第22話 女神召喚

 疲労がかなり溜まっているのだろう。ブリジットはサイトスに支えてもらわないと、階段も上がれないほど疲労していた。


「──失礼いたします」


 見ていられなくなったサイトスは、一言断りを入れてから彼女を抱き上げた。なんの抵抗もなく、華奢な体はふわりと彼の腕に収まった。


「ごめんなさい、サイトス……重くない……?」

「問題ありません。羽根のように軽いです」


 いかにもな愛されヒロインであるブリジットは華奢で小柄、だが将来の可能性を垣間見せる丸みを帯びた、理想的な体型をしている。その気になれば暗殺も可能な執事にとっては、体重などあってないようなものだ。

 だが、前世の彼女も抱き上げることができれば、きっと同じように軽かったはずだ。あるいは、ブリジットよりももっと。成長するにつれて食事を抜かれる頻度が上がり、がりがりにやせた彼女は、それでも優しかった。

 優しかったからこそ、その優しさが起こした悲劇に耐えきれなかったのだ。崩壊した家庭を精算するため、母が選んだ無理心中という選択肢に抗う力を失ってしまった。


「……ブリジット様? 寝てしまわれたのですか……」


 物思いに沈みながら二階に上がったところで、階段の揺れが心地良かったのだろうか。気が付けばブリジットは寝息を立てていた。無防備な寝顔を見ていると、複雑な感情が込み上げてきて胸を締め付ける。 

 ──いっそあなたが、隠しキャラその二になればよろしいのに。グレイシスのうそぶきが、鼓膜の奥で息を吹き返した。つまりはあの一言を、サイトス自身が大事に握り締めていたのだ。


「馬鹿な。何をおこがましいことを……」


 すぐに自嘲したが、己の中に生じた迷いには気付いていた。エルハルトともレヴィンともうまく行かず、セイとアルバートは盛大にバグっている。ロウアーはルートに入ること自体避けたいし、彼もバグっている可能性はある。スノーブルーも同様だ。


「もう少し、確認したいところだが……この状況では最悪、強制ルート変更ということもあり得る。セイかアルバートを選んでやり直せればいいが……クリア扱いにされてしまって、ロウアー・ルートに入るぐらいなら……いっそ、俺が……」


 ブリジットの部屋に入り、豪華な寝台へ主をそっと横たえながら、サイトスは考えを進めていく。だが次の瞬間、


「やめて、お兄ちゃん!」

「ッ!?」


 ふわりとベッドに受け止められたはずのブリジットが、悲痛に顔を歪ませながら叫んだ。愕然としているサイトスをよそに、彼女ははっと目を見開いた。


「……あっ、えっ、私……?」


 がばっと身を起こしたブリジットは戸惑いながら周りを見回し、ここが自分の部屋で、側にいるのはサイトスだけと確認してからおろおろと彼に謝った。


「ご、ごめんなさい、サイトス、私、一瞬寝ちゃったみたい」

「ええ……そう、ですね」


 耳元まで跳ね上がったきたかのように鳴り響く心臓を隠して、サイトスはブリジットの様子を観察する。怯えている、というより戸惑っている気配が強い。前世の、──兄のことを刹那でも完全に思い出したのならば、きっとこの程度では済まない。どうやら起きた瞬間に、思い出したこと自体を忘れてしまったようだ。


「構いませんよ。今はお食事より、お眠りになったほうがよろしいでしょう。本日分のヒロインとしての務めは果たされました。状況解析は引き続き私が行いますので、どうぞゆっくりお休みを……」

「……そうね。そうしたほうが良さそう。ありがとう、サイトス」


 心からの信頼を瞳ににじませ、ブリジットは着替えるためにメイドを呼び始めた。サイトスは何食わぬ顔で一礼し、退出した。


※※※


 ブリジットの部屋を離れ、自分の部屋に入ったサイトスは、固く握り締めた拳を無言で何度か壁にぶつけた。


「……思い上がるな、馬鹿が」


 血が滲む寸前までそれを繰り返してから、深呼吸をして気持ちを切り替える。手袋に隠すことはできるといえども、痕に残るような怪我はできない。ブリジットにくだらない葛藤を悟らせるわけにはいかない。これ以上彼女に負荷を掛けたら、余計なことまで思い出してしまいかねない。


「とにかく、同時併走バグをなんとかせねばならん」


 難易度Fの乙女ゲーム世界に彼女を転生させた理由はただ一つ、ブリジットを幸せに出来る男性に預けるためなのだ。最終目標を邪魔する因子を排除する、それだけに集中しろとサイトスは己に言い聞かせた。


「無理を承知で、グレイシス様を頼るべきか……? だがあの方にはこのルートでは、王子たちに性懲りもなく粉を掛けるという、重要な仕事がおありだ。バグを利用して、ご自身の趣味を満たそうとなさる可能性もあるしな……」


 サイトスたちとは直接関わっていなくても、グレイシスにはグレイシスの役割があるのだ。彼女にまでルートを外れた行動を取らせた結果、余計にゲームがしっちゃかめっちゃかになる可能性はある。なにせ彼女自身がそれを望んでいるのだから、暴走の口実を与えるのは避けたい。

 すでにグレイシスが役割から逸脱した行動を取っているとは知らないサイトスは、苦悩の末、究極の手を打つことに決めた。

 念のために周囲を見回し、自分以外の人間が側にいないことを確認して内鍵をかける。カーテンも閉めて外から覗かれる可能性も遮断。今朝方すでに行っているのだが、もう一度部屋の中を掃除し直し、身なりもさらに整えて何度か深呼吸した。心のほうも準備完了してから部屋の中央に立ち、両手を掲げて祈るように叫んだ。


「緊急事態だ、やむを得ん。『降臨アドベント』……! 来たれ、創世の女神イルファリアよ……!!」


 それは「私用」を超える最上位の命令コマンド、最高の越権行為チート。この世界を生み出した女神イルファリアを呼び出し、ゲームが始まる前のようにダイレクトに願いを叶えてもらうという反則技である。


※※※


三が日は更新をお休みします。評価・感想などいただけると励みになりますので、よろしくお願いします!

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