第9話 譲位の式典
ブリジットが王宮にて行われる舞踏会へ招待されたのは、それから十日後のことだった。
名目は譲位。かねてより体調不良で伏せっていた国王が、ついに代替わりするのだ。無論、代わって即位するのは第一王子エルハルトである。
そしてストラクス家への招待状は父伯爵夫妻とブリジット宛てにだけ届いた。何かにつけて妹の悪口を言いまくっていたグレイシスには届かなかった。
表向きはいまだ社交界デビューができていないブリジットのお披露目を兼ねて、とのことだったが、譲位の式典でそれを行う理由は、最近のエルハルトの執心ぶりを考えれば火を見るより明らか。怒り狂ったグレイシスは今度は王家の文句を言いまくり、やむを得ない処置として父から自室での謹慎を申しつけられた。
「ついにこの日が来ましたね、お嬢様」
「──そうね、サイトス。来てしまったわね……」
ブリジットはといえば、サイトスが持ってきた招待状を見てこの世の終わりのような顔をしている。
「く……っ、至尊の座まで手に入れたクズに、最早勝ち目はない……! いいえ、いいえ、私はまだ諦めない。クズ王子にはクズ王子をぶつけるのよ。兄への劣等感を抱えている弟と殺し合わせれば……!!」
「最悪の場合国が割れ、内乱が起こって平和なこの地もめちゃくちゃになるかもしれないですね。はい、そんなことより、ドレスを決めましょう。仕立屋も呼ばないと」
無駄な足掻きをやめないブリジットをなだめすかし、サイトスは着々と決戦の日に向けて準備を調えていく。当日の昼過ぎ、処刑台に向かう面持ちの彼女の頬に多めに白粉をはたいた彼は、紳士淑女でごった返す王城の大広間にまでどうにか主を連れてきた。事件は、その直後に起こった。
※※※
吹雪に偽装された殺意が、賑々しく飾り付けられた大広間を切り裂いていく。
「なッ」
「きゃああ、なにっ!?」
「まさか、魔法使い!?」
このような真似ができるのは魔法使いのみ。だがファールン王国ではその存在自体は知られていても、王族や貴族でさえ彼等と接する機会は少ない。冷たい風が吹き荒び、巨大なシャンデリアがガラスの雨を降らせながら落下すれば、身分の上下なく逃げ惑うしかない。
「殿下、お逃げください!」
「この風は殿下を狙っております! くそっ、どうしたことだ、女神よ未来の王を加護したまえ……!!」
エルハルトの警護を担う兵士たちはさすがの胆力を発揮し、懸命に即位目前の王子を庇っている。丁度エルハルトに挨拶をしていたため、巻き込まれてしまったブリジットとサイトスも警備兵の輪の中にいた。
「狙いが殿下なら、無関係の私たちは逃がしてくれないかしら……」
「おやめください、不敬罪になりますよ!」
気持ちは分かるが口に出さないでほしい。冷や冷やしながらサイトスは油断なく視線を巡らせる。そろそろ来るはずだ。
「死ねっ、頭ふわふわパンケーキ娘!」
待っていたタイミングでイベントが発生した。逃げ遅れたように見せかけ、近くに残っていた給仕の青年が突進してきた。その手には、大ぶりのナイフがしっかり握り締められている。
「きゃ……!?」
突然の出来事に、悲鳴を上げたきりで固まるブリジット。頼まれてある程度の訓練は行っていたが、平和すぎるこの世界では実戦経験を積むこともできないため、こういう反応で終わるのは当然だ。正規のルートでも、訓練など積んでいないヒロインは実際に刺される。
そうはさせるものか。サイトスはすばやくブリジットの前に飛び出した。
エルハルト暗殺計画のどさくさに紛れ、グレイシスが放った刺客にブリジットが襲撃される。傷は浅く、痕が残るようなものではないが、ブリジットに熱を上げているエルハルトは怒り心頭。グレイシスの幽閉を命じるのだ。
ここまでがあまりにもヒロインに甘い流れなので、ルート終了直前にちょっと痛い目に遭わせてバランスを取ろうというライターの気持ちは分かる。分かるが、その甘さこそを求めてサイトスは「ふわふわ姫は愛されまくる」を選んだのだ。偏愛上等、ご都合主義万歳。もう二度とブリジットに、痛い思いをさせはしない。
「サイトス、だめ!」
先の悲鳴を上回るブリジットの絶叫。それを聞きながら、浅く脇腹を切り裂いたナイフを取り上げたサイトスは、逆に刺客を床に叩き伏せる。
「サイトス、サイトス、しっかりして!」
「大丈夫ですよ、お嬢様。かすり傷です」
駆け寄ってきたブリジットをサイトスは苦笑しながらなだめた。ブリジットにも大した怪我をさせられない刺客の腕なのだから、彼女のために鍛えてきた自分相手なら言わずもがな。血止めの必要もないぐらいの怪我なのだが、ブリジットはせっかくきれいにセットしてもらった髪を振り乱して涙ぐんでいる。
「いや、いや! またあなたが傷付くのは、いや……!!」
「──また?」
刺客には怪我を負わされてなお微動だにしなかったサイトスが、かすかに肩を揺らした時だった。
「ご自身も危なかったというのに、それほどに執事を心配されるとは……なんと心の清い方だ……」
エルハルトだ。ブリジット襲撃に気を削がれたのか、彼を狙う攻撃は終わったようである。衣服のあちこちが裂かれてはいるが、目立った怪我もないようだ。乱れた黒髪を軽く撫でつけながら、
「あなたを襲った相手のことも絶対に締め上げるが、その前にだ。──自分が何をしたか分かっているな、レヴィン」
ブリジットから視線を切ったエルハルトは、招待客が逃げ散って閑散とした大広間の中央、忠実なセイの手によって引き摺り出された弟を鋭く見やる。いつもの軽薄な笑みを失ったレヴィンの顔は、兄と印象が近くなっていた。
「ああ、分かってるよ。僕が先に兄上を殺さなきゃ、兄上に僕が殺されるってことをね」
「なに?」
「とぼけるな。先に僕を襲わせたのは兄上じゃないか!!」
「そうだ、エルハルト殿下。だからレヴィン殿下は、身を守るためにこんなことを……!」
悲鳴じみたレヴィンの糾弾に、その隣に同じく捕まっているアルバートが同調した。ブリジットはサイトスの傷口を確認する手を休め、「やっぱり裏があったのね」と瞳を輝かせる。サイトスは聞こえていないふりをした。
「俺はそんなことはしていないし、する理由もない。逆ならまだしもな」
お前が俺を嫌っているのは分かっている。暗にそう匂わせるエルハルトに、レヴィンの表情はいよいよ切迫したものを帯びる。
「……そう、だよね。兄上にとっての僕は、脅威でもなんでもない。わざわざ殺す価値もない相手さ。だったら、さっさと適当な役職でも与えて、僻地に飛ばしてしまえばいいだろう!?」
レヴィン自身、薄々エルハルトが自分を襲撃する必要などないとは感じていたのだろう。痛いところを突かれた焦りは、支離滅裂な理屈に続き、痛切な本音を暴き出した。
「兄上の代わりとして据え置かれたまま、一生飼い殺しなんてごめんだ……!!」
悔し涙さえにじませ、レヴィンは無言で唇を噛み締めている兄を睨む。
「兄上だって、本当は僕のことを馬鹿にしてるくせに。自分のスペアだとしか思ってないくせに……!」
「──そうだな。俺に何かあった時、代わりは必ず必要だ。玉座を空にはできんからな」
冷静にエルハルトは、それも一面の真実であることを認めた。
「俺の代わりができるのはお前しかいない。俺が王になった後、補佐を頼めるのもお前しかいない」
レヴィンがあ然と眼を見開き、エルハルトは照れ臭そうに視線を斜めに落とした。
「……口下手ですまん。もっと早く、きちんと伝えるべきだった。遊び呆けているようなふりをして、お前が勉学も武芸もきちんと修めていることは、俺も知っている」
「……ッ……! な、なんのことさ。僕はただ、課題をこなしているだけで……!!」
動揺するレヴィンにつかつかと歩み寄ったエルハルトが、無理矢理彼を抱き締める。最初は嫌がって暴れたレヴィンも次第に勢いをなくし、やがては固い抱擁を交わした。
「エルハルト殿下、私には怖いぐらいに気持ちを伝えてきたくせに……」
「まあまあ……あなたと触れ合う中で、気持ちを形にする大切さを殿下も学ばれたのですから……多分……」
満足するまでサイトスの傷口の確認を終えたブリジットが零す。サイトスがそっと取りなしている間に、エルハルトはレヴィンを放し、アルバートを解放するようセイに命じると、もう一人の男を見据えた。
「ロウアー、お前の仕業だな」
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