第34話 助けたかった

「サイトス!」

「あなたの相手はボクです、イルファリア様!!」


 イルファリアは悲鳴を上げるが、スノーブルーの執拗な攻撃の手は休まらない。その間にも二度、三度、サイトスは鞭打たれては床の上で跳ね、くぐもった悲鳴を上げ続けている。さすがに無気力ではいられなくなった様子だが、絶対的な破壊の女神の力の前には、どのみち手足を丸めて耐えるしかない。

 いつかのブリジットの兄のように。

 あるいはブリジット自身のように。


「や、やめて」


 霞がかっていたブリジットの意識も否応なしに晴れていく。見る間に傷だらけになっていくサイトスの姿が、ブリジットの心の深い部分に、彼自身が施した最後の封を跳ね飛ばす。

 助けたかった。

 守りたかった。

 だが、願いは届かなかった。

 優しかった兄の豹変に続き、一度は与えられた希望を踏み潰されたことが、前世のブリジットから生きる気力そのものを奪い去った。 


「やめて、もうねこちゃんをいじめないで!!」


 前世のブリジットはネグレクトを受けて死にかけていた幼子でしかなかったが、今の彼女はこの世界の中心たるヒロインであり、女神イルファリアの代行者である。その絶叫は力の波と化し、グレイシスをまっすぐに狙う。グレイシスはすかさず鞭をさばいて払い落としたが、表情は鞭打たれた者のそれだった。


「……ねこ……」

「……ちゃん?」


 スノーブルーもきょとんと瞳を見開き、二人は揃ってぼろぼろの状態で倒れ伏しているサイトスを見やる。その隙にイルファリアは、スノーブルーを無視してグレイシスへと一気に距離を詰めた。


「これで終わりです、お姉様!!」

「きゃあッ……!?」


 皮肉にもサイトスを庇う必要がなくなったイルファリアは、創世の女神としての力を存分に振るうことができた。炸裂した白い光がグレイシスを飲み込み、床によってぎりぎりで部屋の中とされている場所の向こう、金の光の海へと彼女を突き落とした。

 続いてイルファリアはスノーブルーにも仕掛けたが、彼はグレイシスと違って氷の盾を生み出し直撃を避けた。それでも床には叩き落とされることになり、そこで動かなくなった。


「ね、ねこちゃん。しっかりして、ねこちゃん!」


 一方、ベッドを飛び降りたブリジットの瞳にはグレイシスたちの末路など映っていない。イルファリアにも眼をくれず、彼女は忙しなく胸を上下させているサイトスに取り縋る。


「ごめんなさい、ごめんなさい! 助けてあげられなかった。蹴らないでって頼んだのに、お兄ちゃん、やめてくれなかった……!!」

「落ち着きなさい、ブリジット。今、彼を癒やします……」


 厳かにつぶやいたイルファリアがサイトスに手をかざす。鞭によって無惨に裂かれていた彼の体は、衣服も含めてみるみる回復していった。


「ブリジット、さま……」

「ねこちゃん! よかった……」


 程なく瞳を開いたサイトスは、ぼろぼろと泣いているブリジットを見上げて苦笑しながら上体を起こした。


「大丈夫です……私は……いや、俺は……俺こそが、今度こそあなたを守るために、この姿を得たのですから……」


 ブリジットの記憶は完全に戻った。サイトスの正体もばれてしまった。……もう終わりだと、やるせなく笑うサイトスにブリジットは懸命に謝り続ける。


「ねこちゃん、ごめんなさい。私、分からなくて、よりによってお兄ちゃんと勘違いするなんて……! ごめんなさい、本当に……、あ」

「ブリジット様!?」


 零れ続ける涙も、くしゃくしゃになったハニーブロンドも端から金の光に解体されていく。みるみるうちにブリジットの姿は消え去った。


「ロウアー・ルート……とは言えない気もするけど、とにかくこのルートも終わったことになったみたいだね」

「貴様……」


 冷静な声がしたほうを見やれば、何事もなかったかのような顔でスノーブルーが立ち上がっていた。サイトスは低くうなり、イルファリアも無言で手の平の上に白い光を凝らせる。


「落ち着いて。ボクはグレイシス様に従っていたけど、それは世界の真理を知るためでしかない。彼女がやられたからといって、復讐するような義理はないよ。それはそうと、まさか、キミが猫だったとはね」


 争う段階は終わった、とでも言いたげに、スノーブルーは話を変えた。確かに、復讐するつもりなら、ブリジットと話している間に攻撃してくれば良かった話だ。サイトスは少しだけ迷ったが、迷ったところで何になるだろう。


「……ああ、そうだ。前世にて、ブリジット様に命を救われ、だが彼女の眼の前で殺され……一家心中を受け入れてしまうほどに絶望させてしまった無力な野良猫が、俺だった」


 簡潔に自分たちの関係性を説明したサイトスは、あることを思い付いてイルファリアに呼びかけた。


「イルファリア様。まだ、チャンスはありますか。最後の攻略対象は、まだ残っていますよね」

「サイトス、それは……」

「そうだね、サイトス。まだボクが残っている。だからボクは、その座をキミに譲る」


 気遣わしげなイルファリアの言葉を遮り、スノーブルーはクールな表情のままで断言した。サイトスは当然クールにはいかず、あ然として彼を見つめる。


「そう驚くようなことかい? グレイシス様にだって、ブリジット自身からだって、キミが攻略対象になればどうかって言われていたんだろう? これまでの間も、散々シナリオをいじくってきたんだ。ここまでめちゃくちゃになった状態なら、攻略対象変更ぐらい可能さ。ねえ、イルファリア様?」


 さすが真理を至上とする隠しキャラ。そんなことまで知っているとは。イルファリアも苦笑い気味ではあるが、否定はしない。サイトス自身、身に覚えのない夢ではない。


「だが、俺は」

「猫だから? ブリジットはそんなことで、キミを否定するような人かい? むしろ、キミが勝手に卑屈になっていたせいで、話がこんなにややこしくなってしまったんじゃないか」


 大人びた反論にぐっと詰まったサイトスであるが、スノーブルーの提案にも欠けている視点がある。


「だ、だが……スノーブルー、お前はどうなる。お前だって、ブリジット様に惹かれているのではないか!? お前だけは、エルハルト暗殺未遂の後という時間軸でルートが始まる。そう……真理を餌に、ロウアーの策に手を貸したお前は、その過程で攻略対象たちの心を乱したヒロインにすでに興味を持っている。分かりづらいがルート開始時の好感度は誰よりも高い、お前はそれがウリのはずだ!」


 なにせこの「ふわふわ姫」世界の攻略対象ときたら、揃いも揃ってヒロインに対してはチョロいのだ。スノーブルーも表情に出にくいので、他の面々よりは甘い雰囲気になりづらいが、ヒロイン以外には好感度の上がり具合が手に取るように分かる。そういう設定だったはずである。


「……そうだね。正直、彼女に対しては理不尽なほどに心惹かれるのを感じる。初めてだよ、こんな感情は……」


 バグったり端折られたりと散々ではあるが、スノーブルー以外のルートは終わった。それが彼のルートの始まりの合図である。他の攻略対象たちの影で、静かにブリジットを見つめてきたスノーブルーの想いは、花開くのを待つばかりの状態にある。


「でもボクが知りたいのは真理だ。対象に入れ込みすぎると観察眼が曇る」


 かすかな寂しさを振り切って、スノーブルーはきっぱりと断言した。


「だから譲るよ、サイトス。今からキミが、『ふわふわ姫は愛されまくる』というゲーム最後の攻略対象──責任を持って、誰よりもヒロインを愛し、幸せにするんだ」

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