第36話 悪趣味の流儀

「はっ?」

「えぇッ!?」


 大団円を喜ぶ輪の中に、当たり前のように参加しているグレイシス。彼女の存在に気付いたサイトスはぎょっとしながらブリジットを背に庇い、イルファリアは驚愕しながら姉の顔を見つめる。


「お、お姉様!? どうして……あなたはさっき、私のいい感じの攻撃を受けて、光の海へ消えていったはずでは……!!」

「うふふ、変わりがなくて嬉しいわ、イルファリアったら。毎回毎回、面白いぐらいにだまされるんだから……」

「う、うぅ……!!」


 ……どうやらこの手の姉妹対決が行われるのも、倒されたはずのグレイシスが蘇ってくるのも初めての展開ではないらしい。恩人なのであまり悪口は言いたくないが、女神イルファリア、姉が相手だと弱気なへっぽこ妹の側面が強く出てしまうようだ。彼女の悪趣味の標的になってきたことを考えれば、無理もないが。


「……さてはスノーブルー貴様、グレイシスがやられていないと知っていたな……?」


 一人だけ、微塵も驚いた風のないスノーブルーをサイトスはにらみつけた。


「まあね。イルファリア様のお力はボクよりは断然上のようだけど、グレイシス様を完全消滅させられるほどのものではないし」

「う、ううっ……」


 情け容赦のない観察眼は、自身とイルファリアの実力までも正確に見切っていたようだ。その上でわざとらしく消えたグレイシスがどうする気かも、彼女と共闘関係にあるスノーブルーには予想が付いたのだろう。

 そう、一度は消えてみせたグレイシスは、なんのために出てきたのか。気が済んだので適当に切り上げて退散したのなら、再登場の意味はないはずだ。構えを取るサイトスではなく、彼の後ろへとグレイシスは呼びかけた。


「おやめなさい、ブリジット。わたくしにもう戦う気はないし、あなたではわたくしに勝てないわよ」


 グレイシスも今やサイトスより、自らが導きイルファリアの代行者にまで成長させたブリジットのほうが格上の敵だと見抜いている様子だ。


「……分かるものですか。なら、どうして出てきたの。単に勝ったと思い込んでいたイルファリア様をいたぶるため?」

「うえーん」

「お嬢様、それぐらいにしてあげてください! この方は私たちの恩人なのですから……!!」


 本気で泣き出しそうなイルファリアが哀れで、仲裁に入るサイトスの頭越し、グレイシスはブリジットの問いに答える。


「いいえ、それだけではないわ。わたくしの望んだ景色を、間近でゆっくり鑑賞するためよ」


 実妹で遊ぶことは否定しなかったグレイシスであるが、大団円を破壊するつもりはないようだ。


「あなたの、望んだ景色……?」


 いぶかしそうなブリジットは、グレイシスの悪趣味をよく知らないらしい。あ、やばい、とサイトスは思ったが、遅かった。


「わたくしはイルファリアとは別の立場からヒロインを愛する者。あらゆる手段であなたたちを試し、苦しめ、血の涙を流させる。なぜなら傷付き藻掻き嘆く時のあなたたちが、もっとも美しく輝くから……!!」


 悪役令嬢ぶっていた頃から変化のないヒロイン哲学を、グレイシスは再び披露し始めた。サイトスがおそるおそる背後を窺うと、初耳らしいブリジットは非常に険しい顔をしている。


「イルファリア様、代行者である私と女神様の同時攻撃なら、なんとかなりませんか」

「ど、どうかしら……試してみてもいいけれど、でも、この感じだとお姉様は、多分……」


 まだへっぽこスイッチが入ったままのイルファリアであるが、さすが何度も同じ展開を繰り返しているだけはある。グレイシスの言いたいことを察した様子だ。


「だけどね、悪趣味にも流儀というものがあります。わたくしは悲惨な運命を背負ったヒロインが大好き。時には彼女を傷付け、時には彼女と共に傷付く、ヒーローもそれなりに好き」


 流し目を食らってサイトスはぞっと背筋が冷えたが、グレイシスは最後にこう結んだ。


「だけど動物虐待は、いまいち食指が動かないの。それだけの話よ」


 その一言でサイトスは気付いた。ブリジットがレヴィンの評価をエンディング付近でいきなり下げたのは、彼が「子供の頃は動物を殺していたタイプ」のクズだと思い込んでいたせいだったのだ。意識の水面下にあった「ねこちゃん」の悲しい記憶が、特に動物をひどい目に遭わせるタイプの男への不快感として表れたのだろう。


「レヴィン殿下は、そんな方ではなかったのだがな……」


 とんだ風評被害である。それだけブリジットがねこちゃんを大事に思ってくれていたことを割り引いても、ため息を付かざるを得ないサイトスだった。


「お姉様ったら……」


 イルファリアもまた、盛大なため息をついた。先程までのブリジットのように、彼女は恨めしげにグレイシスを見つめる。


「どうしてあなたは、ヒロインとヒーローがごく当たり前にくっついて、誰もが笑顔で終わるエンディングだってお好きでいらっしゃるのに、それで満足してくださらないの……!?」

「嫌いだとは誰も言っていないわよ、可愛いイルファリア。あなた好みの、端から端まで砂糖で固まったような世界もわたくしは愛しています。ただ、砂糖の甘味を引き立てるには、ちょっぴり塩を振るものでしょう?」

「塩の塊でなぐりかかってくるくせにー!!」


 少女のようにきゃんきゃんと噛み付いたイルファリアは、澄んだ瞳を潤ませた。


「私は……私はただ……お姉様とお気に入りのドレスを着て、ゆっくりお茶を飲んで、静かに語り合いだけなのに……お姉様はいつも、お茶に毒を入れたり暗殺者をけしかけてきたりなさるんだもの……!!」

「ああよしよし、泣かないで、可愛いイルファリア。今回もよくがんばったわね、あとであなたの望みどおりにお茶にしましょうね」


 少女というより、最早幼女のように駄々をこねるイルファリアをグレイシスが半笑いであやしている。グレイシスがイルファリアを(歪んだ形で)愛してやまないように、イルファリアも何度も裏切られながらも、姉の真っ当な愛情を求めずにはいられないのだろう。勝手にやってろ。二人には世話になった身ではあるが、こっちがそのせいで散々振り回されたこともあって、つい悪態をついてしまうサイトスだった。


「ヒロインとヒーローが、ごく当たり前にくっつく、か……」


 一方ブリジットは、イルファリアの繰り言の一部を復唱したのち、すうっと深呼吸した。サイトスの腕を軽くつつき、なんでしょうか、と向き直った彼を見上げて告げる。


「分かったわ、サイトス。許してあげるから、私と結婚して」

「は?」


 グレイシスの再登場にすっかり気を取られていたせいもあって、間抜けな声を出してしまったサイトスからブリジットは気まずそうに眼を逸らす。


「べ、別に……サイトスが私に、そういう気持ちがないのは分かってるけど……でも……あなたは今、攻略対象なんでしょう? なら……あなたと結ばれるのが、真っ当なエンディングというやつよね……?」


 つっかつっかえの申し出に、少し考えてからサイトスは慎重に言葉を返す。


「ブリジット様、無理をなさらないでください。散々誰かと結婚しろしろと言ってきましたが、私の視野が狭かったからです。……好きでもない男と、無理にそのようなことをする必要は……」

「誰が、好きでもない男と結婚するなんて言ったの」


 いきなりきっとにらみつけられ、もっと間抜けな顔になったサイトスからブリジットは再び眼を逸らした。晴れ渡る青空の下、赤く染まった目元を隠すものは何もない。


「私……私は……サイトスが……サイトスなら……」

「そ、それは」


 それは……それは、つまり。にわかに騒ぎ出した心臓が声を震わせる。きらきらと光る目元に、自分と同じように染まった頬に、想いが通じたとブリジットも理解した様子だ。それゆえにか彼女は、急に自分の猪突猛進ぶりを後悔し始めた。


「あ、あの、あのね! でも、ごめんなさい、私、勘違いだったらどうしよう……! だって私、男の人にいい感情を持ったことがないの。だけどサイトスといるのはとっても自然で、怖いなんてちっとも思ったことがないの! 急に触られるとちょっとびっくりしちゃうけど、あなただって分かれば大丈夫だったし……こ、この先、お互いに独身でいて、あなたに言い寄る人とかが出てきたら……嫌だし……」


 早口にまくし立てた挙げ句、勝手に未来を妄想してしゅんと黙り込んでしまったブリジット。乙女ゲームへの転生にも動じることなく、辛い思いをしてきた反動か達観しすぎているきらいのあった彼女が見せた、年相応の迷い。


「勘違いだと分かったら、離縁していただいても一向に構いません」


 迷っても構わない。間違ってもいい。理由も聞かず、理解する気もなく、気まぐれな暴力で彼女を支配するような男はここにはいない。……女のほうには少々怪しい存在がいるが、あの様子だとこれ以上の妨害をしてくることはあるまい。自分が元猫であることに、感謝する日が来るとは思わなかった。


「あなたに助けてもらえなければ、俺は生まれてすぐに死ぬはずだった。短い間でも愛され、守られる喜びを教えてくれた、勇気あるあなた。愛しています、ブリジット様。どうかこのサイトスめと、結婚してください」


 恭しく胸に手を当て、真心込めてのプロポーズは、弾けるような笑顔によって報われた。

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