第8話 好かれる仕組み
ブリジットの努力も虚しく、エルハルト・ルートはサイトスの思惑どおりに進んでいった。
何かにつけてエルハルトが会いに来る、もしくは招待されれば、地位の差に怯えているブリジットに断る術はない。仕方なく逢瀬を重ねるたびに、好感度は容赦なく積み重なっていく。
もちろんブリジットは、会うたび自分下げを忘れなかった。グレイシスを含め、別の女性たちを褒めそやしたが、返ってくるのは「なんと奥ゆかしい」という評価のみ。これはまずいと作戦変更、高慢に振る舞う、姉の悪口を言う、なども試してみたが「面白い女だ」「お前は変わっている」「本当に世間知らずなんだな」で片付けられてしまう。
個別ルート確定後に攻略対象キャラに会ったが最後、好かれる。呪いじみた世界の仕組みに気付いたブリジットは、仮病などを駆使してエルハルトを避け始めた。だが、そう何度も使える手ではない上に、用事を作って出かけた先でも鉢合わせること多数。「私用」コマンドを乱発してサイトスやグレイシスが手引きをしたこともあったが、それ以上にこのゲームの仕組みが二人を導いていた。
「あっ、ブリジットちゃん! 兄上に用だろう? ちょっと待っててね、アルバート!!」
「おう、自慢の足ですぐに探して来てやるよ!! そこを動くんじゃねえぞ!!」
父の付き添いで出かけた晩餐会にて、レヴィン・アルバート主従コンビとばったり出会ったと思ったら、こちらが何も言わないうちにエルハルトを呼びに行かれてしまったりする。個別ルートに入ってしまった以上、エルハルト以外の攻略対象もこの有様だ。攻略対象同士にぎすぎすと争われるのも恐ろしいが、常に男たちの裏を読もうとするブリジットは、何を企んでいるのかと怪しんで余計に疲れた。
だからといって、屋敷にいると直接訪ねてこられてしまう。出かけたとしても、居場所が分かれば追ってこられる。そのため目的を定めず、気の向くままに馬車を走らせ辿り着いた草原にさえ、エルハルトは現れた。
「こんなところで、お前と会えるとは……どうやら俺たちは、本当に女神イルファリアの加護を受けた二人らしい。ふ、この俺に、運命を信じさせるとは……」
ついに飛び出た「運命」。どこか嬉しそうに白旗を揚げてみせるエルハルトの表情には、出会った頃の気難しさは欠片もない。お付きのセイも嬉しそうに、うんうんとうなずいている。晴れ渡る青空と反比例して、ブリジットの表情は曇っていく。
「エ、エルハルト殿下は、大層亡くなられた王妃様がお好き、なのですね」
一か八か。冷たい汗のにじんだ手を握り締め、ブリジットは覚悟を決めた。
「です、けど……聞く限り、そんなに……お、お美しくもなければ、才女であられたわけでもなく……そのような方と重ねられても、別に、嬉しく、は……」
「お嬢様!?」
サイトスは目を剥いた。エルハルトは冷厳として見えるが怒りっぽい性格ではない。次代の王として、公平な態度を己に課しているタイプでもあるのだが、亡き母を貶られた時だけは話が別だ。プロフィールにも明記されている公式設定である。
攻略対象への視線が捻じ曲がっているブリジットであるが、他人の顔色を窺うことには慣れている。エルハルトの母の悪口だけは口にしないよう気を付けてきた。なにせ彼女は、彼をマザコンベースのクズだと考えているのだから。
それでも地雷原に突撃したのは、もう後がないからだ。一発ぐらい殴られても構わない、絶対にエルハルトのエンディングなど迎えるものか。鉄の決意を込めて睨み付けたエルハルトの瞳が、草原を渡る風に合わせてかすかに揺れた。サイトスが一歩足を踏み出したが、
「お前の言うとおりだ、ブリジット。俺の母は決して、飛び抜けて優れた女性というわけではなかった」
「殿下……!」
セイが耐えかねたように主を呼んだ。相手がブリジットでなければ、温厚な彼も激発したに違いない場面だ。しかし、ブリジットを庇おうと身構えたサイトスも拍子抜けするほど、エルハルトの表情も口調も静かだった。
「だが、側にいるとほっとして、心が温かくなる。守られていると感じる。だからこそ、守ってやりたいと思う。そんな人だった。……お前のように」
無骨な手が伸びてくる。硬直しているブリジットの髪を、彼の指はさらりと梳いてから離れていった。
「顔色が悪い。無理をするな。どうせお前の姉にでも、俺と距離を置くよう吹き込まれているのだろう? グレイシスに伝えておけ。残念ながら俺たちの仲は、女神イルファリアに望まれたもの。誰にも引き離すことはできんとな」
好感度はすでにカンストしていることを覗かせる一言を置いて、エルハルトはセイと共に悠々と去っていった。その場にへたり込みそうになったブリジットを、サイトスがすばやく抱き留める。
「もうだめ! もうだめ!! あのストーカー、どこに行っても私を追ってくる……!」
「そうですね、そろそろ腹を決められるべきですねぇ」
「暗殺?」
「違います。──はぐらかすのもいい加減にしてください、お嬢様」
ここが攻め時と察知したサイトスは、あえて冷たく言ってのけた。ブリジットがはっと眼を見開く。
「エルハルト殿下は母親想いのいい方です。そしてあなたを、心から愛していらっしゃる」
好感度の上がり方には首を捻る部分はあれ、「ふわふわ姫は愛されまくる」の攻略対象は全員根が善人なのだ。特にメインヒーローであり、最初の攻略対象として設定されているエルハルトは愛されることが保証されたゲームの顔。ブリジットを裏切るはずがない。頭の片隅でグレイシスがそうとも限らないわ、みたいなしたり顔をしているが無視した。
「……分かってるわ、そんなの」
力ないつぶやきを引き出せたところまでで、今回はやめておこうとサイトスはうなずいた。彼女が男たちを信じきれない理由もまた、彼はよく分かっている。
「帰りましょう。今日のところは、少しおやすみになったほうがいいかと」
そう言ってサイトスは馬車にブリジットを乗せ、ストラクスの屋敷へと戻った。
※※※
長時間の移動のせいもあって疲れたようだ。ぐったりしたブリジットをメイドたちに任せたサイトスは、人目を忍んでそっとグレイシスの部屋を訪れた。吉報を待っていたのだろう、人払いをした室内に彼女は喜々として迎え入れてくれた。
「お帰りなさい、サイトス。浮かない顔だけど、もしかしてブリジットに、何か……!?」
「……そうあからさまに、うきうきした顔をしないでくださいますか」
ある意味、大変悪役令嬢らしい態度にサイトスはため息を禁じ得ない。
「問題ありません。エルハルト殿下のお嬢様への愛は、亡きお母様への悪口を言われてさえ揺らがぬ領域に達しております。あとはエンディングに向かうだけです」
「そのようね」
念のため、サイトスが空中に表示した攻略対象の内部データを見上げてグレイシスもうなずく。エルハルトのブリジットへの好感度は見事百パーセント。残っているイベントも、あとわずか。
「ならわたくしも、最後の仕込みに向けて動かないとね」
「ええ。よろしくお願いします、グレイシス様」
エルハルト・ルートの最後の山場にして、悪役令嬢の腕の見せ所。ゴーサインを出された彼女はこれから配下たちとの打ち合わせを始めるだろう。鉢合わせにならぬよう、サイトスは一礼して部屋を出た。
ブリジットの勘繰り癖は、あながち間違いではないのだ。もしかするとこの先、あの方ならば勘が当たったと喜ぶかもしれないな……と遠い目をしたサイトスは、背筋を伸ばして独りごちる。
「大丈夫です、お嬢様。あなたはただ、誰もに愛され、守られて、幸せになればいいのです」
優しいこの世界では、スイカにかける塩程度のトラブルしか起こらないし起こさせない。決意を新たにしたサイトスは、来る日に備えて鍛錬を行うため、屋敷の外へと出て行った。
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