第16話 さよなら、第二王子様

 みなまで言わせず、ブリジットは言下に断った。自信を取り戻していたはずのレヴィンの眼に細波が走るのが分かったが関係ない。この結末は、最初から決まっていた。


「私は、あなたとも……誰とも、結婚しません。……ごめんなさい」

「……そっか」


 寂しげな笑顔は、どこかブリジットにも共通している。そんなレヴィンとのエンディングが閉ざされていく。

 今回は怪我などしていないはずなのに、サイトスは胸を押し潰すような痛みを感じた。今だけ狩人系クズになれ、君を逃がすものかと食い下がれという願いは届かない。


「ううん、いいんだ。僕には兄上がいるし、アルバートだっているんだもの」


 心配ないよと笑って、レヴィンは必死に顔を上げ続けているブリジットの背後に視線をやる。


「ブリジットちゃんには、サイトスがいるものね」

「え……、ええ! そう!! そうです!!」


 そう、ブリジットにはサイトスがいる。彼さえいればいいのだ。優先順位を間違えてはいけないとばかりに、大きくうなずいたブリジットは、その勢いでレヴィンに尋ねた。


「ところで一つ、伺いたいんですけど。この間、私を女神イルファリアに選ばれし乙女とおっしゃいましたよね。あれは、どういう意味ですか?」

「え? ああ、ファールンに伝わる伝承だよ。創世の女神イルファリアに選ばれし乙女は、女神の代行者として彼女の力の一部を使えるっていう」

「お、お嬢様、お嬢様、あまりそこに突っ込んではいけません……!!」


 そのあたり、ナビゲーターであるサイトスでさえ知らない、ブリジットのポカをごまかすために急造されたと思しき後付け設定なのである。下手に追及すると、やっつけ改造が重なって何がどうなるか分からない。慌てふためくサイトスだったが、ブリジットに意識を逸らした瞬間に、レヴィンの姿は淡い金色の光に包まれていた。

 レヴィン・ルートが終わったのだ。彼を含めた王宮の人々が、王宮そのものも含めてきらめく粒に解体されていく。


「さよなら、レヴィン様……」

「お嬢様……」


 ぽつりとつぶやくブリジットに寄り添うように、サイトスはそっと彼女を呼んだ。


「最後に役に立ってほしかったけど……仕方がないわね」

「……お嬢様」


 今度はたしなめの意味でサイトスは彼女を呼んだ。気持ちは分かるし、レヴィンはすでに消えているため聞こえないだろうとは思うが、その扱いはあんまりではないか。


「いいじゃない。冷静になって考え直したけど、レヴィン殿下は駄目。絶対に駄目よ。だって一番嫌いなタイプのクズだもの」

「は?」


 突然の辛辣な評価にサイトスは首を傾げる。人間狩りに関しては、さすがに誤解が解けているものと感じていたのに、レヴィンはいつブリジットの地雷を踏んだのだろう。詳しく聞いてみたくはあるが、そろそろ彼等も時間切れだった。


「……ごめんね、サイトス」


 ハニーブロンドをより鮮やかに輝かせる光の中、ブリジットの顔がくしゃりと歪んだ。


「次の周回に入れば私、またあなたを危険にさらすの。それなのに……どうしても受け入れられなくて、本当にごめんなさい……!!」

「! お嬢様!!」


 グレイシスの指示によるブリジット襲撃は強制イベントであり、絶対に回避できない。そうと理解しているサイトスは、主を傷付けるわけにはいかないと、自分が盾になることを選んだ。二周目にしてコツを掴み、刺客を無傷で取り押さえることにも成功した。

 それで問題ないと、いい気になっていた。

 大切な執事が傷付く可能性があると、分かった上で何もできない。してはいけない。その繰り返しの強制が、どれだけブリジットの魂を削るか、理解していなかった。


「私こそ……申し訳ありません。あなたに辛いことを強いている。分かっている、これは全部俺の我が儘なんだ」

「ああ、素敵……!」

「それでも、俺は……降って湧いたこのチャンスを、絶対に逃したくない……!!」

「最善を尽くすがゆえに起こる掛け違い、誰も悪くないからこそ深みを増す泥沼……! 脳が痺れ、心臓が強く絞られる……これこそが、『人生』……!!」

「グレイシス様! 私以外聞いていないので別にいいですが、次も頼みますよ!!」


 王宮への出入りを禁止されているはずなのに、一体どこから現れたのか。苦悩するサイトスを肴に愉しそうなグレイシスを怒鳴り付けた彼もまた、テールコートの端から周囲を満たす金の光に紛れていった。


「ふふっ、ふふふっ。ええ、ええ、分かっていましてよ!」


 一面光の海と化した中、グレイシスの艶やかな黒髪は異彩を放っている。聞かせる者など誰も残っていないのに、紅い唇は憑かれたように動き続けていた。


「分かっているけれど……ああ、いけない、いけないわねぇ。欲望というものには際限がないの」


 悪役令嬢が邪悪な笑みを浮かべるのは当然である。しかし今グレイシスの紅唇を捻じ曲げるのは、十代の小娘とは思えない、老獪な「狩人」の愉悦だった。


「だって、創世の女神イルファリアに選ばれし乙女なんて……ねえ? ブリジット、ああブリジット、あなたはなんて姉思いなの! もう我慢できない。可愛い可愛い可愛い妹の一番可愛い姿を封印しておくなんて、世界の損失というものだわ……!!」


 中途半端な充足は渇きを促進させるだけ。想定よりも高貴な獲物とくれば、なおさら。あーはっはと高笑いしたグレイシスの姿も金色に解けていく。

 全てが光の粒子に還る寸前、どこからか一陣の冷たい風があたりを吹き抜け、新たな始まりに向けて終わる世界と共に消えていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る