第三章 セイ・ルート? アルバート・ルート?

第17話 運命の始まる日(三回目)

 本日は領主たるストラクス伯爵家の次女にして、周囲よりたっぷり愛情を注がれて育ったお嬢様が、行儀見習いのために預けられていた修道院から三年ぶりに帰還するめでたき日である。


「お帰りブリジット、私の可愛い娘! なんと大きく、美しく育ったことか。さあ、父の胸に飛び込んでおいで!!」

「え……ええ、お父様! ブリジット……参ります!!」


 巨大な屋敷の正面扉前に停まった馬車から降りる寸前、一瞬硬直したブリジットは腹を決めた。晴れ渡る空に負けない、満面の笑みを浮かべて愛娘を出迎えようとしていた父伯爵の開かれた腕の中に、思いきって飛び込む。


「お嬢様!?」


 斜め後ろに控えていたサイトスは仰天したが、ストラクス伯爵は相好を崩して娘を抱き締めている。三周目にして初めて達成されたミニイベントを、諸手を挙げて喜べる状況ではなかった。


「おお、本当に大きくなって! もうすっかり一人前のレディだな」

「ええ……それに、美しくなって。これなら社交界デビューも問題ありませんわね。ふふっ、もしかすると、我が家から王妃が出るかもしれませんわね、あなた!」


 無邪気なほどに愛娘の成長を喜び合うストラクス伯爵夫妻。一方、父親の腕の中の娘はといえば、


「そう……私は……大きく……美しく……強く……全てを……殲滅するほどに……!」

「お嬢様、お嬢様、どうかご無理をなさらずに……!」


 土気色の顔をして漏らす譫言は、覚醒寸前の魔王めいている。慌ててサイトスが割って入ると、ようやく異変に気付いたストラクス伯爵は怪訝な顔で娘を解放した。


「ブリジットや、どうしたんだい。旅の疲れが出ているのかな? ならひとまずは、サイトスと一緒に部屋で休むかね?」

「いいえッ!」


 二周目までと同じ展開を父自ら勧めてくれたが、ブリジットは即座に拒否した。


「私、久しぶりにお会いできたお父様やお母様と、もっとお話ししたいです! 是非お茶を!!」

「お、おお、それはもちろん」

「ええ、準備はしてあるわ。ではティールームへ行きましょう」


 力強く求められ、ちょっと驚きつつもブリジットの両親は嬉しそうに歩き始めた。本来であれば、これが正規のルートである。お嬢様の出迎えのために集まっていたメイドたちやサイトスも、伯爵家の人々の後ろに付き従った。

 ティールームは屋敷の一階、サンルームも兼任した居心地のいい部屋だ。厨房からティーポットを運んできたメイドたちが手際よくお茶の用意を整えたところで、ブリジットはおもむろに言った。


「ありがとう。ではみんな、下がって。親子水入らずで、ゆっくりお話ししたいの」

「畏まりました」


 務めを果たしたメイドたちが、しずしずと部屋の外に消えていく。


「サイトスもね」


 ブリジットがかけている椅子の後ろに控えていたサイトスは、念押しされてぎょっとした。


「は、あ!? ど、どうして……あの……」

「大丈夫よ、サイトス。……あなたのためにも……慣れていきたいの。だから……どうしても駄目になったら呼ぶから、下がっていて」


 小声でささやかれ、サイトスは一拍置いてうなずくとティールームを出た。再び彼が呼ばれたのは一時間後、ブリジットが無事に両親との歓談を終えてからだった。


「お話は弾まれたようですね」

「ええ、そうね、思ったよりも気楽にお話しできたわ」


 二階にある彼女の部屋へと送り届ける道すがら、交わす会話も極めて和やかだった。穏やかな笑みを浮かべ、サイトスは辿り着いた扉を開く。都合三度目、三年ぶりの帰還を果たした愛らしい室内へとブリジットを招き入れ、さすがに疲れた様子の彼女の着替えを手伝わせるためメイドを呼んだ。

 そして表情を引き締め、一目散に階下に戻った。


※※※


 あんなに周りを警戒していたブリジットが、単独で両親との歓談を望んでくれた。ストラクス伯爵家の人々をやっと信用したくれたのだろう、そこまではいい。


「ですが、いきなり殊勝になりすぎですよ、お嬢様……!」


 もうサイトスを危険にさらしたくない。その一心で、まずは両親への態度から譲歩してくれた。理屈は通るが、これまでの周回にてブリジットの心の壁が完全に崩れ去ったとは思えないのだ。うがち過ぎかどうかは、これから確かめる。

 再びティールームに入ると、そこではストラクス伯爵夫妻が向かい合ってのんびり茶を楽しんでいた。召使いたちの姿は見えない。チャンスだと感じたサイトスは、挨拶もそこそこに切り出した。


「失礼いたします、旦那様、奥様。『私用』で参りました」

「──おお。どうしたのだね、サイトス」


 特別命令コマンドが発動した瞬間、ストラクス伯爵の態度がわずかに変わる。この越権行為チートについては、ブリジットには話していないし話す必要もない。


「こちらでお嬢様と旦那様方が何をお話しされたか、それを伺いたいのですが、よろしいでしょうか」


 ストラクス伯爵が夫人と視線を交わす。二人の瞳にある思案げな色を見て、サイトスは説明を重ねた。


「ブリジットお嬢様から口止めされているかもしれませんが、今後のあの方の行動によってはハッピーエンンディングが迎えられなくなるかもしれません。大切なお嬢様の幸福のためにも、どうか、お願いいたします。お二人の品位を貶めることにはならないと信じております」


 深々と頭を下げれば、ストラクス伯爵夫妻はグレイシスよりストレートにヒロインの幸福を願う立場にある人物だ。伯爵は重々しくうなずき、優先順位を変えてくれた。


「……いいだろう。あの子は私たちに、創世神話についての質問をしてきた。直近まで修道院で暮らしていた、あの子のほうが詳しいはずなので、おかしいとは思ったんだが……なあ」

「ええ……愛娘のおねだりは絶対なので、私たちが知っていることは全て教えましたわ……」


 口を揃えて親馬鹿ぶりを示す夫妻に、サイトスは複雑なため息を零した。ブリジットのおねだりを全肯定するのは仕方がない。それでこその愛され転生、難易度Fなのだから。今回はそれを逆手に取られてしまったようだが。


「より正確には、創世の女神イルファリアに選ばれし乙女の話……ですか」

「ああ、そうだ。ここに記述がある」


 ストラクス伯爵の手元にあるのは、波打つ金の髪が豊かな女神イルファリアが表紙に描かれた、分厚い一冊の本である。この世界の教会や修道院はもちろん、高位の貴族の家にはステイタスとして置いてある「創世天神教典」だ。書斎からわざわざ持ってきたらしいそれを、彼は開いて見せてくれた。サイトスは思わずうなった。


「お嬢様のポカに合わせて、本の内容まで改ざんされるのか……」

「何かね?」

「いえ、なんでも。失礼、拝見いたします」


 軽く一礼して本を手に取ったサイトスは、この世界の執事として身に着けた一般教養である創世神話の中の、見知らぬ文章を黙読する。

 遍く世界の創世天神である女神イルファリア。世界に危機迫りし時、女神は清らかな乙女を選び、己の代行者とする──


「やはり……お嬢様も、チート能力を手に入れるつもりなのですね」


 覚醒寸前の魔王めいた譫言。あれは「父」と触れ合ったショックから出た、ただの妄言ではない。ショックを受けたせいで、目指す姿を口走ってしまったのだろう。「強く」だの「全てを破壊する」だのといった、およそ創世の女神の代行者らしき姿ではない表現にも問題を感じるが、それよりもだ。


「……世界に危機迫りし時?」


 どうしてだろう。途轍もなく嫌な予感がしてきた。


「あの、ところで旦那様、奥様。お二人は、あえてお嬢様を痛い目に遭わせようなどとは」

「ん?」

「まあ、何を言っているの、サイトス?」

「なんでもありません、大変失礼いたしました!! では、私はこのへんで!!」


 グレイシスという先例があるので、つい疑ってしまった。心底不思議そうな彼等に謝罪すると、サイトスはティールームを出て行った。

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