第24話 ブラックアウト
「きょ、今日もなんとか、こなしたわよ……」
「お疲れ様ですお嬢様、すぐにお茶の用意をさせます」
疲れ切った顔で部屋に戻ったブリジットは、線が二重になっておらず、妙に薄くなったり濃くなったりもしていない、見慣れた室内の光景に心底ほっとした様子だ。ぐったりした彼女を椅子に預けてから、サイトスはメイドを呼んでお茶の用意をさせた。サイトス自身も疲れ切っていて、とてもそんな余力は残っていないからだ。
セイとアルバートのルートは、今や完全に別々のものとして進行している。それでいて同時に進行している。家までブリジットを迎えに来るのは同じでも、向かう先は王城内にあるそれぞれの部屋である。
が、それでも強引に同時進行するため、ブリジットたちの目には別々のはずの景色が重なって映る。音も重なって聞こえる。同時展開のために負荷がかかっているのだろう、二重写しの景色はところどころ破綻し、音声は途切れたりハウリングを起こしたりもしている。控えめに言って地獄である。
例によってヒロインに大変甘い世界であるため、多少とんちんかんな対応をしても都合良く解釈されはする。ごちゃ混ぜの景色に惑わされ、物や人にぶつかりそうになれば必ず助けてもらえる。おかげさまで致命的な破綻は避けられているが、大量の情報に常時さらされるブリジットの負担は果てしない。
『やむを得ん……お嬢様、あなたはセイ様の言葉だけを聞いてください。私はアルバート様の言葉だけを聞きます』
『分かったわ、ありがとうサイトス……!』
途中から分担作戦を取ったことで多少はマシになったが、「ふわふわ姫」がいかにローコストな作りとはいえ、それぞれのルートに顔を出すのは攻略対象だけではない。主である王子二人を含め、モブも多少は出てくる。
とにかくアルバートのルートの音声はサイトスが聞き取ろうとしても、背景が入り交じっているせいもあって、どっちがどっちの登場人物なのか正直分かりにくい。セイのルートに登場するアルバートまで入ってくると、もうめちゃくちゃである。一日分のイベントを無難にこなすだけで、二人とも精神力を使い果たしてしまうのだった。
「……ふう」
メイドを帰した後、一気にお茶を飲み干したブリジットの顔色は思ったよりも回復している。それはやはり、この苦行もそろそろ終わりだと分かっているからだろう。
「大変だったけれど、セイからもアルバートからもレヴィンを止めてくれ、という話が出たわ。もう一息ね」
「ええ、レヴィン殿下を思い止まらせることができれば、従者たちのルートは終了です」
セイはブリジットとの散歩中にレヴィンと親友の企みを知り、エルハルトの耳には入れたくないが、自分に王族の企みを止めるような大役が務まるか悩む。だがブリジットに発破をかけられ、決意を固める。
アルバートはブリジットに、レヴィン殿下の計画を手伝ってくれないか、と持ちかけてくる。レヴィンの不安定さに引っ張られ、いつになく思い詰めた様子の彼をブリジットが止め、思い直したアルバートがレヴィンを止めようと決意する。
言うまでもなく、ブリジットは二人の話を聞き取るだけで一杯一杯。適当な相槌を打つぐらいのことしかしていないのだが、二人とも勝手に何かを感じ取って勝手にレヴィンを止めようとし始める。エルハルトの暗殺計画そのものが頓挫するため、ブリジットが刺されそうになるイベントも発生しないわけだ。
「ところでお嬢様、お嬢様はセイ様とアルバート様の、どちらをお選びに」
「駄目よサイトス、このルートは捨てるという約束だったでしょう? うっかりどちらかと結ばれたが最後、もう片方とも結ばれたことになって、延々とバグに苦しめられるのは御免だわ」
どさくさに紛れて尋ねたサイトスだったが、ぴっしゃり断られてしまった。想定の範囲内の回答であったため深追いはしない。ブリジットが言うような不安が現実になる可能性は高そうだからである。
「分かりました。では、そろそろお休みください」
「ええ、明日が最終日だものね。サイトスもゆっくりしてね」
誰とも結婚しない、という決意を翻してくれる様子はないが、サイトスへの優しさにも変わりはない。込み上げる罪悪感に蓋をして、サイトスは笑みを浮かべながらうなずいた。
※※※
そして迎えた最終日。セイ・ルートもアルバート・ルートも、レヴィンを止めて終了となる関係上、場所は王城内にある彼の私室である。ごちゃごちゃと派手なのにどこか空虚な、レヴィンそのもののような部屋の中に五人と半分の人影がある。
そうとしか表現のしようがなかった。ブリジット、サイトス、セイ、アルバート、レヴィンが一堂に会した状態なのだが、従者ルートに共通するキーパーソーンであるレヴィンは、ルートによって微妙にイベント内容が異なる。関係性が異なるのだから当然なのだが、この微妙、というのが厄介なのだ。場所は同一なので背景がバグることこそないが、同じ人物が同じ場所にて、二通りの身振りと二通りの表情で二通りの台詞を口にする。
それは時にレヴィンの頭が二つになったり、腕が三本になったりすることで辛うじて平行処理されている。
「それにしても、あのセイが単独で乗り込んでくるとはね。ブリジットちゃんの影響力はすごいなぁ……」
「……アルバート、お前まで僕を裏切るのか、なんてね。分かってるよ。ブリジットちゃんは背中を押しただけなんだってさ」
セイに向けての、本気で感心した態度。アルバートに向けての、すねたような、どこかさばさばした態度。企みを暴かれ、見せかけの軽薄さを失ったレヴィンは、それまでとは違った魅力を感じさせる。
「ふわふわ姫」の攻略対象は、最初のエルハルトと、隠しキャラのため自動的に最後になるスノーブルー以外の順番は固定されていない。ルート進行によっては、レヴィンをまだ攻略していない状況もあり得る。ここで彼の真の姿を知り、興味を持って次回の攻略対象と定めるユーザーもいるだろう。
あらゆる意味で、うちのお嬢様は無理だろうがな。悲しく思いながら、サイトスは必死にアルバート・ルートのレヴィンの台詞を聞き取ろうと努めていた。一つのルートだけに集中すればいい場面のはずなのだが、シュールな姿に邪魔されて、油断すると変な笑いが出てしまいそうだ。緊張感が凄まじい。
隣のブリジットも必死に耳をそばだてているのが分かる。別人二人の聞き分けより、同一人物のわずかな差異を聞き分けるほうが難易度は高いのだ。ここまで来れば流れに身を任せてしまってもいいような気はするが、うっかり対応を間違えて、今よりひどい状況になったら目も当てられない。慎重に、慎重に、このルートを完走することだけに集中する。
だが、危うい均衡の維持に必死だったのは、攻略する側だけではなかったようである。
ぶつん、と。
耐えきれなくなったように、世界は唐突な闇に包まれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます