第6話 ふっかつ の カイリちゃん
31年7月8日 08時46分
定食屋から博多ギルド広場までは30分ほど歩いた距離にある。路面電車を使えば早く着くのだが、生憎と余り電車は得意ではないので運動のついでに歩いている。
チャプン
ポケットにねじ込んだ女神の瓶から違和感を感じた。
少しだけ重みが増えた気がした。
「まさか」
ゆっくりと取り出してみると、そこには【復活の薬】が入っていた。
「これは、復活の薬が生み出せる瓶?」
もしそうなら兆の桁が動くだろう。
しかし、条件がわからない。1時間おきに生み出されるのであれば、夜に帰ってきてから溢れていないのがおかしい。
いや、最大値以上に増えないのだろうか? すると、5回分損したのだろうか?
気にしては仕方がない。とりあえず、別の容器に移し替えておこう。
「………………ああ。金がないな」
勿体無いので飲んでおこう。
フワッと体が軽くなる感覚。少し歩いて痛んだ体が回復したのだろう。
かなり勿体無い使い方だ。もし増えなかったらどうしよう。と考えたが、最初は瓶だけを売るつもりだったのだから関係ないか。と思い直した。
「でも、流石にこれを売ったら今まで通り生きていける自信はないなぁ」
絶対に政府でも何でも目をつけられることは間違い無いだろう。
実際にはやってみないことにはわからないが、厄介なのは絶対。
「ダンジョンに潜るかぁ」
今日は昨日食べ損ねたディナーを食べたい気分だった。
少しだけ深く潜ろうかと思考を巡らせながら取り敢えずギルド会館へと向かった。
スキルレベルが上昇したため、ギルドカードを更新しておこうと思ったのだ。
パーティメンバー募集の時にギルドカードは必要になる。そのため、更新はこまめにしておくのがマナーだ。才能(タレント)にはデメリットが発現することがある。それを報告しないのは仲間の命、それに自分の命を終わらせることになる。
一応俺も育成高校出身であるために、そういう形式貼ったところは多少気にする。
女神の瓶を売るか売らないかは後で考えることにして、取り敢えずギルド会館でギルドカードの更新をすることが優先された。
31年7月8日 10時12分
ギルドカードの更新を終わらせて(ほとんどは自己申告)、カードを新規発行してもらった。
少し待ち時間が長かったので、クエストボードで簡単で一日暮らせる程度の報酬はないかとみていたが、そういう類のクエストはほとんどギルド会館が開く6時ごろに奪われて行ったみたいで、今はCランク以上のクエストしかなかった。
俺のランクはCランクで、正直クエストボードの依頼は熟せる物も大半だった。しかし、1日以上かかると予想されるので、本当に切羽詰まった時にしかやりたくないのが本音である。
と、特に何もないので<天神ダンジョン>にでも行こうかと思っていた時。
「なんか、騒がしいな」
広場の中、人だかりが出ていた。
野次馬だろう。その群衆の中心で人でも倒れたのだろうか?
俺も野次馬なので興味が出たので覗きに行った。
「もっと高ランクのものはないの? お金ならあるから」
「申し訳ないです。本当にAランクポーションしかなくて。
回復阻害はどうしても難しいです」
「でも。もうカイリは死にそうなのよ? どうにもならないの?」
片腕の女は平謝りする男たちに問いかけるが、どうも反応が悪い。
しかし、Aランクポーションを阻害できる呪いか。どこまで深く潜ればそんな敵と戦うのだろう。
「もう、諦めるしか、ないのでしょう、ね」
「ごめん。すみー」
掠れた声で横たわる女の子。あれ? 彼女はみたことがある気がする。
「Sランカー?」
狂墨(クルス)パーティの別名である。
俺は知っている。Sランカーのそのツインテールの彼女は「魔法少女カイリちゃん」。
実はサインを持っている。狂墨パーティに入る前は様々なダンジョンやギルドでアイドル活動兼ダンジョン布教活動をする政府公認のダンジョンアイドル。
その実力もお墨付きであり、それは政府指定攻略院の一人であることから窺い知れる。
その、アイドルが、ここにいる?
「狂墨が負けたらしいぞ」「半壊だってよ」「他のやつは死んだのか?」「なんだよ、最強じゃねーのかよ」「やっぱ国も可愛い贔屓なんだよな」「実力は元々なかったんでしょ」
野次馬がこそこそと喋っているが、そんなわけがない。
実際にこの目で見た狂墨パーティの実力は屈指だった。特に吐出している狂墨の攻撃の破壊力は確かに世界から核兵器を無くす程度の威力はあった。
それが、負けた?
狂墨はどこにいるんだ?
この場には3人。一人は魔法少女カイリちゃん。一人は魔女のような風貌の女性。
こちらに顔を向けていないが、右腕のない女の子が、もしかして狂墨なのだろうか?
余裕のない顔。焦っている顔。絶望した顔。
顔立ちが整い、瞳が大きいのが特徴の狂墨。彼女の幾つもの感情が重なってなんとも言えない表情を作っている。それは元の聖女のような容姿からは想像もできないほどにかけ離れており、最初はわからなかった。
それに、右腕が無くなっている。狂墨の利き腕だったはずだ。世界の均衡を保つ一人である狂墨がこんなところで腕をなくして。
俺も複雑な感情が生まれた。
「あれ?」
そう言えば、俺は変な薬を持っているじゃないか。
【復活の薬】。
これこそ噂に聞くような効果があるのなら、こんな時に使うべきなのではないだろうか。
元はと言えば運良く手に入れただけの薬だ。
ここで使う運命だったのだろう。なくならないけど。
「あの、狂墨さん!」
大きな声を出して人混みをかき分けて中心に入る。
「何? それどころじゃないの」
「これ。使いませんか?」
ギロリと俺を睨む。
美人に睨まれると心にグサッとくるな。
「【復活の薬】です。今売りに行こうかなと思ってたんですが」
「そんな都合のいいタイミングで出されても。
何が目的? いやそれは本物?」
疑う。そりゃあそうだろう。
瀕死の三人で、多分今ならBランクのトラベラーでも勝てそうだ。
しかも呪われているから薬にも抵抗できないだろう。それに、腕がなくてもかなりの美人であることに間違いない。それに加えてカイリちゃんも魔女も例に漏れず。
政府直属の薬屋は間違い無いだろうけれど、一般人が出してくるそれはさすがに疑わざるを得ない。そりゃそうだ。
「えっと、昨日ダンジョン内で見つけたんですけれど」
「どこ? 何層?
普通の回復薬じゃ効かないから」
「え、5層ですけど」
「そんな低層の回復薬が効かないってわかるでしょ? 見てわからないの? トラベラーやめたら」
「えっと、これは【復活の薬】と言いましてね」
「もういいから。何処かへ行って」
手で追い払われる。
「性格悪いな」「見て、鑑定は本当にその名前」「そんなに余裕がないのか」「確かに怒ってても可愛いが」「ファンの好意も蔑むのか」「ほんと八方美人だね」
せっかく本当のことを言っても信じようともしない。
さすがに、魔法少女カイリちゃんを死なせるわけにはいかないので、もう少し粘ることにする。
「いや、本当なんですって。ほら、この瓶を見てくださいよ。神々しいでしょ? 名前は見えてるんでしょ? 俺が嘘ついてるわけじゃないんですって」
「後どれくらいでここにくるの?」
俺を無視して政府の薬屋と話している。
野次馬からは俺は白い目で見られているが、みるだけの彼らとは違って、俺には確かに武器がある。
「解呪師なんてちゃんと常備してなさいよ」
「申し訳ないです。まだ新宿ダンジョンほど攻略が進んでないので解呪は後回しになって」
「そんな言い訳はいいの。もっと急いで」
「1時間はかかるかと」
「そんなに待てない!!」
「だから、ここに【復活の薬】があってですね!」
「あんたうるさい!」
「どんなに急がせても30分は切れないと」
「もっと早くなるでしょ!」
「この薬は、全てを使用者の通常通りに戻す。と説明文に書いてーー」
「ねぇ、うるさいって言ってるでしょ? そんな底辺ランカーなんてどっかやっちゃってよ!」
野次馬は動かない。
「カイリちゃんが死ぬのは見過ごせない! カイリちゃんのためを思って言ってるんだ。
俺はカイリちゃんが好きなんだ!!」
アイドルに費やした時間。育成学校時代の大半はカイリちゃんの歌を聞いていた気がする。
彼女が目の前で居なくなるのはあり得ない。
「あり、がと、ね」
カイリちゃんが俺を見た気がする。
「でも、そんな低層ポーションが効くわけないでしょ!!!?」
狂墨(クルス)は発狂する。
俺も狂った。
「うるせーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
瓶の蓋を開けてカイリちゃんに投げつけた。
「な、何してんの!?」
瓶はグルグル回りながら、中身を飛び散らせながら雨を降らせた。
最後にカイリちゃんの頭にあたり
「あいたー」
という気の抜けた声とともに瓶に残っていた大半はカイリちゃんの服を濡らす。
一瞬で俺の前に移動した狂墨にも投げた瞬間に顔面に液体がかかっており、片目を閉じながらでも左腕だけで、俺を弾き飛ばし背中に足を乗せ圧迫する。
腐ってもSランカーかと、自分の実力不足を嘆く。本当に何も見えなかった。
次の瞬間だった。
ボコボコボコと狂墨から煙が噴き出した。
最初はなんの技で俺を殺すのだろうかと思ったが、違ったようだった。
苦しみ始めるのは狂墨だった。
足が離れ、俺は距離を取る。
暴れる狂墨のせいで、野次馬はかなり遠くまで離れて行ったので、今はスペースがあった。
肉が弾ける。反る肢体。倒れて痙攣を始める狂墨。
俺はなんてことをしてしまったのか。という罪悪感に苛まれる。実際俺が飲んだ時には何もなかった。もしかして、かける物ではなく飲むことでしか効果を発揮しないのだろうか?
だが、欠損していた右腕の肉が動き始め、増殖する。
細胞1つ1つが動いているように、気持ち悪かった。それに目が離せなくなった。
そうして、それはすぐに治った。
結果として狂墨の右腕が治った。完治というか復活した。
そうだ。狂墨よりもカイリちゃんだ。
と、目線をそちらへ向けた時に、魔法少女カイリちゃんはそこに立っていた。
先ほどと違って顔色の血色もよく流れ出していた血量なんてなかったかのように、平然と立っていた。
が、たくさんの薬を浴びたからか服は艶かしく体に入りついていて、あまり凹凸のない体を主張していた。
俺が見ていることを認識してか、ゆっくりと歩いてきた。
「か、カイリちゃんだ」
俺は夢を見ているようだった。アイドルが、ステージの上の存在が、天上の存在が、テレビの向こうのカイリちゃんが、今ここに居た。
俺は涙を流していた。それは天使だった。神が人類に遣わした天女だった。
いや、彼女こそが神だった。唯一にして無二の存在。
魔法少女カイリちゃんが、そこにいた。
俺は無意識のうちに跪いていた。恍惚な表情で見上げていた。
世界を統べるのはやはり、魔法少女なのだと。
いつの間にか、俺の周りには跪き頭を垂れている信者がいた。
魔法少女は絶対なる存在で、何人たりとも侵されることのない絶対の存在であることを認識した。
世界は全て魔法少女を中心に回っているのだ。
「あっと。えっとね。」
なんと声をかけていいのか迷っている様子だった。
はにかんでいる。
しかし、何も言わなくていいのだ。カイリちゃんはそこでいるだけで至高の存在なのだから。
「ふっかつ、したよ」
ニコッと、歯を見せながら笑った。腰のあたりで恥じらいながらピースサインを作っている。
ぶっふぉと、俺の周囲の信者が数人力尽きた。
どくどくと血を噴いているのがわかる。俺も危なかった。
今までのカイリちゃんから全く想像もつかない攻撃力を誇っていた。
どちらかと言えば、魔法少女カイリちゃんはダウナー系アイドルという立ち位置だ。
元気っ子アイドルも一緒に活動していたが、俺は断然カイリちゃん派だった。その対立は深く深い話があるので別のところでやろう。
あまり、喋らないがやる気はある。そんなめんどくさそうな態度で歌って踊って、俺たちの心臓を鷲掴みにされたのだ。特に、衣装と体と顔が最高なのだ。
それこそ現代に舞い降りた高次元のアイドル魔法少女カイリちゃんなのだから。
おっと。違う。つまり、あまり能動的に活動せず、基本無表情でジトーっとした瞳でニヤリと笑うのだ。その笑顔がたまらなく可愛い。というキャラだったはずなのに。
「えっと、だいじょうぶ?」
あの笑顔は、反則だ。もう俺のライフポイントはない。
「あの、これありがとう、ね」
そう言って、俺に【復活の薬】の瓶を返してくる。
ああ、これはもう売れないな。と、心に決めた。
「こんなに、好きっていってくれたひと、いなかったから、びっくり、した」
「きょ、恐縮です!!」
「ふふっ」
口に手を当てて、微笑んだ。
柔和なその笑顔に俺は瓶を握りしめながら気絶した。
●
3分後に再起動した俺は、ことの成り行きを見守っていた。
だが、一向に狂墨は起きないことが心配になった。
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