第28話 疑心暗鬼
ストラクス伯爵家二階の端、ブリジットとは正反対の場所に彼女と正反対の存在の住処がある。こんこん、と軽くノックすると、自ら扉を開いて出てきたのはブリジットの姉であるグレイシスだった。きつい縦巻きロールを指先でかき混ぜながら、値踏みするような視線を寄越す姿も見慣れたものだ。
「あら、まあ、珍しいこともあるのね」
じろじろとサイトスを眺め回す視線に一切の親しみはない。互いの立場と時間軸からすれば当然の話である。
この時点でのグレイシスの機嫌は最悪。自分と違って誰もに愛され、可愛がられる妹がついに戻って来たと知り、怒り狂った彼女の理不尽な命令によって、先日決まったばかりの専属メイドもお払い箱になったはずだ。──彼女がシナリオを辿るだけの、ゲームの一キャラクターであれば、次の台詞もサイトスは知っている。
「口を開けばブリジットのことばかり。あの頭がふわふわパンケーキ娘のことしか考えていない執事が、一体わたくしに何の」
「何の用かは、お分かりではありませんか」
聞き慣れた台詞を遮って、サイトスはじっとグレイシスを見つめた。
「は?」
いぶかしげに眉をしかめたグレイシスの唇が嘲りに歪む。
「まさか、ブリジットに優しくしてくれ、とでも言いに来たのかしら? はん、お生憎様! 言っておきますけどね、サイトス。確かにあの子は、わたくしには劣るものの、ちょっとだけ可愛いわ。わたくしには劣るけれど。でも、あの子のいいところなんてそれだけよ。あんな世間知らずが王妃になどなれるものですか! エルハルト殿下が、あんな子を相手にするはずがないわ!!」
一気にまくし立てられたのは初めて聞く台詞だが、そんな気がしなかった。なにせ説明書に書かれた「悪役令嬢グレイシス」から、一歩たりともはみ出していない。
疑う余地がないからこそ疑いが消えない、というのはひねくれ過ぎだろうか。そうとは言い切れない。一つ一つは小さな違和感は、いまや無視できない山を築いている。今まで無視できていたことが不思議なほどに。
そんなことを考えながら、サイトスはいつものようにコマンドを発した。
「恐れ入りますが、今回は『私用』で参りました、グレイシス様」
「あら……」
それを聞いた瞬間、グレイシスの表情から険が抜け落ちる。天敵である妹の執事ではなく、ヒロインの幸福を目指す同志に対しての労りがその眼に浮かんだ。
「なんだか久しぶりね、サイトス。前の時は、ほとんど顔を合わせなかったけれど、どうやら大変な目に遭ったようね」
「……よくご存じで」
「一度相談もされたもの。そちらの進行状況によっては、わたくしの動きも変える必要が出ますからね。全てが分かるわけではないけれど、常にチェックしていたわ」
頼もしいことだ。ありがとうございます、とサイトスは一応礼を述べたが、油断はしていない。すかさず次の話題に移った。
「グレイシス様のことですから、すでにご存じかもしれませんが、私には『私用』のほかに『降臨』というスキルを与えられています。この世界の創世神、女神イルファリアの降臨を願うスキルです」
ぎょっとしたように、グレイシスは動きを止めた。かかった、と確信したサイトスの腕をグレイシスがしっかと握り締める。
「サイトス、あなた……そんなものを使えるの!? 素敵! すばらしいわ! ぜひ使って! 今!!」
「は?」
「わたくし、女神イルファリアが大好きなの! ずっとずっと、お会いしたいと思っているのよ!! お願い、会わせて!!」
「えっ、い、いや、その……私も、お会いしたいのは山々なのですが……」
予想外の反応に、サイトスはしどろもどろになりながら答えた。
「生憎と、前回、そして今回も試してみたものの、『
「まあ……残念だわ」
本当にがっかりした顔で、グレイシスはサイトスを解放した。その表情が作り物だとは、とても思えなかった。だとしても、疑問は残った。
「お聞きしてよろしいですか。グレイシス様はどうして、それほどまでにイルファリア様に会いたいのです……?」
「だって……あの方ご自身が、典型的な乙女ゲームのヒロインじゃない……」
「ソウデスネ」
一番グレイシスの悪い趣味を刺激するタイプ、ということらしい。神をも畏れぬ、とは正にこのことである。空虚な相槌を打つサイトスに、グレイシスはプロの表情になって質問してきた。
「前回、ということは、例の従者ルート同時進行バグをどうにかしようとしたのね?」
「は、はい、そのとおりです。ですが……今回は見たところ、バグが出ているようには見えないのものの、やはり女神は応じてくださらない」
思わず答えてしまってから、いけない、と踏みとどまった。サイトスの予想に反し、グレイシスは女神降臨を嫌がるどころか大歓迎である。その勢いで主導権を握られて、話をうやむやにされかけたが、彼女に対する疑いがなくなったわけではないのだ。
「まさか、あなたがいるから女神が来てくださらない、ということはないでしょうね? グレイシス様」
じろりとにらみつけると、グレイシスはさも心外だ、という顔になった。
「失礼ね、わたくしはこんなに会いたいと願っているというのに……」
「だから、ですよ。あなたまさか、彼女に何かしたのではないでしょうね?」
サイトスの追及に、グレイシスは呆れ顔で縦巻きロールをかき上げた。
「できるわけがないでしょう。ずいぶんと買い被ってくれているようだけれど、所詮はわたくしも悪役令嬢という、この世界を構成する一つの駒。ヒロインを不幸にさえできないのに、女神を怯えさせるような真似ができると思って?」
「怯えさせたいと思っていること自体が問題なのでは?」
本音はそうなのでしょう、と言い返しはしたものの、グレイシスの言い分はもっともである。おまけに違うと否定もされなかった。二重の意味でげんなりしながら、サイトスは退却を決めた。
「……まあ、そうでしょうね。ひとまずは、分かりました」
この調子では、ルート終了時に顔を出す理由について聞いたところで、仕様で押し切られそうである。実際、そう言われてしまえばそうなのか、と思うしかない。サイトスも各ルートの流れは分かっているが、細部の仕様まで事細かに知り尽くしているわけではない。いくらシンプルなゲームといえども、全ての情報を記憶に収めるにはこっちの容量が足りない。
もっと決定的な……たとえば、直観したスノーブルーとの繋がりの証拠などが見つかるまで、下手な動きはしないほうがいいだろう。「降臨」という貴重なカードも空振りになってしまったことから考えると、グレイシスへの疑いはただのサイトスの妄想である可能性も高いのだ。
第一、余計な真似をして、完全に敵に回られたら困る。なにせ今回は、順番的に恐怖のロウアー・ルートである可能性が高いのだから。ごくりと喉を鳴らして、サイトスは慎重に尋ねた。
「もしお分かりになれば伺いたいのですが、今回はやはりロウアー・ルートなのですか?」
「どうやらそのようね。従者たちは、前回同時に振ってしまったようだし」
「やはり、ですか……」
正常な状態で、もう一度セイかアルバートのルートに入れないかと期待していたのだが甘かったようだ。かくなる上は、下準備をしっかりするしかない。腹を決めたサイトスは、グレイシスに礼を言うと彼女の部屋を出た。
「本当にあなたは忠実な執事ね、サイトス。誰よりも主の幸福を願い、ただそれだけに仕えている……」
サイトスがいなくなった後、グレイシスは熱っぽい瞳でつぶやいた。
「あなた自身がブリジットを苦しめる時、あなたはどうするのかしらねえ?」
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