第14話 雨夜の訪問
一々ごもっともな話だ。その提案に魅力を感じている自覚があるからこそ、サイトスは自嘲を込めて吐き捨てた。
「聡明なあなたであれば、お分かりでしょうに。お嬢様の私への気持ちは、恋愛ではありません」
「そうね。頼りになる家族へ向けるようなもの、かしら?」
はっと息を呑んだサイトスは、何かを恐れるようにうつむいた。
「俺じゃだめだ」
震えるように吐き出された声は、先の比ではない自嘲と後悔を含んでいた。
「彼女の心に一番大きな傷を付けたのは俺だ。俺じゃ、彼女を救えない」
「……ふうん」
意味ありげにつぶやいて沈黙したグレイシスを、サイトスは探るように見つめている。
「何かおっしゃりたいことがあるのでしょうか」
「ええ、たった今味わわせてもらったばかりの、この胸のときめきを伝えたくて……想い合うゆえにすれ違う主従も美味しいわ! 可愛い女の子ほどじゃないけど、いい男の苦しむ顔もそれなりに好きだし」
堂々とさらけ出された悪趣味は、本心ではあるのだろうが。疑念を捨てきれないサイトスの心境は分かった上で、グレイシスは仕事の話を始めた。
「それはそうと、そろそろ時期的にも好感度的にも、次のイベントじゃない?」
「好感度は最初からほぼ百ですけどね。ええ、ですが、おっしゃるとおり。レヴィン王子で決めたいと思っておりますので、お力添えをよろしくお願いします、グレイシス様」
攻略対象はまだ残っているとはいえ、王子二人と比べれば地位は大きく落ちる。サイトスの目的はこのゲームの完全クリアなどではないのだ。ぐずぐず問答を長引かせると人目に付く可能性もあるため、釘だけ刺してサイトスは階下へ降りていった。
※※※
グレイシスの言うとおり、節目となるイベントは数日後のしとしとと小雨が降る夜、突然訪れた。
「ブリジットお嬢様、夜分に失礼いたします。レヴィン殿下がみえられました」
「寝たと言って」
雨の音に紛れるように、そっと部屋に入ってきたサイトスが告げるなりブリジットはすぐさまベッドに戻ろうとした。
「駄目です! こんな雨の夜、人目を忍んでいらした方を無視できないでしょう!!」
「甘いわよサイトス! その程度の演出、あのクズならやってのけるわ!!」
間髪を容れず言い返したブリジットのドヤ顔を、サイトスは冷静に見つめ返した。
「本当に、そうお思いですか」
降り続ける雨に似て、その視線はブリジットの胸に静かに染みていく。程なく根負けした彼女は、渋々とうなずいた。
「……分かったわよ。逆恨みされては、堪らないし」
ルートに入った攻略対象と会うことは、どうせ避けられない。そこは譲歩したブリジットであるが、エルハルトだってこんな訪問の仕方はしてこなかったのだ。青い瞳には不安と猜疑が渦巻いている。
「サイトスは、この先のルートを知っているんでしょう。レヴィン殿下はどうして来たの? もしかして私に、兄上襲撃を手伝わせるつもりなのかしら……? 共犯者に仕立てることで手を汚させて逃げ道を塞ぐ、クズの考えそうなことよね……」
「申し訳ありませんが、ルール上申し上げることはできません。ご安心ください、お嬢様が不安に思うようなことはありませんから」
愛されヒロインにそんなことをさせるものか。脳裏をチラつくグレイシスの訳知り顔を振り切って、サイトスは請け合った。
「大丈夫です。影ながら見守っております。万一のことがあれば、身を挺し……」
途中でブリジットの悲しげな顔に気付き、言い直す。
「私もお嬢様も一切傷付くことなく、殿下だけ始末します」
「さすがサイトス、頼りになるわ。少し待ってね、着替えます」
うなずいたサイトスは十五分、彼女を連れて自分の部屋に向かった。使用人といえども、伯爵家のお嬢様を任される執事には私室が宛がわれている。そこにレヴィンを待たせてあるのだ。
※※※
「来ちゃった」
サイトスと共にブリジットが入室するなり、レヴィンはいつものおどけた調子でうそぶいた。ただしその顔はひどく青い。来る途中で雨に打たれたから、だけとは思えないほどに。彼の側に控えているアルバートもまた、日焼けした肌にらしくもない陰りを落としている。
「ごめんね、ブリジットちゃん。こんな時間に、急に」
「ど、どうなさったんです、殿下。お顔の色が……」
思わずブリジットが声に出して問うと、レヴィンは唇を歪めるようにして弱々しく笑った。
「ブリジットちゃんには、隠し事ができないな。うん。ちょっとね。ちょっと兄上の手の者に、襲われた」
「……あっ」
恒例のチョロさに突っ込めないぐらい、ブリジットは激しく動揺した。そういえば、彼が兄を襲撃する前に、そういうイベントがあったのだった。全体的な話の進行は分かっていたはずだったのに、サイトスの怪我に気を取られていたせいかだろうか。頭から抜け落ちていたそれが、虚飾の明るさを剥がれたレヴィンの痛々しい表情が、これまでになく胸を打った。
「大丈夫だよ。アルバートも守ってくれたし、僕もそれなりに鍛えてはいるから。だけどね。やっぱりね。どうでもいいと思われているのは分かっていたけど、さすがに兄上に命を狙われると堪えるな……王冠を戴く前に、ごみを片付けておきたくなる気持ちは分かるけど」
だから、君に会いたくなっちゃって。力なく笑ったレヴィンの後ろでアルバートが動いた。ぎくっとしたブリジットだったが、彼は視線を送ってきたサイトスとうなずき合って、そっと部屋を出ていった。
モラハラ野郎は消えたがクズ二号と二人きりにされてしまった。サイトスの裏切り者、という言葉は出なかった。なにせレヴィンに投げつけるべき言葉さえ出ないのだ。
この先に進めば告白イベントが来てしまう。フラグを折るなら今がチャンス。どうせ振るのだから、たとえゲームの登場人物とはいえ傷付く心を持つ存在なのだから、無駄な時間を使わせるのは申し訳ない。
家族なんて、しょせんは最初に出会う他人。兄とはいえ、兄だからこそ、自分の利益のために弟を傷付けるなんて当たり前でしょう。言えばいい。これまでの展開からして、多少の罵詈雑言を投げつけても都合良く解釈されてしまうのだから、頑強なルールを破壊するにはより強力な爆弾を使わねばなるまい。
「……おかわいそうに、レヴィン様」
それなのに、私の馬鹿。口火を切った瞬間に自嘲を覚えたが、淀んでいたレヴィンの眼に光が戻ったのが見えてしまうと、今さら方向転換もできなかった。
「お兄様に裏切られるなんて……悲しいですね」
「ブリジットちゃん……」
感極まったレヴィンに手を取られそうになる寸前、するりと躱す。伊達にサイトスと訓練を積んできたわけではない。それは良かったのだが、動揺はまだ尾を引いていた。
「でも、大丈夫。誤解ですわ、レヴィン殿下。ですから、兄上の命を狙うなんておやめくださ……」
「君、どうして、それを」
凍り付いたレヴィンの表情でブリジットは失態を悟った。反射的に後ずさって構えを取る。
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