第13話 二人の幸せのため
こうして幕を開けたレヴィン・ルートは、エルハルトの時と基本的には同じように進展した。要するにレヴィンがひたすらブリジットに会いに来る。第二王子とはいえ、目上の命令を避けられないブリジットは仕方なく従う。理由を付けて避けるのも限界があり、逃亡先で出会すことも多い。
だがエルハルト・ルートの時とは決定的な違いがあると、サイトスの眼には映っていた。
「もーう、本当にさ、兄上ったら朴念仁で!」
以前エルハルトも案内したストラクス伯爵家の庭を散策しながら、レヴィンは大袈裟な身振り手振りを交えて語っている。それをサイトスは、生け垣の影に隠れて聞いている。
「真面目は真面目なんだけど、融通が利かないんだよねぇ。そのへん自分でも気にしててさ、暇ができると感性を磨かないといけないとか言って、詩の朗読会を開かせたり歌劇を鑑賞したりするわけ。でも、登場人物の心の機微がいまいち理解できないから、『どうしてあそこで急に叫んだ?』とか、あとで役者に聞くんだよね。せめて脚本家に聞けばいいのに」
「エルハルト殿下らしいですわね」
くすくすと鈴を転がすような笑い声を立てるブリジットの顔を、レヴィンはふと凪いだ瞳で見つめた。
「そうなんだよね。そこが兄上のいいところで、同時に悪いところでもある」
一周目で兄も眼を留めた赤い花──ちなみに女神の血涙という、やや物騒な名を持っている──をバックに立ち止まったレヴィン。背景の鮮やかさと入れ替わるように、彼の瞳は灰色にくすんで見えた。
「僕のいいところは、誰とでも盛り上がれるところ。相手が何をしてほしいか、大体分かるからさ。……ブリジットちゃんは、ブリジットちゃんも、兄上の話だと自然に笑ってくれるね」
びくりと肩を竦めたブリジットを見下ろして、レヴィンに付いて来たアルバートは短気を覗かせたが、その主は諦めたように表情を和らげる。
「ううん、いいんだ。だってみんな、僕より兄上の話を聞きたいだろうし」
「そんなことはありません!」
そうだそうだと、サイトスは冷や汗をかきながら声もなくうなずいていた。安心してほしい。ブリジットは兄弟どっちの話だって基本的に聞きたくないのだ。……彼女は、ただ。
「私は、ただ……」
レヴィンの指摘にブリジットも己の内面に眼を向けるが、何も見えない。正確に言うと、黒いもやのような反発に邪魔されて、理由に至れない。理由に至ったほうがいいかどうかさえ、見えない。
「嬉しいよ。そんなに真剣に、僕のことを想ってくれて」
「いえ、そういうわけでは断じてないのですけど」
このゲーム内の攻略対象共通、対ヒロインへの呪いのようなポジティブさで曲解されてしまったが、それは違うと明言できる。ブリジットはぴっしゃり撥ね付けるも、レヴィンは譲らない。
「ふふ、相変わらず謙虚だね! そういうところが、本当に新鮮で可愛いよ。……兄上が順当に次の王様になったとしても、僕には適当な爵位ぐらいくれるだろうからさ。おねだりしてくれれば、いい暮らしをさせてあげるのに」
「ええ、もちろん、それは是非いただきたいです!」
「あはは、ブリジットちゃんは本当に素直だね! いいよ、君が望むなら、なんだってあげるよ!!」
「こ、こんなにあからさまにキャラブレして見せているのに……!!」
アルバートまで楽しげに笑っているが、これが「素直」として許容されるなら、レヴィンの地位目当てに群がる人々も同じだろう。贔屓の強さにブリジットは引いてしまい、盗み聞きしているサイトスも実はちょっと引いていた。
「い……いやいや! 許容範囲だ、兄殿下もこういう感じだった!! 王妃の座は課せられる責務も重いことだし、第二王子の妻のほうが幾分気も楽だろう……!!」
己にそう言い聞かせたサイトスは、やがて上機嫌で帰っていったレヴィンたちを見送ったあと、曖昧な表情で立ち尽くすブリジットに話しかけた。あたりにはすでに夕映えが訪れており、二人の髪は同じ緋色に輝いている。
「レヴィン殿下とは、話が弾むようで何よりです」
「そ、それは! だってあの方は、エルハルト殿下と違って外面のいいクズだもの。だからつい、心の隙を突かれてしまって……」
最後のほうは引いていたが、途中はただのご機嫌取りを超えた態度を取っていたことにはブリジット自身も気付いていたようである。少し不安はあるものの、ハッピーエンドのためにはいい傾向だと思って伝えたのだが、彼女はしゅんとうなだれた。
「ごめんなさい、サイトス。私がうっかりクズに捕まれば、あなたもひどい目に遭わされるのに」
「そんな……責めているつもりはないのです。私はあなたが、レヴィン殿下と結ばれることを、心から願っております」
慌てて弁解したサイトスを、ブリジットはじっと見つめた。
「私は、私とサイトス、二人の幸せしか考えていないわ」
顔形はサイトスの知る「彼女」と異なる。一般的な美しさで言えば今のブリジットのほうが遥かに上だろう。変わりのない、瞳の奥にある悲しい光だけが今も昔もサイトスの魂を惹き付けてやまない。
「お世話になっているストラクス伯爵家の皆さんにも、できれば今のまま、幸せでいてほしいけど……一番大切なのは、私とあなた。伯爵家の令嬢として、それなりの権力は手に入れたけど、全てをほしいままにできるほどじゃないもの」
実際の権力者は父である。前世の父とは比べものにならないほど優しく温かい人なのは認めざるを得ないが、万一を考えると不安を拭いきれないのだ。人は、男は、豹変するものだとブリジットは知っている。
「どうせだったら、私を王様にしてくれれば良かったのに、なんてね。分かっているわ、今でも十分幸せ。みんな優しくしてくれるし、着るものにも食べるものにも困らないし」
前世の生活の細かい部分は思い出していないし思い出したくもないが、家中の絶対暴君であった父に振り回され、彼の機嫌次第で食事を抜かれることもざらな生活だったことはぼんやり記憶している。衣食住の心配をしなくていいだけで、ブリジットは十分幸せなのだ。
「これ以上なんて望まない。まして、サイトスを犠牲に私だけ幸せになんて、絶対に許さないから。いいわね?」
「はい。肝に銘じておきます」
即断に安堵してくれたらしきブリジットを、サイトスは部屋まで送り届けた。レヴィンの相手で疲労している彼女の世話はいったんメイドたちに任せる。夕食の準備を手伝ってきます、と言い残して辞去したサイトスが廊下を歩いていると、不意に物陰から声をかけられた。
「ブリジットにはああ返事をしたけど、本音は?」
グレイシスだった。レヴィンが訪ねてきた時には黄色い声を上げてべたべたとまとわりついた挙げ句、「ごめんね、今日は君に用はないんだ」とすげなく突き放されてハンカチを噛み締めて悔しがる、という悪役令嬢ノルマをこなしていたが、今の彼女の表情はひどく静かだ。すばやく周囲を見回したサイトスは、側に近付くと小声でたしなめた。
「失礼なことをおっしゃらないでください。私も意味もなく傷付きたいわけではありません」
「必要な犠牲であれば惜しみなく。そういうことね」
サイトスに軽くにらまれてもグレイシスは動じるどころか、こう焚きつけてきた。
「いっそあなたが、隠しキャラその二になればよろしいのに」
「……は?」
「ナビゲーターが最後の攻略対象。ありがちな展開ではなくて? 隠しキャラその一は、もうバレバレなのだし。ブリジットだって、あなた以外は眼中にない様子じゃないの」
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