第2話 六人のろくでなし紹介 ※ブリジットの偏見です

 邸宅の二階の端、見晴らしのいい大きな部屋は、甘い水色で纏められた可愛らしい作りだ。主がいない間も手入れは欠かされておらず、昨日のうちに最後の仕上げとして隅々まで清められている。

 取り替えられたばかりのレースのカーテンが優しい風にそよぐ様をバックに、サイトスはひとまずブリジットを柔らかな長椅子に座らせた。その向かいに厳めしい顔をして立った彼は、おもむろに彼女を呼んだ。


「えー……ブリジットお嬢様」

「今となっては、なんだか気恥ずかしいわね、その呼ばれ方……私、とてもお嬢様なんて呼ばれる立場じゃなかったはずなのに……」


 レース越しの陽光に包まれた彼女は天使そのもの。伯爵家の愛されお嬢様に相応しい佇まいだが、照れる顔に落ちた寂しい陰りは、記憶を取り戻す前の彼女にはなかったものだ。苦虫を噛み潰したような表情を強めたサイトスは、苦渋の決断を下した。


「……本当はこのようなことは、ゲームのルール上、よろしくないのですが……お嬢様ご自身がゲームのルールを根底から覆そうとしたのです。やむを得ないと判断し、お話いたします。くそ、せっかく攻略難易度F、『ふわふわ姫は愛されまくる』を選んだというのに……!!」

「ゲーム、攻略難易度F……? 『ふわふわ姫は愛されまくる』……?」


 サイトスの口から出た言葉のうち、およそ世界観に合わない単語をブリジットは繰り返す。


「驚かれるのも無理はありませんが、本日はゲームの一日目。すでに攻略は始まってしまっておりますので、手短に申し上げます。にわかには信じがたいでしょうが、実は現在のあなたは、『ふわふわ姫は愛されまくる』というゲームの主人公なのです……!」

「なるほど、乙女ゲームの愛されヒロインへ転生。承知したわ」


 説明の冒頭でおおよそのことを理解され、出鼻を挫かれたサイトスの目が点になる。


「も……物分かりがよろしいですね。まだゲーム世界への転生、とまでしか言っておりませんが……」

「『ブリジット・アルケーデ・フォン・ストラクス』として、ここまで生きてきた記憶は一応あるもの。映画でも見てきたようで、まるで実感はないけれど……」


 手触りの良いドレスの生地をそっと撫でながら、ブリジットは前世の記憶を辿った。


「前世の私は、どうやら無料WEB小説を読むのが趣味だったようね。この手のお話はたまに目に入っていたみたい。中身を読んだことはないけれど、タイトルを読めば概要が分かる親切設計ですもの。安心して飛ばせたわ」

「……中身を読んだことがないのですか?」

「ええ。だって、まるっきり現実味のない絵空事の羅列でしょう? 細かいところはよく覚えていないけれど、前世の私が冴えないまま人生を終えた、何の取り柄もない無力な小娘だったことは間違いないわ。たかが転生したぐらいで、素敵な男性に愛されまくるなんて……そんな都合の良い話、あるわけがない」


 細部は記憶にないと前置きしつつも、ブリジットはそこは力強く断言した。


「お前、それは言い過ぎだぞ!?」


 思わずせっかく身に着けた執事らしさをかなぐり捨て、否定するサイトス。一瞬眼をぱちくりさせたブリジットは、抗わずに彼の意見を受け入れる。


「そうね、訂正します。何の取り柄もない無力な小娘は私だけ。私以外のヒロイン様方は、元々愛されるに至る素地を持っているものね……」


 自分がそうだからといって、人様まで十把一絡げに貶めてはならない。反省するブリジットに、サイトスも口調を元に戻した。


「だ、大丈夫ですよ。今のお前……いや、あなたは伯爵家の令嬢かつ、誰もに認められる可憐さの持ち主。長く修道院にいらしたので、世間知らずが玉に瑕ですが、その無垢さが男たちには大受けする予定なのですから!!」

「なるほど……」


 さすがサイトス、信頼の置ける唯一の相手。ブリジットは彼の説明で納得した。


「名家の令嬢、しかも世間知らずで扱いやすいとくれば、男たちに大受けするのも納得ね。形だけの妻として迎えた後は、突然病気になったとして幽閉。吸収した家柄と財を使って放蕩三昧……」

「なんでそうなるんです!? 違います! 安心してください、彼等のうち少なくとも一人は、絶対にあなたを心から愛し、幸せにしてくれます!!」


 言いながらサイトスは空中をなぞるように手を動かした。浮かび上がる五人の麗しい男たちの姿。ブリジットの知る限り、この世界の文明レベルは産業革命を迎えたイギリス程度。空中にホログラムを投影するところには至っていないはず。

 創世の女神イルファリアを始めとする神々は存在しているものの、魔法はそれほど身近ではない。優秀な執事ではあれ、魔法使いでもないサイトスが使用できると聞いた覚えはないが、どうやら彼は『ふわふわ姫は愛されまくる』におけるナビゲーターなのだ。ある程度の裏事情を明かした今、ゲーム情報をウインドウ表示する程度は構わないと判断したのだろう。


「本命はこの方です。この国の若き王子、エルハルト!」


 白手袋に包まれた指先が指し示したのは、五人の男のセンター。年の頃はサイトスと同じぐらいか、二十代半ばと思われる黒髪の青年だ。表情は硬く、眼差しは厳しいが、かなりの美形である。いかにもパッケージの真ん中に配置されていそうなタイプだ。


「帝王教育が行き過ぎて、近寄り難い堅物なのが玉に瑕ですが、本質は愛に飢えた寂しい子供!! 幼くして亡くした母親の面影を持つあなたの無邪気さに、すぐメロメロに……」

「これはクズね」

「は?」


 大本命の紹介中、盛大に水を差されたサイトスの動きが止まる。彼が自分のために言ってくれているとは理解しているが、基礎の理解が間違っていてはどんな努力も無駄になってしまうだろう。二人で過ごす平和な未来のために、ブリジットは真理を説き始めた。


「愛に飢えた寂しい子供……暴力を振るう男って、いつもそれを免罪符にするの。俺は寂しい、分かって欲しいだけだって……しかもマザコンなんでしょう? 最悪。酒を飲んでひとしきり暴れた後、赤ちゃんプレイとかを要求してくるタイプよ。最低。個人的に一番嫌いな男」

「そ……それは、ないこともないだろうが、発想が飛躍しすぎじゃないか!?」


 泡を食ったサイトスは、口調を荒くしながら手を振って男たちの幻影を入れ替える。エルハルトの左隣、顔の作り自体は似ているものの、軽薄そうな雰囲気は正反対の金髪の青年。彼が中央に移動した。


「対抗馬! さっきの王子の弟、レヴィン!! 王になることはないからとチャラチャラして遊び呆けているが、兄貴のスペアでしかない自分に満たされない心を抱えている! こいつだけのいいところを見つけてやれるお前の理解力に、すぐメロメロに……」

「クズ二号」

「弟も!?」


 仰け反るサイトスに、ブリジットは世の理を教え諭す。


「兄と違って、分かりやすく表立って遊び呆けている点は多少評価しましょう。でも、それでも満たされていないということは……きっと本当に表に出せない、やばい遊びをしているわ。人間狩りとか……子供の頃は動物を殺していたタイプね、最低。個人的に一番嫌いな男」

「しとらんわ、言いがかりにも限度があるぞ!? それに、兄のほうも一番嫌いな男だって言わなかったか!?」


 言動の矛盾を突かれても、ブリジットは小揺るぎもしない。


「酒乱、動物虐待、ギャンブル狂いが嫌いな男の特性スリートップなの。なお暴力はどのタイプも振るうのでカウントしていないわ」


 堂々たる宣言に怯みを覗かせたサイトスに、一呼吸置いて断じる。


「男なんてみんな、女を搾取すること以外考えていない生き物なの。あんなものに自分の人生を預けるなんて愚の骨頂。信じられるのは己の地位と財産と権力と動物だけよ。だけど」


 達観した態度から一転、彼女は年相応の柔らかな笑みを浮かべた。


「あなたは別よ、サイトス。あなたのことだけは信じてる。だから、社交界デビューなんてしたくない。伯爵家の令嬢であることだけは利用させてもらって、この世界で二人、平和に生きていける道を探しましょうよ。ね?」


 図々しい提案に、サイトスは言葉を失った。何か言おうとわなないた唇を噛み締め、ブリジットから目を逸らし、空中に向かって手を振る。今度は灰色の髪をした、目立たない──といっても十分顔は整っている──青年が中央に映し出された。


「……大丈夫ですよ、ブリジットお嬢様。世の中には、信じるに足る男性も数多く存在するのです。その代表格、若き騎士、セイ! 穏やかで控えめな優等生タイプですが、内に熱い情熱を秘めています。地味な彼のいいところを理解してあげられるあなたの包容力に、すぐメロメロに……」

「絵に描いたような腹黒」


 ブリジットの評価は早かった。


「控えめな優等生タイプ、つまりは敬語キャラということでしょう? 古式ゆかしい腹黒です。人前では猫を被っていますけれど、二人きりになった途端に本性を剥き出しにしてくる……見えないところにどんどん増えていくアザ、消えていく私の笑顔……」

「そもそもあなたは、あまり笑うタイプじゃな……く、くそ、なら、この騎士の相棒、豪放磊落な熱血漢アルバート!」


 ならばとサイトスが中央に据えたのは、ツンツン逆立った紅蓮の髪と日焼けした肌が特徴的な青年だった。


「怒りっぽくて怖いとお思いかもしれませんが、あなたのためにも怒ってくれる気の良いやつです。突っ走りがちな彼を、見守りつつも制御してくれるあなたの母性に、すぐメロメロに……」

「モラハラ野郎」

「熱血漢なのに!?」


 穏やかキャラに腹黒属性が足されるのは悲しい世の習い。そこはスルーしたサイトスも、思わぬ属性足し算に眼を剥いた。


「熱血漢、真っ直ぐ、と言えば聞こえがいいですけれど、つまりは自分の信条を譲らないタイプです。私のためだ、と言いながら殴るんでしょう? 分かっています、相棒ともども、ただの騎士であれば自分より身分の高い女なんて嫌ですものね。生意気な態度を直してやると、何度も『躾』を……」


 我が身を抱き締め、ブリジットはふるりと身を震わせた。


「『お前のために』の意味が違う! 最早妄想!! ならば、正反対の……王国宰相ロウアー!! 王家に忠誠を誓うあまり、三十代半ばを過ぎても結婚もせず仕事一筋!! 最初はあなたを王子を誑かす女として敵視してくるが、途中からあなたの懸命さにメロメロになっていく様はきっと見物で……」

「モラハラ二号」

「こいつもか!?」


 若白髪の目立つ、物憂げな黒い長髪と片眼鏡モノクルの男を、ブリジットは冷たく片付けた。


「努力家の人って、相手にも努力を強いるものなの。青春を擲ってきた自分に相応しい女になれと、過分な要求を繰り返し、怠ればひどい罰を与え……心が壊れるまでそれを繰り返し、私が従順にうなずくだけの人形となった時に、やっと抱き締めてくれる……」

「う、うーん……一応、ロウアー様とのエンディングは迎えられましたか……?」


 求めていたものとの差は大きいが、他の連中よりは幾分マシか。妥協しそうになったサイトスに、ブリジットは続けた。


「と思いきや、そもそもの本命は王子たちなので、一切顧みることはない……私はただの、お飾りの妻……」

「なんでこいつの本命を王子たちにするんです!?」

「だって、王家に忠誠を誓っている上に、王子を誑かそうとする私を敵視してくるんでしょう? 間違いないわ。あら、サイトスは……というかこのゲーム、同性愛には否定的なの? 今時、頭が硬いわね」

「いや、それは……時代や地域や宗教に依って、許容度が違うことは認めるが……」


 乙女ゲーは乙女を心地良く満たすためのもの。だからこそ、作品内の倫理観が一般社会と乖離しすぎると楽しめなくなる。痛いところを突かれたせいで、口調が安定しないサイトスが首を捻り、ブリジットもはっと何かに気付いた顔をした。


「そうか、兄の本命も、実は弟……」

「同性愛から離れろ! 愛され転生だと言っているだろうが!! 同性だろうが異性だろうが、お前以外の本命がいる奴は攻略候補にはいない、安心しろ!!」


 倫理観も大事だが、乙女ゲー世界ではヒロインの幸福こそが何より優先されるのだ。頼むから素直に愛されてくれ、と願うサイトスだったが、ブリジットにはあまりピンときている様子がない。傷の深さを再確認し、サイトスは歯噛みした。


「く……くそ、保険として取っておきたかったのですが、仕方がありません。幻のシックスメン、スノーブルー! 隠しキャラの彼はどうです!」


 いきなり空中に像を結び、攻略キャラたちを蹴散らして中央に陣取ったのは、水色の髪をした生気の薄い少年だった。


「幼いながらに天才魔法使い!! 見た目とは裏腹の、悟ったような態度は淡泊に感じられるかもしれませんが、付き合いを深めていくうちに年相応な一面も見えてきます! 子供だからと馬鹿にしたりせず、対等に扱ってくれるあなたに、次第にメロメロに……」 

「……幼い?」

「ご心配なく! 彼は確かにまだ十歳ですが、このゲームは全年齢! あくまで両者合意の上の、清らかなお付き合いを保証します!! 児童虐待にあたるような展開は絶っっ対にないと!!」


 そっちの倫理観対策はばっちりだ。胸を張るサイトスに、ブリジットはちっちっと指を振った。


「男は自分より若い女が好きなの」

「こいつはまだ十歳だぞ!?」

「十歳でも男は男!」


 絶叫するサイトスを上回る気迫で、ブリジットは断じた。


「年上の女に憧れる時期もあるでしょうけど、所詮は一時の幻……二十歳も過ぎれば、年増に用はないとばかりの態度を取り始めるでしょう。それに、天才魔法使い? 怪しげな儀式の実験台にされるに決まっているじゃない。いっそひと思いに殺してくれと叫ぶ私を、彼は愉しげに眺めるばかり……」


 悲しげに瞳を伏せ、彼女はつぶやいた。


「あと、多分ギャンブル狂い」

「とってつけたように嫌いな属性を付与するんじゃありません!」


 全力で突っ込んだサイトスは、額に滲んだ汗を手袋で拭った。


「く、くそ、なんという強固な心の壁……」


 隠しキャラまでサービスしたというのに、誰一人ブリジットの琴線に触れた様子はない。現時点でこれ以上のごり押しは無意味だと諦めたサイトスは、いったん話を纏めた。


「……まあ、よろしいでしょう。実際にご本人たちとお会いいただければ、誤解も解ける。それより……問題は、この方です」


 スノーブルーの姿も消え、代わって空中に浮かび上がったのは、紫がかった黒髪をきつい縦ロールに巻いた、典型的なお嬢様スタイルの少女だった。かなりの美人だが、高慢な性格が吊り上がった目尻と唇にはっきり現れている。


「女性だからといって安心できないわよ。私の座右の銘は『人を見たら泥棒と思え』なの」

「だから、それは考え……いや、すぎでもないな。この方は攻略対象じゃない、要注意人物として紹介しているんだ!」


 サイトスの口調に一層の熱が籠もった。


「グレイシス・レデリカ・フォン・ストラクス! お前の実姉にして……この世界の、悪役令嬢というやつだ。お前の幸福を、彼女はとことん邪魔してくる……! 残念だが、ゲームのルールとして、彼女を排除することはできなかった。なんとかグレイシスの妨害をかい潜って、お前は幸せにならねばならない……!!」

「悪役令嬢……」


 それは乙女ゲーム世界のラスボス。ヒロインの前に立ち塞がり、攻略対象キャラたちの心を奪い、時にはヒロインの命さえ奪わんとする難敵の姿をじっと見つめ、ブリジットは独りごちた。


「つまり、この方に全ての攻略対象を押し付けられれば、私は一人、伯爵令嬢として何不自由なく生きていくエンドを迎えられるのでは……?」

「は?」

「お世話になった伯爵家の存続問題は、お姉様にお任せできるし……」

「一石二鳥みたいに言うのはやめてくれるか!?」


 サイトスの気も知らず、ブリジットはどの攻略対象を見た時よりも嬉しそうな顔でグレイシスを見上げている。


「こ、このゲームには、攻略対象全員を夫とする一妻多夫のハーレムエンドもあるんだぞ!? それなのに、ああ、くそッ……!!」


 何一つ上手くいかない。かといって、経緯を思えばブリジットを責めるわけにもいかないサイトスは、次の手を打つことにした。気を取り直して背筋を伸ばし、優美に一礼する。


「お嬢様、今日のところは長旅の疲れをゆっくり癒やしてください。私は急用ができましたのでいったん失礼いたします。必要なものがあれば、卓上のベルを鳴らせばメイドたちがいつでも駆け付けます」


銀色のベルを指し示し、サイトスは念のために言い添えた。


「なお、彼女たちに社交界デビューが嫌だとか、ましてやここがゲーム世界だとか、絶対におっしゃらないように!」

「ふふっ、分かってるわ。私は狂人として幽閉されたりしたくないからこそ、社交界デビューを避けたいと思っているんですもの。メイドたちだって信用はならないけど、上下関係がある以上、攻略対象たちよりは御しやすいし」

「──分かっていらっしゃるようで何より! では、失礼いたします!!」


 突っ込みに疲れたサイトスは、そのままブリジットの部屋を出た。

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