音を聞く。⑥

「パンを作るのが趣味でして」


 デザイナーが、なんてことないように口を開いた。


「ドライイーストやらバターやら強力粉やら、そういったものを混ぜ合わせるんです。そうしてできた生地にドライフルーツやらなんやらを混ぜ込んで、寝かせて、焼く」


 デザイナーの発する言葉一つ一つに連動するように、あちらこちらで花弁が開く。

 それは、花畑に似ていた。ただし、咲き誇るのは醜悪な、思わず目を背けたくなる花々だった。


 人間の腕、爬虫類の目、蝙蝠の翼、それらで構成された花は蠢き、開き、呼吸するかのようにその構成を晒していた。神話を起こしているにしてはあまりに邪悪な造形美に満ちたそれらは腕をうごめかせ、目をぐりぐりと動かし、翼を僅かにはためかせた。


「その点、生き物を変えるのはパン作りより簡単なんです。ゆっくりと、時間を掛けて混ぜ込むだけでその外殻は融解し、中の“軸”すら容易く変わる」


 デザイナーがそっと、醜悪な花の花弁を持ち上げた。


「なにが……したいんですか。あなたは」

「なにが? それはどういう意味です?」


 空音の頭は、至極冷静だった。彼の一挙手一投足をじっと見つめて、分析する余裕もある。ただ、言葉だけは冷静でいてはくれなかった。


「化け物を放つだけ放って、暴れさせて、分からないことだらけ。なんのために? なにが目的で?」

「目的……と言われましてもね」


 デザイナーは頭をポリポリと掻いた。


「あなたは趣味には全力で打ち込むでしょう? それが仕事も兼ねているなら猶更です」

「……趣味?」

「ええ、まあ。理由はそれです。誰とか、どことか、別に関係は」


「空音、話さなくていいよ」


 桜空の手が空音の肩にポン、と置かれた。


「……うん、大丈夫だから」


 空音は軽く深呼吸を済ませると、冷静に、そうあくまで冷静に眼前のデザイナーを見つめる。


「モノは、ヒトより簡単でね。混ぜる必要性すらないんですよ」


 宣言と共に床が波打つ。コンクリート製の床が、だ。


まことの原初は我らにありて、悶え引き出し、描き乱す」


 あたかも詩を吟ずるように、歌を歌うように。デザイナーの開いた口から言葉が漏れ出して──


「空音、こっち!」


「──《生命構造図式ワンダー・エディット》」


 床のコンクリートは瞬く間にその色と、組成を変えた。性質と見た目共に象牙を思わせる乳白色へと姿を変えた床はそのまま全体を逆立たせる。

 剣山となった床、立つという概念ごと貫くような景色。その光景を見てデザイナーは吐息を漏らした。


 ほれぼれする美しさだ。自身の作品はあいも変わらず、この世界において温かな魅力放っている。傷つけ、殺すための形、しかしこんなにも美しいのは正に、生命の神秘を凝縮したからなのだろう。


「……お」


 デザイナーは感心したように天井を見上げた。

 乳白色の棘が音を立てて引っ込むのと同時に、空音と桜空を天井に縫い留めていたリボンがその役割を終える。


「げほっ……いったた……」

「ああもう、リボンがぼろぼろ……」


 多少の怪我はあるが、棘は刺さっていないし、怪我も行動不能になるほどではない。桜空が咄嗟にリボンで二人纏めて天井に避難していなかったならどうなっていたことか。


「……少し設計をミスッたようで」


 デザイナーは真顔で呟く。あの棘は並大抵の物質を貫くように作ったはず──どうやらあのリボン、ただのリボンではないらしい。


「なら、次は──」


 デザイナーな軽く手を動かして見せる。

 “悪意”、“霧散”、“昇華”、その他もろもろ考えうる限りの防御貫通概念、そして殺意を一滴──


「次なんて、ない」

「おっと、やる気ですか?」


 空音は額の血を拭うと、デザイナーを指さした。


「もう、分かった。あなたとは分かり合えないし、あなたの言っていることは何も分からない」

「道徳でも説くおつもりで?」

「……ふっ」


 口元を抑えて噴き出したのは桜空、デザイナーはその態度に言いようのない不満を憶えた。


「……なにか的外れなことでも言いましたか?」

「いやいや、違くて。空音が言いたいのはね──」


「──死に、意味なんてない」


 指を下げ、空音はゆっくりと言葉を紡ぐ。これは思考の整理の過程、自分に言い聞かせる。というよりは自分の意見そのものに言い含める。が近い。


「犠牲も、それによって生まれうる英雄も、必要ない」


 空音にとって、それは願いではあっても、祈りではなかった。

 どこかで見ている神様は、祈られるに値するらしいなにかは、平然と人の命を終らせる。無意味に、無意義に、無情なまでに。

 だから空音は祈らない。祈ってなんかやるつもりはない。ただ、願いはする。願いはいわば宣誓だ。“お前なんぞの力を借りずとも”、という宣誓。


 “ただ、そこへ”


 願うべきなにか、それが実現した場所へ行くために行動する。

 

 「それが、私の願いだ」


 たどり着くべき場所にして、自身の意見へ言い含める言い訳だ。


 空音の指は、まっすぐにデザイナーを指さしていた。

 普段ならば絶対にしない行動。下手したら状況を悪化させ、相手を逆上させることは理解していた。けれど、それでも、空音を焦がす衝動はその行動を我慢させてはくれなかった。


「──はっきりと言う。この場に、“あなた”は必要ない」


 だから、きっと、これが空音の戦う理由なんだろう。


 工場内、少し開けた半廊下、半大部屋とでも言うべき空間。そこに、三人の人間が立っていた。


 一人は、デザイナー。今回の一連の事件の主犯であろう男


 一人は、桜空。リボンの蝶を使う少女


 一人は、空音。内なるいらつきに心を委ねる少女


 お互いがお互いを探り合い、次なる行動に対応しようと目を光らせる。そんな歪な均衡を破ったのは、デザイナーだった。


「……今作るなら、クロワッサンですかね」


 指揮者の如く、デザイナーが手を動かせば天井の形が変質した。まるで水飴のように伸びた天井はそのままぐるぐると渦を巻き、槍のような先端を持つ触手へと姿を変える。


「お二人はクロワッサンになにかつける派ですか? もちろんそのままでも十二分に美味しいですが……バターやはちみつ、あとは──」


 槍の触手がぎちぎちとバネのように収縮し、その後の爆発的な刺突への待機状態へ移行すると、デザイナーは言った。


「──いちごジャム、なんかどうです?」


 槍が、圧縮を一気に解放した。

 長い時間を掛けて限界まで引き絞られた触手槍は、肉のばねをしならせながら乱暴に、しかし正確に標的を貫かんとする。


 空音は、そのとき既に飛び出していた。

 判断するよりも早く、直感と、聴覚に頼った行動だ。


 掠め、閃き、生身とは思えない速度で飛び出した空音はそのままつんのめった体勢でデザイナーの懐に潜り込んだ。勢いを殺し、しゃがんだまま止まった空音は、デザイナーの脳天に拳銃の銃口を突き付ける。


「……あなたは、非戦闘員だと思っていたんですけどね」


 デザイナーは、鬼気迫る表情で引き金に指を掛ける空音に言った。


「関係ない。戦えるかどうかなんて」


 二人の目線は至近距離で交わる。

 もし、今銃口を向けているのが普通の相手ならば、次の動きをデザイナーが読むことはたやすい。しかし、今引き金に指を掛けているのは紛れもない一般人、初心者、人を傷つけたことなどあるはずがない少女である。


 それは、彼女の一挙手一投足を見ていれば容易に分かった。震える手、こちらを見据える瞳、それらすべてが“私は無力です”と訴えているかのようだ。


 だから、デザイナーは焦らない。こういう輩を相手にするのなら──


「撃てるんですか、あなたに」

「撃てないとでも?」

「そもそも、あなたは人を害する覚悟なんてできてるんですか?」

「この場から、お前を排除できればどうでもいい」


 デザイナーは内心感心した。目の前のこの少女は未だ一片たりとも揺らぎを見せていないのだ。行動や振る舞いは素人、しかし心の強度は達人のそれとは。なんとも扱いにくい。


「……撃てなくても、撃ってみせる」


 空音の腕に力がこもった。引き金を引くか、それとも引かないか。

 一人の人間の人生を“無”へと還す覚悟が自分にあるのかどうか、空音は測りかねていた。


「撃てなくとも? そんなことを口にして、撃ち抜けた人物を俺は知りませんよ?」

「……関係ない」


 繰り返す、言葉。


「関係ない? なにが関係ないと?」


 ひらひら、と。蝶がデザイナーの肩に停まった。彼は煩わしそうにそれをはたくと、蝶はそのまま飛び立つ。

 続いて、二羽の蝶が彼の脇腹と肩に停まった。デザイナーは眉をひそめると、空音から目線を外す。更に、奥に立つ桜空の元からさらに三羽の蝶が飛び立った。


「これは──」


 蝶々が、空間を満たしていく。一律に、色が変わらないリボンの蝶は羽をひらひらと揺らし、瞬かせながらそこかしこを好き勝手に飛び回っていた。


「《慈悲成す羽ばたきバタフライ・アフェクション》」


 桜空は、未だ空音の後方で立つ少女は、ゆっくりと告げる。


「私の蝶は、事前に命じた事柄をただ行う。それが能力、それだけが法則──」


 蝶たちがひらり、と方向を変えた。確固たるルートを辿っていなかったそれらに確固としたルートが浮かび上がる。すなわちデザイナーへ、一直線に。


 最初の蝶がデザイナーの腕に止まる。ゆらゆらと一対の羽が遊んだかと思うと、その蝶は自らの節足を細かに動かしながら──


「──」


 デザイナーの腕からの出血。無論その原因はリボンの蝶だ。蝶が足を使ってデザイナーの腕を分解でもしようかとしているのだ。


「皮膚を裂き、肉を掻き分け、骨を取り出す。《慈悲成す羽ばたきバタフライ・アフェクション》──『非救命医療ディスオペレーション』」


 それは、宣言であり、誓いだった。

 “お前を叩きのめす”という宣言、手加減はしないという誓い。それらは確かに桜空の中に今現在存在するもので、彼女を動かす原動力だった。


 そんな、人の神髄とも言える害意に晒されながら、デザイナーは──笑った。

 不敵な笑みではない。ただの嘲笑、子供を相手に喧嘩をするようときのような、圧倒的優越感。それに桜空が気づいたとき、全てはもう終わっていた。


「──」


 デザイナーは、両手を広げていた。彼にとっては既に済んだこと。今は、ただ自分の設計デザインにほれぼれするための時間だ。


「……《生命構造図式ワンダー・エディット》、狙いは済ませた。設計も、計算も済ませた。だから、貫いた」


 もう、蝶は一匹たりとも羽ばたいてはいない。先ほどまで空間を埋め尽くすほど滞空していたのが嘘のように。


「見てください。このほれぼれするラインを」


 デザイナーは乳白色の触手をそっと撫でた。その触手はこれまでのどれよりも細く、そして長く、天井の一点からただ一本がうねって、続いていた。

 たった一本きりの触手には、無数の蝶が貫かれている。その場に滞空していた数十匹の蝶すべてを一連の動作で残らず貫いているのだ。


「そんな、馬鹿な……」

「叡智の結晶、生物の行きつく至高の機能美、実に素晴らしくありませんか」


 その場の誰もが、デザイナー、空音、桜空、全員が、その光景に見とれていた。一人は美しさのあまり、二人は驚異のあまり、残酷さはそのままもう片方にとっての美しさだった。


「……さて、と」


 デザイナーは両手をはたくと、


「いつまでも見ていたいですが……そろそろお別れです」


「試すような真似をしてすみません」とデザイナーは悪びれもせずに言った。


「ですがまあ、この光景を見れたということで勘弁してください」


 お茶目に微笑んだデザイナーの目の前で、空音は一歩も動けなかった。既に撃てる器などしない。なら、どうすればいい?


 ぐじゅり、と。床が変質し、歪な槍が空音に狙いを定めた。


「──空音」


 後方から、桜空が言う。


「信じて」


 瞬間、なにかがはじける音がした。触手に貫かれた蝶の残骸のいくつかが、一斉に元のリボンに戻ったのだ。

 リボンたちはその場で展開しながら伸びた。壁から壁へ、天井から床へと続く何本ものリボンは、スパイ映画のレーザーセンサーのようだった。


 そして、空音の身体は吹き飛んだ。正確には弾きだされた。一本のリボンが、丁度その展開する軌道に空音を捉えたのだ。


「……私が、蝶にプログラムした命令は二つ、片方は分解、もう一つは展開。その二つをそれぞれ命令した蝶を混ぜた」

「……用意周到ですね」


 デザイナーが目を細めて桜空を見た。


「それで、あなたは? 彼女空音だけは逃がせても、あなたはどうするっていうんです?」

「──

「は?」

「私が逃げるかどうかなんて、もう関係ない」

「またそれか、あなたたちはどうして──」


 それが、命取りになった。


 既に、飛ばされた空音の身体は別のリボンに弾かれ、またその先で弾かれ──


 妙な軌道を描き、空音が跳ぶ。触手槍が殺到するが、既に展開されているリボンを細々と破壊するにとどまる。

 ──次何処に飛ぶか、など予想できるはずが──


 掠った弾丸がデザイナーに傷をつけた。さらに一発、もう一発。掠らなかった弾丸は大量に、あらぬ場所へ命中している。だが、これは。


「……私、知ってるんだ」


 桜空が、口を開いた。既にデザイナーが生み出した全てのものは、跳び続ける空音の軌道にかかりきりになっている。故に外野の彼女は、口を開ける。


「その身体、スペアだよね? さっき蝶で触れたときに確信したよ。人工の血と肉──どうせこの場であなたを殺しても、意味なんてないんでしょ?」


 デザイナーは答えない。そんな余裕などない。既に空音の動きを捉えられなくなっているのだ。いや、捉えられる。現在だけは。だが、問題は次どこに跳ぶのか分からないことであって。


「手慣れてきている……」


 デザイナーは下唇を噛んだ。


「どうあがいても、あなたはこの場じゃ死なないんだ」


 桜空の言葉は、もうデザイナーに届いてはいない。デザイナーの中で彼女は今や脅威ではない。彼女自身に戦闘力はほぼないことは分かっているし、蝶でできることもたかが知れている。


 けれど、今届かせたいのはデザイナーにではないのだ。

 彼女が、桜空が言葉を届けたい相手など、いつもきまっている。あの頃から、変わらない。


 かくして、その言葉は届いた。


 空音の引き金を鈍らせるのは、自身の主義によるものである。誰かを殺し、その生を無に帰すのではないかという漠然とした恐怖。誰かに、自身と同じ想いをさせるのではないかという不確かな不安だ。

 

 だから、それが消えてしまえば。



──「それが聞ければ、撃てる」



 次の、跳躍はデザイナーの目の前だった。跳ぶ過程で構えれば冷静に狙いをつける時間くらいはある。それが、リボンからリボンへ跳ぶことを繰り返して学んだ経験だった。


「──当てる」


 当たれ、ではなく当てる。


「させるものか!」


 床から乱雑に突き出た肉の塊が銃口を削り取った。


 デザイナーは、苛立ちを覚えていた。自身の設計するものはすべて作品なのだ。妥協などしない。完璧に、美しくある。だが、今目の前の奴が持つ拳銃を壊したこの肉塊は完全にアドリブ、その場でとりあえず作った妥協の塊。


「私はッ! アーティストだ!! 妥協など──」


 空音の目の奥で、何かが光る。

 その蒼い光は輪となり、燦然と輝く光輪へと至った。


 そのとき、空音がなんと言葉を発したのかは覚えていない。ただ事実として──


「──██」


 彼女が発した言葉は空間を構成するすべてと反発し、衝撃となった。ただ、それだけだった。間近の触手も、咄嗟に展開された肉盾も、全てを吹き飛ばして、同じく、デザイナーの首から上も吹き飛んだ。

 毒々しい作り物の血と、冷え冷えとした作り物の肉が辺りに飛散る。


「──これが、私」


 これが、魔法。私だけの法則。


 空音は自身の眼球の中の光輪と、背中を揺蕩う透き通ったなにかに想いを巡らせながら、ゆっくりと微笑んだ。今は、今だけは、そうしていたかった。

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