祭禍を歩む。
祭禍を歩む。①
その特徴的な音に空音が気づけたのは、ひとえにNRで一通り行った重火器の使用訓練の賜物だった。
ライフル弾は、空気を裂く際にその切っ先を流れる空気が溝へと流れ、独特な花火のような音を立てる。そんな特徴を自身の耳で記憶し、なおかつ憶えていた偶然に感謝するしかないだろう。
「狙撃手ですっ! たぶん時計台の上!!」
言いながら、空音は男性の服を無理やりひっぱり、その身体をズラす。瞬間、空気を裂いて弾丸が身体を掠めると男性は事態を把握した。
「屋内へ!!」
男性が叫び、二人が駆けだすのは同時だった。が、それは敵だって同時なのである。
再び、空音にしか捉えられない特徴的な音と共に飛来した弾丸は、屋上から屋内へと続く扉に取り付けられたドアノブに命中、破壊した。
「音無さん、こっちへ!」
ぐい、と空音の手が引かれた。そのまま倒れこむように男性と空音の身体は柵を越えて空中へと投げ出される。
「なっ──!」
建物の高さは一般的な建造物に照らし合わせれば約5階。敵スナイパーの視界から身を隠すためとはいえ、天秤にかけるにはあまりにも重いダメージが二人に訪れるだろう。
だが、男性はあくまで冷静だった。左手は空音の手をしっかりと掴みそして、右手は人差し指を伸ばし、下へ。
「《
ぎゅるん、と妙な軌道を描いて二人の身体が落下を開始する。より正確に言えば滑るような感覚だ。具体的ななにかがあるわけではない。ただ、見えないなにかによって、支えられるように、二人の身体は路地へと降下した。
「これっ……て」
「僕の法則だ。自身の体液から体液へ、物体及び生命を流すことができる。緊急避難用の措置だったけれど……役に立ったみたいだね」
“流す” なるほど、さっきの違和感はそれか。
納得する空音に、男性は苦々しい顔を返した。
「時計台からの狙撃、敵は既に時計台を占拠しているらしい。ならばそこにいた人員も既に排除されているだろう。ならば──」
男性はインカムのマイクを入れ、
「時計台に狙撃手がいる。至急通信を中断せよ、繰り返す──」
インカムから重なって聞こえていた男性の声が消える。どうやら簡易拠点側にも何が起こっているかが伝わったようだ。
「通信は傍受されてる。急いで合流しよう」
男性の言葉は正しい。通信が途切れた今、ここにいるよりは簡易拠点に行き、人員と合流する方が確実。
だが、問題は時計塔の狙撃手だ。あの時計塔はここらでもっとも高い建造物であり、広範囲をカバーできる監視スポット。ここから簡易拠点までの道のりでいつ狙撃されるか分からないのは厄介なことこのうえない。
「物陰に隠れつつ行くしかないかな。音無さん、行こうか……音無さん?」
だが、しかし、時計台の狙撃手に対する懸念が吹っ飛ぶくらいの不安を空音は感じていた。
何かが聞こえる。その音は、定期的に聞こえる地面を震わせるその音はどんどんと近づいて──
◇
「さぁて、始まったかな」
時計台の上で、白く短い髪の女性──ノーツは呟いた。ここからならば、街全体を見回すことができる。祭りの喧騒は僅かに薄く、人々の熱狂だけが視覚情報を通して確認できる。この場所にはそんな熱は届かず、冷たい風のみに晒されていた。
「……通信が切られた」
ノーツへそう言ったのは、スナイパーライフルを構える男だった。彼が構えるライフルはかなり特殊な構造をしており、スコープの真横に液晶画面が取り付けられている。
「だろうね、ここに私たちがいることを晒したんだ。バレるのは想定内さ」
時計台担当だったNR職員の物言わぬ死体を端に寄せ、ノーツは男へ視線を向けた。
「ヒュードル、君はここに。奴らを殺してもいいけど、それよりもレガメト・メネズェラ探しを優先してほしいかな」
「了解」
「私はせいぜいトリックスターとして、場をかき回すだけかき回してくるよ」
スナイパーであるヒュードルを置いて、ノーツは階段を下っていく。次第に遠ざかっていく足音を耳に、ヒュードルはスコープを覗きなおした。
◇
空音の聴力は、異常に良い。
だが、聞こえることと、分かることは別問題だ。
だから、路地を囲む建造物の壁がぶち破られるまで、空音はその音の正体に気づくことができなかった。
崩れた壁の向こうから現れたのは、巨体。その全身はボロボロの装甲のようなものに覆われており、両手には巨大な槌を抱え、そして頭には、不気味なほどに笑顔を浮かべるカボチャが──カボチャのランタンが被られていた。
「なに、なん──!」
奇襲に動揺する男性が言い切る前に、大槌は振られていた。が、その軌道は大きく、そして不自然にズレる。いや、流れる。
「《
《
男性は自身のライフルを抱え、地を蹴った。空音もそれに続く。
二人は路地を走り続ける。幸いなことに巨体な敵の追走は遅い。あのなりで早かったら絶望的だったが、この調子ならば何事もなく撒ける。
「巨体の敵を撒いたら簡易拠点へ向かおう。敵スナイパーの存在もあるから遮蔽となる建物の影から出ないように──」
「待って、ください。なにかが……」
空音が聴きとったのは、またしても音。なにかが空気を切るような音。さきほどの弾丸に似ているが、しかし、違う。
走る二人のちょうど合間を通り抜けていくのは、短剣のような物体だった。それが通りすぎる刹那の間、二人はその短剣を構成する物質を理解する。
瓦礫だった。黄色がかったコンクリートの欠片が集まり固まって短剣のような形状をとっているのだ。
「これは……」
咄嗟に振り返った男性の目に映ったのは、追走を続けている二人の背を狙う何本もの瓦礫製の短剣だった。
咄嗟にベルトに括り付けられた小瓶へ伸ばされた腕に、一本目の短剣が突き刺さる。
「ぅ──走れっ! 音無さん!」
空音へと自身のライフルを放り投げ、男性は叫んだ。
「早く、走れ!!」
男性は再度叫ぶ。
敵は法則によって短剣のようなものを生成しているようだが、この投擲速度は明らかに手を使ったものではない。それぞれの短剣が自立して飛行している──!?
男性の思考はなおも回る。
スナイパーライフルは、この路地では取り回しが悪い。彼女──音無 空音に託す意味があるかと言われると悩むところだが、護身用としては十分。撃って良し、殴って良しの特別製だ。彼女が簡易拠点へ向かうまでの足掛かりにはなってくれるはず。
最優先は彼女だ。音無 空音だ。
彼女が若者だから、という理由ではない。そんな理由で逃がすのは、彼女に対しても失礼に当たる。ただ単に、対法則戦において経験がある自分がしんがりを務めるのが一番最善だからだ。
「ならばっ──」
男性の手を離れた小瓶が、飛翔する短剣と接触して割れた。まき散らされるのは小瓶の中に入った液体だ。
──《
まき散らされた唾液から、一番離れたそれぞれの飛沫を始点と終点に指定。その間を通過した短剣は飛翔を止め、流れていく。
「──ここで、足止めする!」
それぞれの飛沫は路地を囲む建物へ付着した。ならばこれ以降飛んでくる短剣は、あのデカブツに追いつかれるまでは有効なはずだ。
◇
空音には、現状の最善が分かりかねていた。目の前の男性は自分を逃がしたがっている。だが、果たして良いのか? 目の前の敵に背を向けるなんて──
「しんがりは僕が務める。君は情報を持ち帰ることを考えてくれっ」
「っ──はい!」
この人は、未熟な自分をも作戦に組み込んでいる。組み込んで、くれているのだ。それを認識した瞬間、空音は身をひるがえしていた。
優先すべきは、自分の身。そして、自分の頭に眠る敵の情報だ。
が、身をひるがえし、走り出そうとした空音を迎えたのは、進行方向を挟み込む壁から生成されるいくつもの短剣だった。
「短剣ですッ! 後ろに──」
こちらへ背を向けている男性に声を投げかける。が、僅かに遅い。
男性が振り返ったそのときには、既に短剣が射出されていた。
まっすぐに空音へと飛ぶ短剣。だが、その身体は大きくズレる。短剣は空間を掠め、壁に当たって砕けた。
《
「さっき、君の服の裾に唾液をつけさせてもらった……ごめんね、気持ち悪いかもだけど、安全策として」
「い、いえ、助かりました」
さっき、自分は死にかけた。感覚がようやく思考の肩を叩くと、空音の背筋を冷や汗が伝う。
デザイナーとの戦いぶりとなる、確固たる対人戦。その実感がゆっくりと空音の脳に浸透していく。
「まだ走れる?」
「はいっ、行けます」
敵の接近はもう間近。ここで再度距離を離さなければ追いつかれる。
だが、これからは敵が生成する短剣へも注意を裂かなくてはならない。
「音無さんは前方を。僕は後方を見張る」
「わかりましっ──」
男性の足元。地面を構成するレンガから短剣が形を成している。
「下っ──!!」
空音の細い叫びに反応した男性が瓶を割り、すんでのところで短剣が流れた。そのはずだった。そのはずだったのに──
喋らなかった。喋れなかった。ただ、不気味で、不吉な沈黙がそこにはあった。
刺さったのは、男性の胸。
刺したのは、短剣。
その短剣を握るのは、さきほど男性が割った瓶の欠片によって構成された細い複数の腕だった。複数の腕が、まるで支え合うようにして狙いを外した短剣を持ち、そのまま刺したのだ。
「──」
声が出ない。なにが起こっているのか、理解が追いつかない。
そんな空音の目の前で男性はその場に倒れた。
地面から、みるみるうちに腕が生える。それらはみな短剣を持っており、それを次々に男性の身体へと刺す。抜く。もう一度刺す。抜く──
趣味の悪い絵画を思わせる情景だった。
何度も何度も刺されているのに、男性の身体はピクリとも動かない。それが告げるのは、ただ一つの真実だけ。
最後の言葉なんてない。唐突すぎる幕切れ。
巨体の敵が追いついても、空音はその場に茫然と立ち続けていた。
カボチャに開いた穴の向こうから、二つの瞳が空音を見つめ、そして、長い金色の髪が、路地を抜ける風に揺れた。
「なにを……」
それは、確信だった。今更過ぎる確信。なにがどう変わるわけでもない、無力な中で得た真実だった。
「なにをしているんですか、あなたはっ──!」
マッシュ・パンプキンは、ただ見ていた。二つの目で、目の前の音無 空音を、ただじっと。
「答えてっ、くださいよ……マッシュ・パンプキン」
瞳の中で、光輪が踊った。理不尽と怒りを、その光へと込めて。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます