第27話 変わるもの、変わらないもの、変えられないもの

 だったら、あなたが私と結ばれるというのはどうかしら。

 新たなる爆弾発言により、サイトスの意識は見事に粉砕された。ぱくぱく、とあえぐように唇を動かしたはいいものの、まともな言葉は何一つ出てこない。

 その反応を、どう解釈したのだろう。わずかに唇を噛んだブリジットは、慌てて詳細な説明を始めた。


「もちろん、サイトスにとって私が、そういう対象じゃないのは分かってるの! 私だってサイトスのことは、なんていうか、家族、みたいな。安心して信頼できる相手っていうか……」

「……家族」


 その言葉に、粉々になっていたサイトスの意識は繋がっていく。繋がって冷えて固まって、恥知らずな昂揚を意識の下に封じ込めていく。


「それに……今回の攻略対象は、順番からしておそらくロウアーよね。サイトス、あの人のことをとても警戒しているでしょう」

「そ、それは……」


 面と向かってロウアーがどうこう言った覚えはないのだが、懸念がにじみ出てしまっていたようだ。あれだけ従者ルートがバグっていたのに、できればどちらかに決めてほしい、という態度が仇になったのかもしれない。


「前回のバグといい、私の設定が変わったことといい、この世界は思ったよりも柔軟な作りのようだわ。だったら……攻略対象が増えるぐらいの変化は、起こせるんじゃないかしら? だって私は、選ばれし乙女なんだそうだもの!」


 ナビゲーターであるサイトスも知らない展開が次々起こるぐらいだ。柔軟と言えば柔軟ではある。現状はルート併走バグによるマイナスのほうがはるかに大きいが、女神イルファリアに選ばれし乙女とやらの持つ能力によっては、望む方向にゲームを改造することも可能なのかもしれない。

 しかし。


「……おっしゃりたいことは分かりました。ですが……まだ、あまりにも情報が少なすぎます。そもそも、今回の攻略対象が宰相ロウアーかどうかすら、はっきりしておりませんし」

「……そう、ね」


 そっとサイトスが眼を伏せると、ブリジットも同じように長い睫毛に瞳を隠した。お嬢様の帰宅に合わせ、磨き抜かれた床を這う二人の視線は、交わらない。


「ご両親のお答えも、あのとおりのふわふわ具合でした。現状は中身のない、名誉職のようなものの可能性が高い。だからといって、私たちに都合の良い中身を詰め込める保証もない。今少し……様子見が必要かと」

「そうね。あなたの言うとおりだわ、サイトス」


 静かにうなずく声に、サイトスははっと頭を上げた。思わず見つめたブリジットは、前世での死の間際、全てに……父にも母にも、唯一の味方だったはずの兄にも見放され、何もかも諦めきった少女とよく似た表情をしていた。

 やめてくれ、という声が喉まで出かかった。そんな顔をさせたくて、彼女をこの世界のヒロインにしたのではない。

 だが、彼女の望みに沿った答えはサイトスには出せない。出せないのだ。


「本日はもう、お休みください。メイドをお呼びします」

「いいわ、一人で着替えられるから。おやすみなさい、サイトス」


 さり気なく人払いを望むブリジットの心情に気付かないふりをして、サイトスは彼女の部屋を辞した。


※※※


 人気のない廊下に出た途端、サイトスは膝の力が抜けて壁に寄りかかってしまった。


「俺は……」


 そのまま完全に座り込んでしまう前に、ばん、と太股を叩いて自らに気合いを入れる。


「とにかく、情報収集だ!」


 勇気を振り絞ってくれたブリジットの申し出をすげなく蹴った以上、彼女の役に立たねばならない。早足で一階に降りたサイトスは、まだティールームにいたストラクス伯爵夫妻に「私用」コマンドで話しかけた。


「──おお、どうしたのだね、サイトス」


 一周前と同じく、コマンドが通った証に伯爵たちの態度が少しだけ変わる。差し当たり、このチートは使えると分かって一安心だが、それを確かめるのが本命ではない。


「旦那様、奥様、早速ですが伺います。先程は女神イルファリアに選ばれし云々、という話に調子を合わせていらっしゃいましたが、あれはどういうことです?」

「どういう……と言われても」


 夫妻はきょとんとした表情で顔を見合わせた。


「あの子は生まれつき、女神様の祝福を受けた子だからな」

「ええ、そうですわ。おなかの中にいた時から分かっていました、この子は特別な、世界に愛された娘なのだと……」


 ブリジット誕生まで遡り、二人は嬉しそうに語ってくれた。温かな日差しに照らし出された表情は幸福そのもの。とても嘘をついているようには見えないし、そもそも嘘をつく理由がない。分かっているからこそ、サイトスは突っ込まずにはいられなかった。


「いや、ですが、前はそんなことをおっしゃらなかったではないですか! 教典に記述があることは教えてくださいましたが、お嬢様がそうだなどとは」

「前?」

「教典? 教典が読みたいの? サイトス。書斎から持ってこさせましょうか?」

「えっ?」


 不思議そうな質問に勢いをせき止められたサイトスは、まじまじと夫妻を眺めやる。生憎と、怪訝な表情も作り物とは思えなかった。

 どうやら伯爵夫妻は、従者たちのルートにて話したことを覚えていないらしい。二人の記憶はゲーム内の設定が変わった段階で、それに準じたものに書き換えられてしまったようだった。


「あ、いや……それは……そう、ですね。失礼いたしました、なんでもありません……」


 明らかに怪しい態度を取るサイトスであるが、ここは難易度Fの世界。おまけにナビゲーター用のチートコマンド使用中。ストラクス伯爵夫妻は何一つ咎めることなく、よろよろと出て行くサイトスを見送ってくれた。


※※


 何かが、ずれている。


「これもバグ、か……?」


 いったん自分の部屋に入ったサイトスは、眉を寄せて集まった情報を組み立てていく。


「……グレイシス様は、常に記憶を保持していらっしゃる。前の周回と現在の周回の変化も、きっちり把握していらっしゃったというのに……」


 一番話をした相手ということもあって、ついグレイシスをベースにして考えていたが、彼女以外の登場人物は知り得る情報が異なる様子だ。

 むしろ伯爵夫妻のほうが、ゲームの一キャラクターとして自然な反応だろう。以前とどこが変わったかなど、彼等が知覚する必要はない。必要なのは現在の状況に対応し、役目を果たすことなのだから。


「攻略対象たちは全員、ルートが終わるたびに記憶も好感度もリセットされるのだしな。そのあたりは各キャラクターの立場や状況により、個別に設定されているのかもしれん。だが……」


 悪役令嬢グレイシスは、甘すぎるほど甘い「ふわふわ姫」ワールドに唯一無二の敵役である。であるからこそサイトスも「私用」コマンドを使う相手として選び、幾度となく相談もしてきた。趣味は悪いが聡明な彼女のアシストに助けられてきた。

 振り返ってみれば、彼女の力は強大すぎないだろうか。


「そうだ。どうしてあの方は毎回、ルートの終了時に顔を出せた……?」


 エルハルト・ルートの時もレヴィン・ルートの時も、最後の場面は譲位の式典が行われていた王宮。グレイシスは招待されないことを恨んで刺客を繰り出してくるのだ。本人はあの場にいないはずである。なんか出てきそうだな、ぐらいの感覚で深く追求せずにいた事実が、今になって気に掛かり始めた。

 従者ルートの時は出てこなかったが、元々グレイシスはあのルートでは存在感が薄い。ルート自体がバグりにバグっていたこともあって、強制終了じみた終わり方にあまり疑問を持たずにいた。例の爆弾発言に気を取られていたせいだが……と思い返したところで、世界が闇に包まれた一瞬、頬を撫でた風のことも思い出した。

 根拠の欠片もない、ただの勘である。しかし頭の中で一瞬、グレイシスとスノーブルーの間に何かが見えた気がした。本来のゲーム上では縁などないに等しい二人を、繋ぐ何かが。


「グレイシス様にも、確認しておくか……? いや、その前に」


 サイトスは部屋の中を軽く見回した。ゲーム開始直前、屋敷全体は隅々まで掃除されている。ブリジットを迎えに出て以来、初めて戻ってきた室内はきれいなものだ。念のために鏡を覗き、身なりを整えてから深く息を吸った。


「先にこちらを試しておくとしよう。『降臨アドベント』……! 来たれ、創世の女神イルファリアよ……!!」

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