第33話 最初の過ち

 創世の女神イルファリアの対は、実姉にして破壊の女神グレイシスだった。

 悪役令嬢という形であっても、グレイシスという存在がゲーム内から消されずにいた理由をサイトスは、単純に彼女たちが対であるせいだと考えていた。光あるところに闇もまたあるように、鏡合わせの存在である二人は、片方だけでは存在できないのだろうと。

 だが、姉妹だったとは。

 衝撃の事実に固まっているサイトスの後ろ、無力な少女のように怯えているイルファリアにグレイシスは甘ったるい声で呼びかける。


「二度と会いたくないなんて、冷たいことを言うのね、イルファリア。わたくしはあなたに会いたくて会いたくて、ずっと機会を窺っていたのに……」


 ひぅ、と喉を鳴らしながら、サイトスのテールコートの裾を握り締めるイルファリア。完全にうつむいてしまっている彼女の表情も、グレイシスには手に取るように分かるらしい。


「ふふっ、乙女ゲームのヒロインたちには数限りなく会ってきたけれど、やはりあなたの怯えた顔が最高に……いいわ! 創世の女神として大勢に崇拝されているあなたが、わたくしの前でだけは怯えた子兎のよう……ふふふ、ふふふふふ」

「あ、ああ……やめて……見ないで、お姉様……」


 あえぐようにつぶやいたきり、イルファリアはぴるぴると震え続けるのみ。相手は姉とはいえあなたは創世の女神でしょうが、しっかりしなさいと言いたい気持ちもあるが、一度刷り込まれた恐怖というのはなかなか消えないものだ。人であっても、女神であっても、それは変わらないのだろう。

 ましてイルファリアは、世界の危機に際して対決の心構えもできないまま、取り急ぎ駆け付けてくれたのだ。男であるため、まだ露骨に悪趣味を向けられることの少ないサイトスだってあまり近付きたくない、グレイシスと戦うために。そもそもイルファリアが手を差し伸べてくれなければ、「ふわふわ姫」の世界に来ることもできなかったのである。


「……な、るほど……妹君でもある女神イルファリアと再会する、それは本当にお前の真の望みだったのか」


 イルファリアを守るように手を広げたサイトスは、果敢に言い返した。ある意味、もっと早く「降臨」スキルを使用するべきだったのかもしれない。グレイシスが力を取り戻している状況でなければ、女神姉妹は再会したとしても互いに知らん顔で終わっていた可能性も高そうだが。


「ええ、そう。あなたとブリジットにはとても感謝しているわ、サイトス。あなたたちが引っかき回してくれたおかげで、イルファリアの集中力が乱れ、わたくしが自由に動けるようになる隙ができたのよ。頼もしいパートナーも得られたし、感謝してもし切れないわね」


 ちらりとグレイシスに視線を寄越された隠しキャラ、謎の風だけで存在をほのめかし続けていた天才少年スノーブルーは、表情を動かさずに口だけを開いた。


「ボクも感謝しているよ。女神姉妹のことも含め、この世界の真理にここまで近付けるとは思わなかった。研究者冥利に尽きるよ」


 淡々とつぶやくスノーブルーは、本人も言っているように幼い見た目を裏切る研究者気質。ヒロインに対する感情も、最初は全ての攻略対象を虜にしてきた魅力を知りたい、というところから始まるはずだった。

 生憎とスノーブルーのルートに入ることはなさそうである。隠しキャラである彼が、通常ルートではどこで何をしているかは、ナビゲーターであるサイトスもよく分からない。それを利用してグレイシスは、元々自分の出番が少ない従者ルートをさらにバグらせ、サイトスたちの注意を逸らし、その影でスノーブルーと接触したのだろう。


「抜け抜けと……貴様が影で暗躍し、お嬢様のミスを足掛かりにして世界に負荷をかけ、女神の眼さえごまかしたのだろうが!」

「あらあら、まるで自分にはなんのミスもない、と言いたげね」


 サイトスの指摘にも、グレイシスは一層愉しげに微笑むばかり。磨き抜かれた爪の先で、彼女は突き刺すように執事を指した。


「言っておくけれど、あらかじめ想定されたシナリオをねじ曲げ、わたくしに最初の介入の隙を与えたのはあなたなのよ、サイトス」

「なッ……、私が、何を……」


 こちらの動揺を誘っているだけだ。惑わされるな、と思いながらつい記憶を辿ったサイトスはさっと青ざめた。──まさか。


「そのとおり。エルハルトのルートでは、ヒロインではなくあなたが刺された。レヴィンの時に至っては、あなたさえ刺されなかった」


 ヒロインに大甘な世界で起こる、唯一の刃傷沙汰さえも許容できず、サイトスは我が身を投げ出した。それがいけなかったのだと、グレイシスは笑う。


「イベント自体は発生したので、イルファリアもあの時点では辻褄を合わせようとはしなかったみたいね。でも、それが最初の過ち。先を知る登場人物の介入でシナリオを左右できる前例を、あなたが作ってくれたの」

「そ……そんな……」


 愕然としたサイトスの体がよろめく。はっとしたイルファリアが慌てて彼を支えてくれたので、転びこそしなかったが、サイトスは棒立ち以外の何もできずにいた。これまでとは種類の違う後悔が彼を打ちのめしていた。

 部分的に記憶があるために、不安に駆られたブリジットが言うことを聞かず暴走した。それが原因だと思っていたのに。

 本当のきっかけを作ったのはサイトス自身だったのか。多少の妥協はあったとはいえ、自分で選んだゲームのシナリオを捻じ曲げてしまい、その結果として悪役令嬢にかかっていた封印を解いてしまったのか!


「ああ、互いを想い合うゆえに深まる泥沼……幸せを願えば願うほど、縁の糸は絡まり乱れ、誰もが望まない結果を生み出す……なんという甘美。これこそが、わたくしの求めるもの……!!」


 いつしか屋敷のほとんどは黄金の光に解体され尽くし、残ったグレイシスの部屋も壁は全て失われ、天井と床だけがある不思議な状態で金の光の中に浮いている。その中央でグレイシスはサイトスの絶望を肴に、待ち侘びた美酒に酔う。目元を赤く染め、陶酔に浸る彼女の視界の端で、毅然と背を伸ばす者がいた。


「変わらないわね、お姉様……いえ、破壊の女神グレイシシュ」

「噛んでも可愛いわね、わたくしのイルファリア。ふふふ、ほらほら、続きはどうしたの?」


 打ちのめされてしまったサイトスに代わり、気力を振り絞って立ち向かってきた妹をグレイシスは余裕の表情でからかう。


「くっ、だ、黙りなさい! 私は創世の女神イルファリア、全てのヒロインの代表にして守護者!! いつまでも、あなたに怯えてばかりいるとは思わないでちょうだい……!!」


 白磁の肌を恥じらいに染めて叫んだイルファリアの全身から、創世の女神に相応しい、白いオーラが立ち上る。


「もちろんよ。何度崖から突き落とされても健気に這い上がってくるあなた、あなたこそが、わたくしの愛するヒロインの原点なのですもの!!」


 喜々としてグレイシスも破壊のオーラを迸らせる。この世界の人々には縁遠いものとなった、魔法に近い漆黒の輝きはイルファリア、そして彼女のすぐ側にいるサイトスを狙って放たれた。


「サイトス、危ない!」


 イルファリアはすかさず自身と彼を光のヴェールで庇うが、その上から強烈な冷気が叩き付けられた。


「ボクを忘れないでください、女神様」


 稀少な存在である魔法使いのスノーブルーも、女神の戦いに参戦してきたのだ。


「スノーブルーあなた、なぜこのような……私はあなた自身をも創った女神なのですよ!?」

「分かっています。至高の存在と戦える機会は、そうそうないでしょうね!」


 日頃はガラス玉のようなスノーブルーの瞳が燃えている。グレイシスはイルファリアと本気でやり合える機会をもちらつかせ、彼を抱き込んだのだろう。

 イルファリアは唇を噛むしかない。スノーブルーを好奇心第一の研究者気質に設定したのは、彼女自身なのだから。


「全ての設定をしっかり理解した上で、それを利用する手腕……さすがね、お姉様……!」

「あなたこそ、相手のいいところはしっかり認められる器量、正統派ヒロインに相応しいわね……!!」


 互いを称え合いながらも、女神姉妹の激しい攻防は続く。家具類は次々と破壊され、天井も吹き飛ばされ、部屋の定義を満たしているのは床のみだ。

 しかし、イルファリアはいまだ無気力状態のサイトスを守らねばならない。防御に手一杯な彼女はじりじりと追い詰められつつあった。


「……ん……?」


 と、女神の代行者として目覚めた反動で、唯一残されたベッドの上で意識を失っていたブリジットが眼を覚ました。のろのろと上半身を起こし、異空間と化した周囲をぼんやりと見回している。


「あら、ようやくお目覚めね、ブリジット」


 目覚めたと言っても半覚醒の状態であり、ぼんやりしている彼女とは対照的に、グレイシスの瞳がらんらんと輝き始める。


「喜びなさい、サイトス。あなたにはまだ、役目が残っているわ!!」


 グレイシスの目配せを受けたスノーブルーの手から吹雪が飛び出した、ように見えた。それはブリジットの目覚めに気を取られていたイルファリアの隙を突き、彼女とサイトスを分断した。

 サイトスはそのまま、冷たい風に押されてよろめき、糸の切れた操り人形のように床にへたり込んだ。そして次の瞬間、黒い鞭のようなグレイシスの力によって跳ね飛ばされた。

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