祭囃子は鳴らずとも。③
レンガ造りの特徴的な階段を上がり、建物の屋上へと出る。風が空音の頬を撫で、開けた景色が視界を覆った。
この建物は街でもそこそこ高いほうであり、監視役を置くのには絶好のスポットとなる。最も高い地点は東に見える時計台だが、そこにも既にNRの定点監視役が陣取っているはずだ。
「すみません、今いいですか?」
そんな屋上の隅、ライフルのスコープを覗き続ける男性は、空音の声に振り返ることもなく言葉を紡ぐ。
「ん……ああ、こんにちは。えっとたしか……音無さんだったよね」
スナイパーの男性の声は優しかった。
「買い出し係です。お昼の希望はありますか?」
今回の作戦において、定点監視および遠距離狙撃を担当する職員たちの価値は計り知れない。 祭りの開催範囲は市街地全体をがっつりと範囲に含んでいるため、各地の建物の屋上を確保することでレガメト・メネズェラ発見のための探索網を広げることを可能にしてくれているのだ。
しかも、定点監視を担当する職員たちに交代はない。本来ならば交代用の要員が存在するはずなのだが、いくらNRとはいえど、カバーしなければならない範囲の広さも相まって昨日の今日で用意はできなかったらしい。そのため、空音たち巡回員のルートに各地の定点監視スポットを組み込むことでサポートを行っている。
「お昼……そっか、もうそんな時間なのか。うーん、行き道に見かけた“四川風フィッシュ&お好み焼き”が気になるかな。あとは甘いものを──」
「……し、四川風……」
「はは、凄い名前だよね。だからこそ気になっちゃって」
そう語る間も、男性はスコープから目を離さない。ひとたびレガメト・メネズェラが発見されれば、その位置へ合わせ、正確な軌道を持って麻酔弾が撃ち込まれるだろう。
空音はそっと、自身の上着の内側に隠されたホルスターへ手を合わせた。そこに隠された拳銃には、スナイパーのものと同じく麻酔弾が装填されている。
「わかりました。行ってきます」
「ありがとう、助かるよ」
男性と別れて階段を下りると、空音は胸をなでおろした。
NRにも随分と普通の人がいるものだ。守崎やメチル・メンドゥーサといったマトモな人々に囲まれてはいるものの、いかんせんメタセコイアやデザイナーなどのインパクトが強すぎて、新しい人に会うと警戒が勝ってしまう。桜空は……まあ、うん。マトモとイカレの境界線上にでも置いておくこととしよう。
◇
太陽が頭上を昇り、もうすぐ正午を迎えるなか、祭りの喧騒は、予想以上に規模を拡大しつつあるらしかった。早々と在庫がなくなり店を畳むものがあれば、その隙間に別の屋台が入り込む。どういう仕組みで出店を管理しているのだろうか。いや、この調子では管理などしていないのだろう。
耳栓を貫通するほどの喧騒。段々と頭の奥がキーンという高音に覆われていく感覚。ヘッドフォンならば無理やりに音楽などで中和もできたが、耳栓ともなるとそうもいかない。どこかでイヤフォンを入手するしかないかもしれないと空音がため息をついた、そのとき。
「おわっ、とと……」
人混みの中から押しのけられるように、青年が一人弾き出されてくる。空音の目の前で地面に腰を打ち付けたその青年は“やれやれ”と言いたげに立ち上がった。
「……あの、大丈夫ですか」
その青年に空音が声をかけたのは、ほんの偶然、気の迷いだった。珍しいほどに特徴的な見た目であったし、なによりもお人好しを絵に描いたようなその無害な顔が、空音の警戒心を薄れさせた。
「あー、ダイジョーブ、ダイジョーブ! いやぁ凄いですね、お祭り!」
青年はその特徴的な長い金髪をなびかせつつ、恥ずかしそうに頭を掻いた。
顔はかなり整っている。空音は明るくないが、なにかのモデルをやっていると言われても容易に納得ができるほどだ。反面、立ち振る舞いは隙だらけ。空音の脳裏に浮かんだのは、綺麗な毛並みを持っていながら、それが台無しになるまで人懐っこくじゃれついてくるゴールデンレトリバーだった。
「人の数が本当に多いですよね、まさかここまでとは」
「いやーまったくです。うわさに聞いてはいましたが、まさかここまでとは」
とは言いつつも、青年の顔は笑顔。困難と混沌を楽しめるタイプらしい。
「そうだレディ、一つ伺いたいんですが」
「れ、レディ……?」
「屋台を探しているんです。色んな料理のキマイラみたいなやつなんですが……なんでしたっけ、えっと──」
“料理のキマイラ” そのワードを耳にして、空音の頭に一つの料理名が浮かぶ。信じられないほどトンチキで、信じられないほど美味しくなさそうなその名は──
「……もしかして、四川風フィッシュ&お好み焼きですか……?」
「そう! それです!!」
「あー……私も今それを買いに行くところなので、よろしければ一緒に」
「助かります!」
あの奇怪料理を食べたいという人間が二人もいる事実に震えながら、空音は守崎から送信されたマップを開く。事前に届け出がされた屋台に関しては載っているため、ある程度の頼りにはなるだろう。……なってくれなければ困る。
「申し遅れました。わたしはマッシュ・パンプキンと言います!」
無害さをこれでもかと伝えてくる笑顔。名前くらいならば、きっと言ってもいいだろう。
「音無 空音です。よろしくお願いします」
ともに人を掻き分けること数分。なんとか屋台にたどり着いた二人は、残り少ない四川風フィッシュ&お好み焼きを手にすることに成功した。見た目は料理というよりはコズミック・ホラーに登場する化け物の死骸といったものだったが、マッシュ・パンプキンは目を輝かせている。
「ホントーにありがとうございました! ここの言語には疎くて、探すのが大変だったんです」
「お役に立てたなら何よりです」
マッシュ・パンプキンの人懐っこさには、桜空と似たものを感じる。いや、目の前の彼のほうがより強く、より澄んでいるとさえ思えるほどだ。だからついつい助けようなどとおもってしまうのだろう。なんとも得する生き方だ。
人混みの中を遠ざかっていくマッシュ・パンプキンは、最後まで空音に向かって手を振っていた。
「……なに聞いてたんだろ」
マッシュ・パンプキンの左耳を塞ぐイヤフォン。それだけが、なぜだか心にしこりを残した。
◇
「いやぁ、イイヒトでした!」
やはり、この国は良い。食べ物は美味しいし、人は親切だ。すぐに争い合い、殺し合う母国とはまるで違う。マッシュ・パンプキンは上機嫌のままで胡乱な料理を口へ運ぶ。
『作戦を開始する。所定の位置につけ』
耳元のイヤフォンがマッシュにそう囁いた。マイクはついていないので、こちらから返事はできない。返事をする必要性は、マッシュに認められてはいない。
「……ふぅ」
気は進まない。進んだ時なんてなかった。それでも、それでも、これが自分の仕事なのだ。
仕事を、しなければ
「──《
マッシュ・パンプキン。“
◇
「こんにちは、お昼を持ってきました」
「ありがとう音無さん、丁度お腹が空いてきたんだ」
スナイパーの男性は、そこで初めてスコープから目を離した。優しそうで、だけれど疲れを感じる目だ。定点監視係には休憩時間すらろくに与えられないのだから、それも当然だろう。
「音無さんはお昼ご飯、食べたのかな」
「私はあとで友人と一緒に食べようかと」
「そっか、お友だちもNRだよね」
「はい、そうです。彼女に誘われる形で……」
汗をぬぐい、スナイパーの男性は空音の手から発泡スチロールのトレーを受け取った。会話をしながらでも、胡乱な料理は瞬く間に男性の腹の中へと消えていく。
「友達から誘われた……うん、いいね。実に青春だ。いや、こんなことを言ったら守崎さんに怒られるんだろうけど」
ふと、今なら自身の疑問を解決できるのではないか。という下卑た考えが空音の頭をよぎった。
守崎は確実になにかを抱えて、自分をこの世界から遠ざけようとしている。メタセコイアとその件で言い争いをしていたのだって記憶に新しい。
この人は守崎を多少なりとも知っているらしい。ならば、そのワケをここで聞き出すことだって──
──けれど、それでいいのか? 本人の口からを避け、ここで聞いてしまって。
「気になる?」
「えっ?」
「守崎さんは、過保護だろう」
「ええと……まあ」
「本来ならば彼女の口から語られるべき話なんだけど……まあ、この話が意味を成すうちは離そうとしないだろうね」
キメラ料理の最後を口へと放り込んでからトレーを畳み、スナイパーの男性はニコリと笑った。
「守崎さんには、娘さんがいたんだ」
「娘さん……」
「守崎さんとその夫、そして娘、仲はすこぶる良好でね。こんな訳の分からない仕事への理解もあった」
守崎が家族の話をしたことはない。それが意味するのは、すなわち。
「娘さんは生まれつきの法則持ちでね、当然のようにNRに入ったよ。生来の虚弱体質の改善も目的でね。あとは……うん、音無さんが察する通りだ。守崎さんは一人きりになった」
だから、メタセコイアは守崎に “音無 空音はおまえの娘じゃない” と突き付けたのだ。すなわち、単純な帰結。失った娘と同年代だから。
守崎は、私に失った娘を見ている。
「守崎さんはいつもそうだよ。綾瀬さんのときもそうだった。いずれ諦めるんじゃないかな」
「諦める、ですか」
「うん、彼女は強い人だ。折り合いをつけるのにそう長い時間は必要ない」
“けどね”と、スナイパーの男性は続ける。
「その気持ちは、僕にもわかる。つい最近娘が生まれたんだ。将来彼女がNRに入ると言ったら、嬉しい反面止めもするだろう」
「です、よね……」
母親の顔が、蜃気楼のように思考の彼方へと浮かび上がってくる。あの人は、果たして自分が今していることを知ったら、手を引いてそこから遠ざけようとしてくるのだろうか。して、くれるのだろうか。
「けど、そんな僕たちの言葉が無駄だってことも分かってる」
男性は、恥ずかしそうに頬を掻いた。
「実はね、僕も君ぐらいの年齢のときにNRに入ったんだ」
「そうなんですか?」
「だから、今の君がどれだけの決心を持ってここに立っているかは勝手に理解したつもりだ。守崎さんもそう思ったから、娘さんをNRに入れたんだろうね」
「……」
「まあ、僕は君みたいに立派な力を持ってるわけじゃない。せいぜい少しだけ組織やら備品に詳しいだけの同僚だ。君の望むまま、存分に使い潰してほしい」
空音はふと、自分の手のひらを見た。少しだけ荒れていて、だけれど普通の手。ならば私の脳は、内臓は、そしてその考えは、どこまで人なのだろう。そもそも、魔法少女とはいったいなんなのだ。全能感の正体は? 法則とは何が違う? いったい、私は──
「ま、ゆっくりやっていけばいいさ」
ぽすん、と空音の頭に男性の手のひらが乗っかった。
「……あっ、ごめん。こういうの良くないってわかってるんだけどね。つい癖で」
男性は慌てて手を退ける。
「……いえ」
安心する手のひらだ。手慣れた手つき、けれど、自分ではない誰かにチューニングされてきた撫で方。
「もしかして、奥さんって撫でられるのが好きだったりしますか」
「えっ、どうしてわかったんだい? メンドゥーサさんみたいだ」
「……なんとなく、です。奥さんにやきもちを焼かれるまえに治したほうがいいかもですね、その癖」
「うっ……痛いところを……じゃなくて!」
こほん、と咳ばらいを一つすると、男性は、
「ともかく、僕がNRにいるのは二十年ちょっとだけど、ありのままの自分を肯定できる組織にしてきたつもりだ。まあ、木っ端職員になにをって思うかもしれないけどね」
「そんなこと……ないです」
今はまだ、自分がなんなのか分からない。けれど、少なくともそういう土壌を用意しようとしてくれたという事実が空音には有難かった。
「ボクの経験則になっちゃうけど。法則と──人知を超えた力と向き合うには、結局のところ時間が必要だ。待って、待って、待つしかない。けど、それでも上手くいかないなら、自分が踏み込むしかない。」
“狙撃と同じだよ” そう言って、男性はもう一度笑ってみせる。
「さてと、余計なお節介をしちゃったところで僕はそろそろ定点監視に戻らないと」
男性が腰を上げるのと、空音の耳元のインカムが通信音を吐き出すのは同時だった。
すなわちそれは、対象発見の合図。
レガメト・メネズェラが、見つかったのだ。
「私、いってきます」
「うん、僕はここで見てるから」
頷き、駆けだそうとした空音の耳に、奇妙な風切り音が飛び込んでくる。
どこか聞き覚えのある、しかし日常的に聞かないその音を空音は記憶と照らし合わせて──
「──そうだ、これ」
これは、銃弾が空気を切り裂く音だ。
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