第3話 彼女はプロの悪役令嬢

 主人の前を辞したサイトスが向かったのは、邸宅の二階の端。ブリジットの部屋とは正反対の場所にあるそこは、同じように見晴らしの良い広い部屋だが、高貴な紫で統一されているせいか少し薄暗く、息詰まるような緊張を感じさせる。上から下までノホホンとした者ばかりが暮らす屋敷において、張り詰めた空気を漂わせているのはこの部屋と主だけだ。

 専用の侍女やメイドもいるにはいるが、気位が高く気まぐれな主に振り回されるため、なかなか定着しない。ましてや、ゲームの設定上、現在の「彼女」の機嫌は最悪。自分と違って誰もに愛され、可愛がられる妹がついに戻って来たと知り、怒り狂った彼女の理不尽な命令によって、先日決まったばかりの専属メイドもお払い箱になったはずだ。とことん甘い世界観のためクビにはならず、屋敷での勤めは続いているが。


「グレイシス様、サイトスです。少々お時間をいただけますでしょうか」

「あら、まあ、珍しいこともあるのね」


 緊張しながらサイトスは扉をノックしたが、意外にも返答は軽やかだった。自らの手で開いた扉の向こうに立ったグレイシスは、肩に落ちかかる縦巻きロールの先を指先でかき混ぜながら意味ありげに笑っている。


「口を開けばブリジットのことばかり。あの頭がふわふわパンケーキ娘のことしか考えていない執事が、一体わたくしに何の御用かしら?」


 油断のない視線を送ってくるグレイシス。ブリジットを挟んで睨み合う関係上、こうなるのは当然だ。そもそもブリジットがいない場所で二人が話すこと自体、通常はあり得ない。異常状況であると示す単語を、サイトスは口にした。


「グレイシス様、本日は『私用』で参りました」

「……あら」


 グレイシスは形良い眉をかすかに動かすなり、一転嫌味を引っ込め、サイトスを室内に招いた。

「私用」。それはゲームのナビゲーターであるサイトスだけが使える、特別な命令コマンドだった。役目を越え、ゲーム内のキャラクターたちと対話を可能にする越権行為チート。攻略対象はヒロインの手で落とさねばならぬ、という縛り上、攻略対象と直接会話することはできないが、それ以外の相手には互いをゲームのキャラクターと認識した上で話ができるのだ。


「一体どうしたの。ブリジットが帰って来るなり体調を崩した、とは聞いているけど」

「さすがお耳が早い。実はですね……」


 通常はブリジットが絡むと皮肉しか飛ばしてこないグレイシスも、「私用」状態では大変話しやすい。コマンドの存在は知っていても利用するのは初めてだったサイトスは、最初の関門をクリアできたとほっとしながら、ブリジットの頑なな態度について説明した。


「ゲームのルールぎりぎりなのは承知しております。このゲームの難易度を、これ以上下げるのも難しいことも。ですが……状況が状況です。ヒロイン自ら、愛され転生を完全否定しているのですから……」

「つまりは、このわたくしに手を抜いてくれ、ということかしら?」

「──そうです」


 二つ目にして最大の関門。サイトスはごくりと喉を鳴らした。

「私用」コマンドにて話を持ちかけることはできるが、あくまで持ちかけるだけ。相手を意のままに動かせるまでの権限はサイトスにはない。ゲームのキャラクター同士として話せるとはいえ、基礎の性格は同じ。いつもと違い、サイトスと目線を同じくして会話してくれるこの瞬間も、グレイシスの高慢さは変わらないはず。

 緊張の一瞬。固唾を呑んでグレイシスの出方を待つサイトスに、彼女はふっと微笑みかけた。


「ふふっ、分かっていましてよ。わたくしも誇り高き悪役令嬢として、愛されヒロインのハッピーエンドに貢献するつもりはあるのですから」

「! あ、ありがとうございます、グレイシス様……」


 最悪の場合、無意味に怒らせて攻略難易度が上がるだけになる可能性すらあったが杞憂だったようだ。彼女のプライドの高さは都合のいい方向に働いてくれた。さすが攻略難易度F、と感動するサイトスに、グレイシスはにこやかに続けた。


「その前に、とことん地獄を見てもらいますけど」

「……は?」


 いったん下がった緊張の水位が一気に上がる。気を抜いた自分の甘さにサイトスは奥歯を噛み締めた。


「く……やはりあなたは、ただそこにいるだけで愛されるブリジットのことを妬んでいるのだな」


 設定上、この時期のグレイシスは溺愛されているブリジットに嫉妬し、修道院に行っている間に自分が愛されるように立ち回っている。だがあまりうまく行っておらず、ますます妬みを募らせているはずだ。


「妬む? ふ……そのような低次元の発想を、このわたくしがすると思って?」


 含み笑いで、グレイシスはサイトスの思い違いを否定した。


「愛されヒロイン……はっ、素人はこれだから! ええ、ええ、もちろんヒロインは愛されるもの」


 白磁の頬が淡い薔薇色に染まる。濃紫の瞳の底にねっとりとした妖しい光が浮かんだ。


「ただし、最終的にです。あらゆるものから見放され、理解されず苦しむヒロイン……ああ、なんて可愛いの。愛らしい女の子の涙、悲鳴……これに勝る快美はありません! それも実の妹!! 血縁者からの冷たい仕打ちに引き裂かれる柔い心、堪らないですわ……」

「……え?」


 怒濤の熱弁に引くことさえ忘れていたサイトスを放置して、グレイシスはほう、と甘いため息を漏らす。


「わたくしの好みとしては、一度は愛を誓った恋人を含め、全世界に見捨てられたヒロインの入水エンドなども大変趣があり……」

「おい!」

「大丈夫大丈夫、単純なバッドエンドなどではありませんわ」


 血相を変えたサイトスに、グレイシスは先ほどのブリジットよろしく、ちっちっと指を振ってみせた。


「ヒロインの死後、全ての誤解は解け、誰もが嘆き悲しみ許しを請うも、彼女はすでにいない……」

「死後じゃだめだ! 彼女は今度こそ、生きて幸せになるんだ!!」


 悲鳴じみた断言を聞いて、グレイシスはいかにも渋々妥協を示した。


「まあ、いいでしょう。なにせ攻略難易度Fですもの。残念ながらわたくしにも、可愛いブリジットの魅力を引き出せる手段は限られています。上等! コンプライアンスの編み目を潜り、見せてあげようではありませんの。我が最愛の妹の愛らしさを……!!」


 舌なめずりせんばかりの表情を浮かべるグレイシス。彼女は先ほどのサイトスと同じように、空中に隠しキャラを含めた六人の攻略対象キャラを表示させた。


「ふふ……なかなかの逸材揃いではありませんの」


 品定めの視線が、まずはエルハルトに据えられる。


「第一王子……いいわ。殴ると謝るの繰り返しで共依存を形成する、典型的な大人になれないクズの香りがします。意地悪な姉の手を逃れ、逃げ込んだ先で大きな赤ん坊の面倒を見る羽目になる、かわいそうなヒロイン……虚ろな目で彼を抱き締め、可愛い子と繰り返すの。ついさっきまで、その男に殴られていたのに……」


 男の評価の仕方はそっくりな姉妹だった。グレイシス好みの虚ろな目になっていたサイトスは必死で己に活を入れ、今後の方針のすり合わせを提案した。

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