第四章 恐怖のロウアー・ルート
第26話 運命の始まる日(四回目)
本日は領主たるストラクス伯爵家の次女にして、周囲よりたっぷり愛情を注がれて育ったお嬢様が、行儀見習いのために預けられていた修道院から三年ぶりに帰還するめでたき日である。
「……はっ!?」
急展開に絶叫している間に、なしくずしに従者たちのルートは終わったようだ。ふと意識を取り戻したサイトスは、またしてもゲーム開始の時間軸に戻されたことに気付いた。
「も、戻ったのか……そしてお嬢様も、お戻りになった……」
晴れ渡る青空の下、場所はストラクス伯爵家正面、時は修道院からの旅を終えたブリジットが馬車に乗って到着する寸前。伯爵夫妻とメイドたちの間に混じったサイトスは、深呼吸して動揺を抑え、何食わぬ顔を取り繕った。
「お帰りブリジット、私の可愛い娘! なんと大きく、美しく育ったことか。さあ、父の胸に飛び込んでおいで!!」
「……ええ、ただいま、お父様!」
都合四回目ともなれば、ブリジットのほうも慣れたものだ。……それとも、別の理由で余裕を得たからか。サイトスが注意深く見守る中、満面の笑みをたたえたストラクス伯爵の腕に、ブリジットも笑顔で飛び込んだ。
「おお、本当に大きくなって! もうすっかり一人前のレディだな」
「ええ……それに、美しくなって。これなら社交界デビューも問題ありませんわね。ふふっ、もしかすると、我が家から王妃が出るかもしれませんわね、あなた!」
無邪気なほどに愛娘の成長を喜び合うストラクス伯爵夫妻。前回と違ってブリジットも、「うふふ、かもしれませんね、お父様、お母様!」とそつなく調子を合わせている。覚醒寸前の魔王めいたうめきを漏らす様子こそないが、無邪気なヒロインそのものの応酬が、逆にサイトスの危機感を刺激する。
「サイトスも久しぶりね。出迎え、本当にありがとう」
「え、ええ……お帰りなさいませ、お嬢様。その、成長されましたね……」
同じ調子で自分にまで挨拶され、サイトスも三年ぶりに会った風な態度を装った。果たして彼女の成長が、この先の展開にどんな影響を及ぼすかと危ぶみながら。
迷ったが、前回のこともある。現状、大きなバグが発生している様子はないものの、通常進行を邪魔してゲームに負荷をかけるのは避けたい。
「長旅、まことにお疲れ様でした。お茶の用意はしてありますので、旦那様方とティールームに行かれますか」
「そうするわ。ありがとう、サイトス」
差し当たって、正常な進行に誘導してみると、ブリジットはあっさり乗ってきた。
「私も参ります。よろしいですよね、お嬢様」
「ええ、当然よ、サイトス」
前回の轍は踏まない。そんな圧力を含んだ念押しも、当然のこととして受け入れられた。
※※※
「四週目にして初めて、このイベントを正規の形でこなすことになろうとは……」
複雑な感慨に浸りながら、サイトスはメイドたちが用意してくれていたティーセットを引き継ぎ、主家族のためにてきぱきとお茶を淹れた。サンルームも兼任した室内は、ブリジットの部屋同様、三年ぶりに帰ってくる愛娘を迎えるために丁寧に清掃されている。降り注ぐ日差しの下、テールコートの裾をなびかせながら香り高き茶をサーブしていると、自分が平和を約束された乙女ゲームの世界の住人であることを改めて実感させられた。
穏やかな温もりに満ち、愛されることが当たり前の世界。自分もブリジットも、初めからここに生まれれば良かったのに。
「ねえ、お父様、お母様。女神イルファリアに選ばれし乙女ってご存じ?」
感傷に浸っていたサイトスは、それまで修道院での思い出を語っていたブリジットの一言にその場でずっこけそうになった。愕然として話を振られた伯爵夫妻を見やるが、彼等は驚くどころか、嬉しそうにうなずいている。
「もちろんだよ、ブリジット。お前は我が家の誇りだ」
「うちから女神の代行者が出るなんて、本当に驚いたわ。でも、私たちの可愛いブリジットならそれも当然と言えるかしら、うふふ」
堂々たる親馬鹿ぶりで語り合う夫妻に、ブリジットは少し考える素振りをしてから質問を重ねた。
「ところで……選ばれし乙女って、具体的にどんなことができるのかしら?」
「そうだな、なにせイルファリアに選ばれし乙女だから……」
「それはもう、すごいことができるのでしょうね。さすがだわブリジット! お前を授かれて、私たちは本当に幸せ者……」
返ってきた答えは途轍もなくふわふわしていた。どうするつもりなのか、ハラハラしながら場合によっては止めに入ろうとしていたサイトスだったが、ブリジットはそれ以上危険な質問を繰り返さず、無難な雑談で会話を切り上げた。
※※※
「お嬢様!」
「なあに、サイトス」
そろそろ休むからとティールームを離れ、ブリジットの部屋に入ったところでサイトスは彼女を問い詰め始めた。
「なあに、ではありません。再三申し上げたでしょう、ゲームに負荷をかけてはいけないと……!」
「負荷も何も、私が女神イルファリアに選ばれし乙女であることは、すでにゲーム内の常識になっているようじゃない。私はただ、それを確かめただけ」
「そ、それは……まあ……そうですが」
従者ルートが終わる直前、炸裂した爆弾発言の内容は確認すべき事柄ではあった。だが、それはサイトスに任せてほしかった。
そう言いたいのに、言葉が出てこない。これまでもブリジットが勝手な行動を取ったことはあった。ルート併走バグの引き金になった可能性もある暴走は見過ごせない、絶対にやめさせなければいけないのに、ブリジットから漂う奇妙な貫禄がサイトスを迷わせる。
「ねえ、サイトス。サイトスは、私とあなた、二人の幸せを願っているのよね」
「えっ?」
かと思えば、迷うはずもない問いを投げかけられた。勢い込んで、大きくうなずく
「ええ、そうです。もちろんです!」
「つまり、私があなたの認める素敵な男性と結ばれて、この世界でずっと幸福に生きていけばいいのよね」
「そ、そうです。私はそのために、この世界にあなたを……!」
「だったら」
そこでブリジットは、すう、と一度息を吸ってから続けた。
「だったら、あなたが私と結ばれるというのはどうかしら」
※※※
急な用事が入ったので、週末は更新をお休みします。週明け1/10から再開予定です。
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