第二章 レヴィン・ルート
第11話 運命の始まる日(二回目)
本日は領主たるストラクス伯爵家の次女にして、周囲よりたっぷり愛情を注がれて育ったお嬢様が、行儀見習いのために預けられていた修道院から三年ぶりに帰還するめでたき日である。
「お帰りブリジット、私の可愛い娘! なんと大きく、美しく育ったことか。さあ、父の胸に飛び込んでおいで!!」
「えっ?」
巨大な屋敷の正面扉前に停まった馬車から降りる寸前で、ブリジットは固まった。晴れ渡る空に負けない、満面の笑みを浮かべて愛娘を出迎えようとしていた父伯爵も、腕を開いたままで固まっている。
「おや、どうしたんだい、ブリジット」
「旦那様、お嬢様はきっと長旅の疲れが出たのでしょう。そうですよね?」
ストラクス伯爵夫妻の斜め後ろに控えていたサイトスが、何食わぬ顔でそう言い添えた。
「あ、ああ……そう……そういう、こと……」
口元に手を当て、譫言めいたつぶやきを漏らしたブリジットは、ハニーブロンドをさらりと揺らして愛らしく微笑んだ。
「ごめんなさい、お父様、お母様。サイトスの言うとおり、長旅の疲れが出たようで……気分が優れませんの。サイトス、部屋に連れて行ってくれる?」
「──もちろんです、お嬢様」
胸に手を当て、一礼したサイトスは、心配して集まってくるメイドたちを適当に躱しながらブリジットを連れて彼女の部屋に入った。邸宅の二階の端にある、日当たりのいい大きな部屋。甘い水色の内装がいかにも少女らしいその中央で、天使のような部屋の主は気難しい表情を浮かべながら状況を確認する。
「ループもの……いえ、違うわね。エルハルト殿下の告白を断ったから、ゲームの始まりの日に戻されたというわけ……」
「さすが私のお育てしたお嬢様、聡明でいらっしゃる」
「そうね。そんなあなたも、聡明な執事」
物分かりの良さを褒められたブリジットは鷹揚にうなずき返した。鉄壁の意思を瞳にみなぎらせて。
「一周目で分かったでしょう、サイトス。私は男なんかに幸せにしてもらうつもりはないの」
「ええ、分かっています。分かっていますよ、お嬢様」
肩慣らしの一周目を経て、サイトスもブリジットの扱い方を学習している。
「社交界デビューが避けられるものではないことも、あなたは分かっていらっしゃるはずです。さ、三日後の登城に向けて支度を始めましょう。お嬢様のためにわざわざ予定を空けてくださっているエルハルト殿下たちを、無視はできないですよねぇ? 攻略対象の皆様たちは、記憶も好感度も一からやり直しなのですから……」
「く……っ……!!」
引き継がれているのは自分たちの記憶だけなのだ。この状態でブリジットが登城拒否などしようものなら、ストラクス伯爵家は反逆予備軍として目を付けられ、適当な理由で没落させられてしまう。と、ブリジットは考えるに違いないと、サイトスは読んだ。読みは当り、ブリジットも渋々と王宮へ挨拶に赴くことを承知した。
※※※
こうして始まった「ふわふわ姫は愛されまくる」二周目は、エルハルトとの出会いのシーンまでは、ほぼほぼ完全に同じだった。その裏でサイトスが「私用」コマンドでグレイシスと密談をし、「今回もよろしくお願いします」との密約を交わすところまで同じだ。
違うのはエルハルトとの謁見時、いまだ彼を警戒しているブリジットがグレイシスにドレスの裾を踏まれた後、彼女を助けた相手である。
「あーら、鈍くさい子ねぇ!」とグレイシスが哄笑するなか、エルハルトを避けたい気持ちも働いたのだろう。正面の玉座から斜めにずれて倒れ込んだブリジットを抱き留めたのは、第二王子レヴィンである。
「おっと、危ない!」
色合いの違う二人の金髪が衝撃に跳ね、シャンデリアの光を弾く。兄にはやや劣るとはいえ、十分に長身で体格のいいレヴィンの腕の中に、華奢な少女がすっぽりはまった様は絵に描いたような乙女ゲームのワンシーン。スチル待ったなしの光景を前に、グレイシスは高々と笑う。
「本当に申し訳ありませんわぁ、レヴィン様……面倒ごとを嫌うあなたに手間をかけさせるなんて、なんと鬱陶しい子でしょう。これではとても、社交界デビューなんてさせられませんわねぇ?」
律儀に見え透いたフラグを立ててくれるグレイシス。彼女も一周目の記憶は引き継いでいるのに、よくやるもんだと感心しているサイトスのことなど知らず、レヴィンは腕の中で青ざめているブリジットに軽薄なウインクを飛ばす。その瞳の色は、兄より少し明るい紺色だ。
「そんなことないよ、だってブリジットちゃんってば羽のように軽いし。こんな可愛い子とお近づきになれる機会をくれるなんて、グレイシスも本当に優しいよね!」
ふざけた態度が目立つレヴィンだが、エルハルトが自分の補佐にと考えている弟だ。姉妹のどちらも立てる一言を流れるように口にした。
「……はうっ」
それを聞きながら、ブリジットはがっくりと首を後ろに垂れた。
「あっ、ええ!? ブリジットちゃん、大丈夫!?」
慌てるレヴィン。どこか怪我でもさせたかと慌てふためく彼に、サイトスは咄嗟に前回も使用した言い訳を持ち出した。
「大丈夫です、殿下。ブリジットお嬢様は、男性慣れされていないのですよ。ですから、殿下のような素敵な殿方を前にすると、緊張されてしまうようで……」
水を向けられた途端、単に慌てていたレヴィンの眼の奥に本物の好奇心の灯が灯る。
「やれやれ、修道院から帰ってきたばかりだとは聞いてたけど……ここまで世間ずれしてないとは。ふふ、面白い子だね」
だらりと垂れていたブリジットの指先がびくっと震え、エルハルトがほう、と息を吐いた。
「お前が女に甘いのは毎度のことだが、初対面でそこまで気に入るのは珍しい。俺も少し、興味が湧いてきた」
「ご兄弟が揃って、同じ女性に興味を示されるとは……」
「珍しいこともあるもんだ。俺も興味が出てきたぜ」
王子たちを警護していた温和な騎士、セイは意外そうな表情になり、彼の親友であり豪放磊落を絵に描いたようなアルバートは不敵に笑った。
「……まあ、腐ってもストラクス伯爵の娘だ。無下にはできんが……グレイシスより、注視の必要がありそうだな」
宰相のロウアーは面白くなさそうな様子だが、それゆえにブリジットを無視できないようだ。どこからか一陣の冷たい風が謁見の間の中を吹き抜けていったと思ったら、ふふ、と楽しげな少年の声が響き、すぐに消えた。現時点では姿の見えない隠しキャラ、スノーブルーの登場フラグまで立ったようだ。毎回ここでフラグが立つなら、隠しもへったくれもないじゃないかとサイトスは思ったが突っ込むのはやめた。
「く……なんてこと! まさか、こんな展開になるなんて……!!」
「チッ……ただ気絶しただけじゃ、『面白い女』フラグは折れないのね……」
プロのグレイシスが、全員の台詞を待ってから悔しげに吐き捨てる最中、ブリジットもまた無念のうめきを発した。そしてレヴィンの腕を抜け出し、サイトスの側へと小走りに駆け戻ってきたからだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます