祭囃子は鳴らずとも。②
空港のラウンジを歩くその青年は、周りからの好奇の羨望の視線を気にすることも──というかそもそも気づくこともなく、極東のお土産屋に興味津々だった。
長くやわらかな金髪は、人工照明に照らされていようとも日光のそれと同様の陽光をまき散らし、整い切った顔立ちは古代ギリシャの彫刻とはいかないが、その不完全さが逆に親しみらしさを醸し出し、彼自身の人柄を如実に表していた。
「HON・WASABI──? おお、これがワサビですね!」
試食に出されていたスナック菓子を一つ口に放り込んだ青年は、その場で跳びあがった。唐辛子ともタバスコのそれとも違う辛さは新鮮な驚きに満ちていたのだ。
そう、すべてが新鮮だった。極東の島国の存在は前から知っていたものの、こうして訪れるのは初めて。目に移るすべてが神秘と驚愕をもたらして来る。
「ジンジャへ行ってみたいですねー。あ、いや、その前にデンエンフウケイを──」
やりたいことは沢山ある。飛行機の中で散々リストに書き連ねたのだ。まず、なにからやろうかと浮足立った青年の気持ちに割って入ったのは、ポケットの中で振動する形態端末だった。
「はーい、どうしたんですか?」
『……どこで油を売っている?』
電話口に出た男の声は、斜めっている機嫌を隠そうともせずに、開口一番そう言い放つ。
「お土産を見てます!」
『さっさと合流地点へ迎え』
冷徹で、一片の面白みもないその声を聴くうちに、青年は心が沈んでいくのを感じた。今回この国にやってきた目的が観光ではないことは知っている。だが、楽しみだったのだ。見たいものも、やりたいことも、沢山沢山──
『──おまえは、仕事だけこなしていればいい』
そうだ。自分には“シゴト”があったのだ。大切なこと、なによりも。
自分の命よりも大切なこと。
「それは──お祭りですか?」
◇
「そろそろ本題に入りましょうか」
高速に入り、渋滞に巻き込まれることなく車が速度を着々と上げる頃に守崎がそう切り出した。ようやく中身の分からないこの旅の目的が判明するのだと、空音は僅かに腰を上げる。
「今回の目的は人探しよ」
「人探し……?」
オウム返しに、桜空が呟いた。
「昨日未明、NR保有の施設で保護していたとある人物が施設から脱走したわ。今回探すのはその“とある人物”」
「……は、保護ねぇ?」
トランクから声。どうやらメタセコイアが目を覚ましたらしい。
「保護と言えば聞こえはいいが、つまりは他に確保されたくない法則保有者を拘束して、管理してるわけだ。流石天下のNR様、人権なんてなんのその、だな」
「……おはようございます博士、のっけから絶好調ですね」
「メタセコイアちゃーん、桜空の荷物、トランク乗せていーい?」
「まだ少し眠いが……NRを美化する戯言ばかり聞いていると耳が腐りそうなんで目が覚めた。そしてリボン娘、あいにくとトランクはアタシ専用だ」
言い方はすこぶる悪いがなるほど、メタセコイアの言う通りNRという組織も綺麗な部分ばかりではない。自分自身が
「それで、その“とある人物”っていうのは」
「レガメト・メネズェラ、彼女の法則はかなり厄介でね。保護が難しいのよ」
守崎が運転しながら器用に手元で端末の操作を終えると、空音の端末にファイルが送信されてきた。最初のページにはでかでかと“機密”の文字。
──レガメト・メネズェラ。中南米出身、15歳の少女。いわゆる天才であり、12歳のときに大学を卒業、同年7月に法則を発現させ──そして。
「軍保有の機密施設への侵入が計15回、そのほか不法入国が観測不能な回数──って、なんですかこれ」
「彼女の厄介な点は、その好奇心の強さにあるの」
ハンドルに片手をかけ、もう片方は開けられた窓にかけられたまま、守崎が言った。
「気になったことはすぐに確かめようとする。良いことかもしれないけど……」
「わあ、法則との相性最悪じゃん──いや、逆にいいのかも?」
桜空の言葉に引っ張られ、空音はファイルの続きに目を通す。
レガメト・メネズェラの《
◇
コンクリートがむき出しになった建物の廊下を一人の男が歩いていた。
黒いシャツとスーツに革靴、そして唯一真っ赤なネクタイ。過剰なまでに深く被られた真っ黒な山高帽のせいか顔立ちは確認できず、全身の黒さ加減も相まってその姿は闇にでも溶けているかのように安定しない。
両手は食料品や生活雑貨が山ほど詰まったビニール袋で塞がっており、どこかコミカルなその様子は服装との整合性が取れているとはとても言えなかった。
廊下の突き当たり、建付けが酷く悪い扉を足で軽く蹴り開けた男は、息も絶え絶えにビニール袋二つを地面に置く。
「……重い、次の買い出しはオレ以外にしてクレ」
「ありがとうMr. ドゥー!。今回のメンバーで準備が必要ないのはキミだけなんだ、次もよろしく頼むよ」
「次はオマエが買い出しにいけヨ、ノーツ」
部屋の中には、女が二人いた。
Mr. ドゥー!と呼ばれた黒ずくめの男を声を迎えた白髪の女性、ノーツ。腕時計にベルトポシェット、レザーなどが用いられた目立たず実用的ないわゆるタクティカルファッションで身を包んでいる。
もう一人は幼い。年齢は十代の前半から後半へ差し掛かる頃だろうか。折り重なる紫と橙の髪という強烈な個性は、頭の上のベレー帽という個性を完全に食ってしまっていた。
また、彼女が向かう机には山ほどのペットボトルが積まれており、未だに中身が入っているそれらの種類も飲料水から炭酸飲料までと安定してない。
「おかえー、ジュースちょーだい! 着色ギトギトのやつ」
「あいヨ」
Mr. ドゥー!が投げたペットボトルをキャッチした少女は、そのままキャップを開け、喉へと緑色の甘い液体を流し込んだ。
「いえーい! あったまわるーい味!!」
一人盛り上がる少女を尻目に、Mr. ドゥー!はビニール袋を床に放ると、ため息をついた。
「ハァ……まったく、我らが新メンバーは呑気なモンだナ」
「彼女はいつも元気いっぱいだろう? そこがいいんだよ」
ノーツの言葉に、Mr. ドゥー!は肩をすくめて見せる。
「そこが疲れるところでもあるケドナ」
「今回相手取るのは彼女の同年代だ。この業界じゃああのくらいの年齢は珍しいだろう? 彼女だって興奮くらいするさ」
「ソレはどっちのハナシだ? レガメト・メネズェラか、
「どっちもさ。かくいう私も年甲斐もなく興奮している」
「オマエも年寄りとは言えねぇダロ」
「はは、私を年齢通り見てくれるのはキミだけだよ。ドゥー」
「……Mr. を付けろヨ、ノートラダム」
「なら、私のこともノーツと呼んでもらおうか」
「ねーぇー!」
空になったペットボトルを投げ捨てた少女が両手を挙げてわめいた。
「なんで私たちだけじゃないのさー! せっかくの初陣なのに!!」
「仕方がないだろう? 警備を蹴散らし、私たちにとっての隠れ蓑になる者が必要なんだ」
「でーもーでーもー! ぜーんぶぶち壊して、派手に花火でも打ち明けてさ!」
自身の手を懸命にわちゃわちゃと動かす少女に、ノーツは軽く苦笑した。
目の前の彼女は精神性が幼い。だが、幼くとも彼女の実力は疑っていないし、なんだかんだで仕事もしっかりとこなしてくれるだろう。あとはときおりガス抜きをしてやればいいのだ。
「わかったよ、キミが活躍できる場所も作ろう。なぁに、彼らにはきちんと話をすればいい」
「……
Mr. ドゥー!のつぶやきは、少女の歓喜の声にかき消され、消えた。
◇
「まずは簡易拠点まで向かうわよ、この地域は比較的治安がいいけれど、一応はもう作戦区域だから警戒を怠らないように──」
守崎の声。しかし、その声は脳を滑り、彼方へと飛んで行ってしまう。なぜならば──
「お祭りだー!!!」
桜空が叫びながらくるくると体を回転させる。
数年に一度のスパンで実施されるこのお祭りは、その規模もさることながら全国からつめかける観光客の数でも名が知られており、その名前と評判は空音も知っているものだった。
空には巨大なバルーンや紙吹雪が舞い、道に並ぶ露店には地域の特産品や全く関係のない飲食物まで選り取り見取り。全てを見て回るのは二日や三日ではとても不可能だろう。
そんな祭りの熱気はイベントごとに前向きとは言えない空音でさえも飲み込み、思わず駆けだしたくなる衝動を湧き上がらせるような、そんな強大なものだった。
「桜空ー! 行くわよー!」
「えー! お祭りは!?」
「あとで回れるから!」
守崎に連れられ、人の波を泳ぐ。ボディペイントや特徴的な仮装に身を包んだ人々を掻き分けながら三人がたどり着いたのは、祭りの喧騒からは少し離れた地区だった。
「行事中、ここら辺はいわゆる備品の保管庫として使われてるの。だから一般客はここまでは来ない。簡易的な拠点を置くのに最適ってわけ」
外階段を昇り扉を開けると、そこには大勢の人がいた。誰もかれもが自身の前のディスプレイを眺めては、ときおりマイクへ向けて指示のようなものを投げかけている。
「これは──」
「司令塔ってとこね。今回は即時対応案件だもの、大勢が動員されているわ」
これほどまでにNRには人がいたのか。そう思えるほどの規模と迅速性だった。対象であるレガメト・メネズェラが逃げ出したのは昨日のはず。空音だって作戦について聞いたのは昨日の夕方のことだ。たった一日足らずでこれほどの規模の拠点を作り上げるなんて。
「……NRって、凄いんですね」
「そう言ってもらえると、私としても鼻が高いわね」
守崎が職員たちに挨拶を済ませていくのに合わせ、空音も軽く頭を下げる。桜空は既に独自で動き回り、職員たちに馴染み始めていた。相変わらず大した順応能力だ。
「それじゃあ、これね」
渡されたインカムを耳に嵌めると、聞こえてきたのは……愚痴。
『ああクッソ……どうしてアタシがこんな──』
「この通り、私たちの無線は車にいる博士と繋がっているわ。本当ならあの人もここにいるものなんだけど……」
メタセコイアは、祭りの喧騒を嫌がって車に閉じこもっている。
「……まあ、いくら彼女とは言え流石に情報伝達はしてくれるでしょう。基本は指示されたルートで巡回して、レガメト・メネズェラを発見したら即報告ね。三時間ごとに交代があるから、お祭りを楽しみたいならその時に、ね?」
「空音ー! あとで一緒に回ろうね?」
「はいはい、喜んで」
慣れないインカムは違和感が強いうえに、ヘッドフォンの上からだと使いづらい。仕方がないのでヘッドフォンを外し。インカムをしていないほうの耳に耳栓を押し込んだ。
「大丈夫? 音が辛いなら無線機もあるから──」
「無線機を使っていたら対象に警戒されるかもしれない。そうですよね?」
「え、ええ、確かにそうだけれど……」
「キツくなったら外したりするので、大丈夫です」
守崎に笑いかけ、空音はヘッドフォンを外した。
周囲の話し声が一気に思考へ混ざり込んでくる。それらを一つ一つ頭の中で分け、要らないものと要るものへと分けようとするが、そう簡単に上手くはいかない。
息を、吐く。
息を、吸う。
インカムと耳栓で耳を塞げば、それらは雑念ではなく情報として独立した。ひとまず、今だけは。
大丈夫、私はやっていける。
「私は、大丈夫です」
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