2. 素敵な祭典の歩き方

祭囃子は鳴らずとも。

祭囃子は鳴らずとも。①

「……」


 ハンドルを回し、お湯を止める。

 ハンドタオルで軽く前進を拭き、個室シャワーの戸を開けた空音は、軽く息を吐いた。


 空音は先日、“神話起こしリミュトス”なる組織の頭目と目される男、デザイナーと遭遇した。その場はなんとか退けたものの、残ったのは懐疑と恐怖。


 不気味だ。なにが? 自分が。


 デザイナーとの戦闘で改めて振るわれた魔法少女の力、そして狂おしいほどの全能感と恍惚は、当時こそ喜びに満ち溢れたものだったが、今となって振り返れば不気味の一言に尽きる。

 のちに健康診断を受けたが、結果は異状なし。それもまた不気味だ。あんな力に染まって、異常がないだなんて。


 脱衣所で軽い肌着だけを身に着け、スポーツドリンクを喉に流し込みながら、空音は考える。自分の力はなんなのか。果たして自分は正常な人の範囲に収まることができているのかを。


 答えなんて、出やしないのだろう。

 きっと、出やしない。メタセコイアも魔法少女に関してはその大半のメカニズムが未解明だと嬉しそうに……本当に嬉しそうに言っていたし、自身以外の魔法少女の例がほとんどいないらしいことも知っている。

 それでも、考えることには意味があるはずなのだ。

 なければ、おかしい。


 うわの空のままに着替えを済ませた空音が扉を開けると──そこは、いくつもの部屋と、いくつもの通路が縦長の空間に入り組んで浮かぶ魔窟。通称ツリーハウスだ。

 ここに通い詰めるようになってはや数週間。屋内のトラックコートを走るのも日課となりつつあった。元はといえば守崎と桜空の“体力は絶対に必要だから”という言葉で始めたことだが、思いのほかハマってしまった形になる。


「……懐かしい」


 高校に入るまでは、日の出までこうして近所を走るのが日課だった。なにかで読んだが、人の習慣というのは意識的にやめたとしても、ちょっとしたきっかけでまた蘇るものなのだという。そう考えるとこうして自分が走るのも、当然と言えば当然なのだろうか。


 ◇


「おはよう空音ちゃん。またアーカイブ室?」


 ツリーハウスの空間を縦横無尽に走る通路、そこで空音は足を止めた。振り返ると、そこにはいたのは、一人の老女である。


「メンドゥーサさん、おはようございます。ええ、少し調べ物をしようかと」

「ごめんね、もう少しであなたの権限も付与されると思うから」


 ブラウンのケープを身にまとい、その瞳に聡明さを秘めた彼女の名は、メチル・メンドゥーサ。NRの職員にして、相談員兼連絡員、そして情報管理部門にも属しているらしい。正に多才の言葉が相応しいだろう。彼女自身は自身のことを雑用係だなどと冗談めかしていたが、日の浅い空音でも分かる。彼女の存在はとても大きいものだ。大抵の職員はメチル・メンドゥーサを信用しており、相談を受けている姿を見かけたのも一度や二度ではない。それも、内容が個人的か組織的かを問わずに、だ。


「大丈夫です。アーカイブ室の雰囲気、好きなので」

「そう? ならいいんだけど……あっ、そうだ」


 老女は、端末を器用に脇へ抱え、手のひらを打ち鳴らした。


「ココア飲む? アーカイブ室は飲食厳禁なんだけど──権限付与が遅れた小さな仕返し、ってことでっ」



 メチル・メンドゥーサが渡してくれたココアは、丁寧にもタンブラーに入っていた。アーカイブ室には精密機器が多いので、こぼれないようにという配慮だろう。


 自分に出会うことが分かっていたのだろうか? まさか。


 階段を上がり、下がり。通路の回転を待つ。そうして誰も寄り付かないであろうツリーハウスの隅にある部屋にたどり着いた。

 連なるサーバーはブゥン、という独特の唸り声をあげ、それが無限に連なっていく。それがアーカイブ室。端末から情報を閲覧することができるような多くの職員にはまず縁遠い場所だ。


 明かりの絞られたアーカイブ室は、デジタルという形で情報が保存された資料室である。この組織が作られてから蓄えられた数多の情報が、最低限の権限でできる限り閲覧することができる。支給された端末のセキュリティ権限が最低限ですらなかった空音にとって、ここは貴重な情報収集の場だった。


 初めて来たころは埃が積もっていたテーブルも、何度かの掃除の結果そこそこ使えると言える程度には清潔になっている。空音鉄製のテーブルにココアが入った容器を置くと、サーバーに挟まれた通路へと入った。


 サーバーのうち一機に取り付けてある端末を剥ぎ取り──留め具のようなものが錆びつき始めているので、剥ぎ取るという表現が適切なのだ──再び椅子へ。


「……魔法、法則……」


 昨日読みかけだった魔法についての論文らしきものを漁り読む。書いてあることは難しいのでかいつまんで、になってしまうが。


 魔法とは、つまり未解明の法則に過ぎない。

 その一言から始まったそれは、空音に納得を与えるに充分だった。どうりで他の論文の類に“魔法”の二文字が記されていないわけだ。“法則”


「法則、か──」


 魔法とは、つまり法則である。世界に働きかける特殊な法則ルール。たとえば、桜空には“リボンを蝶へと変え、それをもって軽い縫合ができる”という法則ルールがある。空音自身の異常な聴力もこれに該当するのかもしれない。


「やっぱり、ダメか……」


 最低限の権限では閲覧できない項目が多すぎる。例えば、他の職員のプロファイルを閲覧するには、当然ではあるが、そこそこ上の権限が必要らしく、メタセコイアや守崎がそもそも法則を保有しているのかすら判明しなかった。


「聞いたら答えてくれるのかな」


 どこまでがタブーなのかもわからない。果たして正面から直球で聞いてしまっていいものなのだろうか。


 考えの沼から空音を引っ張り上げたのは、ポケットのスマートフォンが発するバイブレーションだった。


“そらねー、ちょっtきてー”


 勢いだけで打ったのだろうか。崩れて若干伝わりづらいそのメッセージをほほえましく見守った空音は短く変身を入力すると、椅子から立ち上がる。

 足早にその場を後にする空音の後ろで、サーバーがぶん、と短く唸った。


“来てって、どこ?”



 近頃は暇さえあればここに来ていたので、もう大体のルートは憶えてしまった。故に、最初見たときはあれほど入り組んで見えたツリーハウスも、こうして歩くとそうでもなく思える。広く思えるのは通路や部屋が移動するからであり、それを知ってしまえばなんてことはないのだ。

 短い螺旋階段を上がり、そこの直線を進む。操車場のように通路が回転するのを待ち、開通した通路を左に曲がれば、そこはもう札に“64”が刻まれた部屋だ。


「遅くなり──まし、た……」


 扉を開けた途端に感じたのは、重苦しい空気だった。いつものようにメタセコイアと守崎がいさかいを起こしているようだが、今回のそれはじゃれ合いのようなものではないらしい。


「……本気ですか」


 守崎がゆっくりと、確かめるようにそう言った。メタセコイアは目を細め、自嘲気味に口を吊り上げる。


「本気もなにも、我らが敬愛すべきボスはからそのつもりだったらしい」

「それでも──彼女はまだ未成年です」

「ああ、そんな未成年の少年少女を利用することで、N Rこの組織は業界の治安維持機関として機能してきた。当然の帰結だろ」

「……それでも私は、納得するわけにはいかないんです」


 椅子に音を立てて崩れ込んだ守崎は入室してきた空音をの姿を見つけると、絞り出すように“こんにちは音無さん”とだけ呟いた。そして難しそうに口を結ぶと、すれ違うように部屋を出て行く。


「おはよー、空音」

「これ、なに……?」


 当事者その2であるメタセコイアは鼻を鳴らして目線を端末に向けてしまった。仕方なく空音は、我関せずといった様子で椅子に座ってくるくると回転する桜空に声を掛ける。


「あー、ちょっとね。空音の今後について二人で意見が割れてて」

「私の……?」

「そそ、新しい任務が来たんだ。ほら」


 桜空が提示したタブレット端末には任務概要と思しきファイル。“参加人員”の欄には──音無 空音の名が刻まれていた。


「これ……私」

「と、いうわけで初仕事なわけだけど……守崎さんはそれに酷く反対してね」


 守崎は、空音を危険な世界に巻き込みたくない。だが、この組織全体とメタセコイアは、貴重な魔法少女である空音を掴んで離したくない。今回の任務は法則蔓延はびこる未知なる世界へのいわば“慣らし”であり、それが済んでしまえば、こんどこそ空音は戻れない。

 とまあ、こういうわけだ。


「どうする? エリオットさんは優しいから拒否すればメンバーから外してもらえると思うけど」

「エリオット……エリオット・ディメンショナリズム?」


 エリオット・ディメンショナリズム。この組織NRの頭目、すべての統括者。すべては彼女から生まれ、今に至る。

 と、いうのは空音がアーカイブ室で得た知識であり、どこまでが正確な情報なのか確かめるすべはない。だが桜空がそう言うならば、少なくとも対外的なそういった対応は上手い人間なのだろう。


「あの人は良くも悪くもドライだから、空音がいなくても最適なメンバーをチョイスしてくれると思うよ」

「行く」

「わ、即答」


 空音は、そっと自身の耳を覆うヘッドフォンに触れた。

 プラスチックの冷たさ。金属のそれには満たないひんやりとした冷気が指を駆け上り、代わりにプラスチックが温まっていく。


「私は……まだ、なにも知らないから」


 情報収集などと気取るつもりはないが、すくなくとも満足するまでは確かめたい。

 知らなければ、なにも判断しようがないのだから。



 朝露がようやく消え、太陽が上昇の軌道に乗り始めるころ。四人はNR本社ビルの正面玄関前で合流した。

 

「おはよう音無さん、忘れ物とか、ない?」


 ワンボックスカーの運転席から空音へと声をかける守崎の姿は、いつも通りスーツ姿だった。


「千尋さーん、荷物後ろに乗せちゃっていいー?」


 空音と並んでやってきた桜空が、返答も待たずに車のトランクを開ける。


「あっ、待っ──」


 開けられたトランクから、何枚もの毛布とクッション。そしてメタセコイアが転がり落ちてきた。


「えっ」

「あー……」


 メタセコイアは地面で数度不機嫌そうにもがくと、毛布を握りしめて寝息を立て始める。


「あの、これは……?」

「睡眠不足、だそうよ。申し訳ないけど荷物は足で抱えてもらうことになるわね……」


 メタセコイアの奇行に段々と慣れ始めているらしい桜空は、そっとその身体と毛布類を再びトランクに押し込んだ。


「さて、と。それじゃあ行きましょうか。詳細は高速道路に入った辺りで、ね?」


 守崎がアクセルを踏み、車はゆっくりと動き出す。初の大々的な任務、どこに行くのかも、なにをするのかも分からない。だが、空音の内側には薄い予感だけが浮かび上がっていた。


 きっと、この旅は平穏なままで終わらない。

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