第18話 女神の代行者
翌日。ぐっすり眠って旅の疲れが取れたのか、やけに顔色のいいブリジットは朝食にも旺盛な食欲を示した。部屋に戻り、サイトスに「さて、では登城に向けての準備を始めましょうか」と言われても、これまでのように駄々を捏ねたりはしなかった。
「とても素直ですね、お嬢様。女神の代行者たる存在に、そんなに興味がおありですか?」
不意打ちで切り込むと、ブリジットはさっと顔色を変えた。
「な、なんのことかしら?」
「とぼけないでください、証拠は上がっているのです!」
ごまかされないぞ、と腰に手を当てるサイトスにブリジットはよよ、と顔を覆おう。
「お父様とお母様に聞いたの? ひどいわ、やっぱり私のことを愛してくれてないんだ……」
「誤解です! お二人は、お嬢様のことを心配していらっしゃるからこそ……!!」
慌てて取りなすサイトスに、ブリジットも妥協の息を吐く。父自らがいそいそと書斎に走って本を取ってきてくれる姿も、母が手ずからお茶を淹れてくれる姿もこの目で見たのだから。彼等の優しさと、そんな彼等を利用している罪悪感の板挟みになって、泣きそうになったのだから。
「……まあいいわ。分かっているのなら話が早い。ねえサイトス、サイトスも私のことを愛してくれているのよね。私の幸福を、願ってくれているのよね?」
「はっ、そ、それはもちろん……!!」
背筋を伸ばすサイトスに、ここぞとばかりにブリジットは畳みかけた。
「だったら、私の望む幸福を手に入れるために協力してくれてもいいと思うの。男尊女卑がまかり通るこの世界で、女の身で地上の権力を手にするのは難しいわ。だけど、気付いたの。私が絶対者になる方法があると……!」
「なんで王妃とかで満足してくれないんですか!?」
国王のほうが立場は上だろうが、十分に絶対者ではないか。サイトスの訴えに、ブリジットは静かに首を振った。
「王妃になったところで、本当の権力者は王じゃない。それじゃ安心できない。幸せな結婚は人生のゴールじゃないもの。愛は脆いのよ、サイトス」
前世のブリジットだって、まるで愛を知らなかったわけではない。父に頭を撫でられたこともある。母に抱き締められたこともある。父の暴虐から庇ってもらったこともある。
ただ、それらは永遠ではなかった。かつて存在したものが失われたばかりか、失われたのはお前のせいだ、お前が愛に値しないのだと言われ続けてきたことが、ブリジットの愛への態度を決定づけた。
「……この世界の愛は……」
反論しかけて、サイトスはいったん口をつぐみ、仕切り直した。
「ところでお嬢様。あなたはどうやって、女神の代行者に選ばれるおつもりなのです?」
今度はブリジットが唇を閉ざし、サイトスが攻勢に出る番だった。
「『世界に危機迫りし時、女神は清らかな乙女を選び、己の代行者とする』とのことですが。二度の周回により、あなたも確認したはずです。ファールンほど恵まれた、危機から遠い地はないと」
あらゆる危険を摘み取られた王国であるが、それでは話が盛り上がらなさすぎる。ヒロインが活躍する下地は用意されている。
「この地に危機が訪れるとなれば、可能性は一つではないですか」
「ええ、そうよ。あなたが考えているとおり。──クズ一号と二号を争わせ、内乱を起こさせるの」
やはりか。サイトスは苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。
ブリジットが狙う世界の危機とは、潜在的に存在している二人の王子の対立の激化。ロウアーの仕込みのような温いものではなく、国を割る内乱にまで発展する、本物の諍い。
「誰かのルートが終われば記憶も好感度もリセットされる。すなわちあの兄弟は、ゲームのリスタート時点では、またお互いを誤解している! ヒロインが双方から焚きつければ、国を焼く炎となる可能性は十分あるわ!!」
グレイシス様が好きそうな設定だ、という気持ちを飲み込んで、サイトスはブリジットの暗い情熱に引き摺られないよう努める。
「そうですね。ですが、お嬢様側の記憶と好感度はリセットされておりませんよね」
ぐっと詰まった彼女が痛々しいが、だからこそ言わねばならない。サイトスはあえて少し厳しい口調で続けた。
「クズ一号とクズ二号? 強がるのはおやめなさい。彼等のことを、もうそのようには思っていらっしゃらないくせに」
「……そうでもないわよ。レヴィン殿下は……やっぱり、駄目だもの。受け付けられない」
「それは……唆された結果とはいえ、あの方が兄上を襲撃するのは事実ですので……ですが少なくとも、お嬢様の当初の妄想とはかけ離れた男性たちであることは、あなたもお分かりでしょう」
口下手なエルハルトにも問題はあるだろうし、レヴィンのやらかしは見逃せない。そうはいえども、二人ともブリジッドの捏造妄想よりは百倍まともな青年である。
「勘違いなさらないでください。王子たちが殺し合うことであなたが真の幸福を掴めるのであれば、このサイトス、全力で事を成して御覧に入れます」
グレイシスも、きっと喜々として協力してくれるだろう。こちらの希望の百万倍の働きをしてくれるだろう。おやめください。脳裏をチラチラする華麗な縦巻きロールから、サイトスは必死に眼を逸らした。
「ですがお嬢様。私は贅沢にも、こう願っております。平和な世界で、誰も傷付けぬまま、お嬢様が手を汚すことも罪悪感に苦しむこともなく永遠の幸福を手に入れることを。そのためであれば、いかなる艱難辛苦にも耐えて見せましょう」
この世界でブリジットが手にする幸福には、髪の毛一筋の瑕疵もあってはならない。胸に手を当て、不遜な希望を堂々と述べるサイトスから、ブリジットは悔しそうに顔を背けた。
「……サイトスも一緒じゃないと、嫌よ」
「は、心得ておきます」
胸に手を当て、サイトスは笑顔で一礼した。
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