、なんか感覚が残っててーー」
「それは、幻肢痛だよ!!
危ないから、早く病院へ!!」
「あ、焦んないでください!
そうじゃないんです。女将が」
ついてこいと走る平角の背を追って社長も足を早める
着いたのは【鶴見の湯】
の、サウナの入り口。
「サウナ。
女将は?」
「中っすよ」
「掃除中か?」
「まずは入ってください」
背を押されながら社長はサウナの扉を掴んで。
それがいつもの重さではないことがわかった。
「へあ?」
気の抜けた声が出て。
扉が開いた先にはどこまでも続く薄明かりのある洞窟が続いていた。
「確かに、サウナは山を削ってその中に作っては居るが………。
?? 壁が崩れた??
わけはないはずだし。
女将は??」
頭を捻りながら平角の方を向いて
「中に入っていきました。
多分、才能(タレント)を持ってますよ」
「ダンジョン………なのか??」
社長はあんぐりと口を開いて、その洞窟の先を見つめていた。
●
「これで39個目」
最初の3つの温泉に入っただけで目的がスタンプ集めになった俺は端から攻めていく作戦をとっており、国道500号線沿いの5つもの温泉旅館のある【地蔵湯前バス停】周辺集落にいた。
「お客さん」
「どうしました?」
「温泉は入らないのですか?」
「また、夜に入ろうかなと」
「スタンプは温泉に入った人が押すんですけどね」
「ここに置いてるから」
出入り口に置いてあるので、勝手に押し放題だった。
入ってすぐスタンプを見つけて押したあと直ぐに出ていこうとする俺を見咎めるのか、そのスタッフは顔をしかめる。
お? 俺は客ぞ?
「それは、そうなんですけどね」
「じゃ」
そんなスタッフを無視して、俺は次の温泉に向かう。
「ここは回ったか。
次は、少し離れるかな?」
「お客さん。
温泉街に来て温泉に入らないのは気に入りませんので」
と、旅館から出たのにスタッフが着いてきて俺に話しかける。
「うおっ。びっくりした。
何? でも、もう温泉入るの疲れたし」
「疲れを取りに来てそれは」
「だって、いちいち脱ぐだろう? そうして上がって服を着て。
それを3回もやれば飽きる」
「早すぎでは?」
「正直温泉の違いなんてわからん」
「温泉旅館の人に向かって言うセリフではないですね」
「硫黄の匂いが濃いか薄いか程度しか判別できん」
「確かに。お湯に浸かる動作に違いはないのかもしれません。
効能なんて何度も入らないと実感ができないのかもしれませんが」
「そうなんだよ。じゃ」
別れようと俺は歩きはじめるが。
そのスタッフは俺の速歩きに並走しながら
「温泉街に来て温泉に入らないのは気に入りませんので」
「なんだよ。
同じセリフばっか。NPCかよ」
「ははは。どう思われても結構。
自分のオススメの旅館を教えますので、一度入ってきてみては?」
「なんで?」
と。俺はスタンプラリーの台紙を広げて
「どこ? 遠かったら明日とか明後日とか。
行かないかもしれないけど」
「ここです」
示す先。
そこは、温泉スタンプの置いていない場所。
温泉はそこに無い。
「なにもない」
「違うんです。ここは限られた人しか知らない秘境温泉宿【鶴見の湯】です」
「ほんとぉ??」
自信満々の温泉スタッフだが、そこに行っても何もなかったら気苦労は計り知れない。
そこは、今いる旅館から結構遠かった。
といっても、ここから泊まっている旅館より近い場所ではある。
「山だしなー。自転車とか、ないかなー??
それとも、送ってくれないかなーー??」
俺は横目で温泉スタッフを見て。
フフンと鼻を鳴らすので、
「もちろんですとも」
「でも、どうして俺に紹介するんだ?
俺は自分で言うのはなんだが、あんまり温泉自体に興味があるわけじゃないぞ。
広い湯船と温泉という響きが好きなだけだ」
「理由は、そうですね。
一度福岡の【カイリちゃん復活祭】といえばわかりますか?
そこで見たんですよ。カイリちゃんと仲が良さげでしたね」
端末をポケットから取り出して、盗撮したのか俺とカイリちゃんが喋っている光景が写った写真を見せてくる。
「! もしかして、山に連れて行って俺を殺す気だな?
こう見えても俺はトラベラーだ。一般人には負けんぞ」
「はぁ、はぁ。
生カイリちゃんを見たのはこれが初めてでした。
自然な笑顔を見せるカイリちゃん。その相手はお前だった」
「正体を表したな。変態め」
「そう。カイリちゃんを崇拝しているのはお前だけじゃない。
だが、どうしてお前がカイリちゃんから特別扱いを受けているのかわからない。
絶対カイリちゃんから踏まれてるだろ?」
「踏まれ?? 意味わからん。
だが、カイリちゃんを窮地から救った。それがきっかけではある。
しかしそれだけだぞ?」
「嘘だ!! それだけで無表情カイリちゃんの屈託のない笑顔を見る権利が得られるわけがない!!」
「いや。カイリちゃんの命を救ったんだって」
「オレも助ける!!」
「無理だろ」
「ダンジョンに行く!!」
「別府には無かったはずだけど?」
「旅館やめる!!」
「止めはしないけど、辞めたほうがいいんじゃない?」
「やーめた。もーいーもんねー。
今からやめたしー」
旅館の制服を脱いで捨てた。
そうして旅館スタッフから無職になった男が俺に向かい合う。
「お前を殺す」
「返り討ち」
●
「おーい。おかみーー」
社長は恐る恐るダンジョンに入る。
右手のない平角もそれに続いて
「気をつけてください。
トラがいました。トラが俺の手を噛みちぎって。
あ、今ベロッベロに舐められてます」
「それは幻肢痛だ。現実を見ろ!
気をたしかに持て! お前は今右手をなくしている!!」
「いや、感覚はあるんですって」
壁を伝って歩く社長の足取りは遅く。
女将には絶対に会えそうにないなと、平角は思っていたが
足音が遠くから聞こえてきて
一本道の遠くから影が近づいてくるのがわかる。
「しゃちょ」
「しっ!」
二人は壁と一体化して息を殺した。
「あら? 社長。どうしたんです?」
やってきたのは女将だった。
両手には抱えきれない程大量の魔石があった。
その背後に
「お、女将!! 後ろ!!!」
女将の身長より二回り以上大きな獣の影。
それは、平角の右手を食い千切ったトラだった!
女将を守ろうと社長が動くが、それを察知したトラが「ゴォォ」と吠えると社長は腰を抜かしてその場に軟体動物のように倒れ込んだ。
地面にシミを付けて、それを見て女将は喜び笑っていた。
「あっははは。おっかし」
「女将!!」
「これは私のペット」
トラの首筋を撫でながら女将は言って
「獣使いがあたしの才能(タレント)だったみたいよ」
「そのトラは」
「たまたまテイムに成功したの。かっこいいでしょ」
んべぇ。とそのトラの口が開いた。
そこには平角の右手が飴玉のように転がされていた。
「ほらぁ、社長。やっぱり感覚あるんですって」
当の社長はピクリとも動かなくなっていた。
●
「ご、ごふっ」
血を吐きながら
「こ、ここが【鶴見の湯】だ」
「へーぇ。山の中にありすぎて車から降りて」時計をみて「30分経ってるけど」
無職男は靴を脱いでスリッパに履き替えたあとその場で寝転んで
「げ、限界だ。
お前。手加減しろし」
「殺すなんて言って掛かってくるやつになんで。
まぁ、一般人のお前を返り討ちだけに押さえておくなんて、俺ってば優しい」
「ボッコボコにされて、その足で山道を30分歩かせる。
明日は本当に出勤できなさそうだ」
「辞めたんだろう?」
『ゴォォォぉ』
「おい。勝負はついたんだろ。
オレの上からおりろ。呼吸するのもきつい」
うつ伏せの無職男の上には、見たこともないほど巨大なトラの左前足が乗っていた。
「でっか」
「でしょう? いらっしゃい。
お客さんなんて珍しい」
「女将。珍しがったら駄目でしょ?」
右手を引きずられている男が、挨拶をしてきた女性に向かって
「お泊りですか? お食事ですか? お食事は予約制なので本日は提供できませんよ。温泉に入りますか? でも本日はダンジョンが出来たので温泉には入れませんよ? お泊りですが、今日はおすすめしませんよ。
ここに化け物がいます」
『ゴォォォ』
トラの、呼吸音だろうか? 鳴き声? が男の声に反応しているようだ。
「あ! お水があります。
健康になりますよ? 買いません? 一本200円なんです」
女将がどこからともなく取り出した1.5Lのペットボトルに入った透明な水。
「あ、まずオレの上からどいてもらえます?」
無職男に乗っていたのはトラだけじゃなかった。
「あら、ごめんなさい?」
『ゴォォォ』
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