音を聞く。⑤
空音は、眼前の巨体を見つめた。
ゲイザー、空想世界から出でた使者は、いまや死者となって床で眠りについている。
「ポジティブに考えれば、サンプルが増えたな」
顎をこすりながら言ったメタセコイアに、守崎はあきれ顔を向けた。
「……ネガティブに考えるなら、人が怪我をして備品がしっちゃかめっちゃかですよ、博士」
怪我人が担架で運ばれていく。桜空がその場の全員──研究員やら負傷者も含めた全員──をリボンで纏めていなかったならもっと大惨事になっていただろう。
「で、なにがあった」
メタセコイアが尋ねると、守崎は無言で首を振った。
「……ふぅむ、生きている者をリストと照合しろ。今まで通りならゲイザーの宿主になっていた者がいるはずだ。誰か知りたい」
◇
死者は数人。その内訳のほとんどが触手に切断されてのもの。
「……」
空音は、無意識に握りしめられていた自身の右拳を開く。あり得ないほど固く握られたそれを、彼女は自身の左手を使って無理やり解いた。
血だ。握りしめられ、食い込んだらしい爪が表皮を破って血を出させている。
「音無さん、大丈夫?」
「え、と……はい。怪我という怪我は頬にくらったものくらいなので」
守崎にそう答えながら、空音は自身の耳に手をやった。
うるさいのだ。がなり立てる音が止まない。
「あの」
「なぁに?」
「耳栓みたいなものってありますか? その……少し、キツくて」
音と音がぶつかり合って落ち着かない。それもある。けれど、今は。
ぐわん、ぐわんと響く音。死の音。空音が忌むその瞬間の音が──
「──ああ、そうよね。ちょっと待ってて」
森崎は救護担当であろう人員を呼び止め、
「彼女に検査を、あとその前に耳栓も」
「分かりました」
ウインクだけをして、守崎は去っていく。
人の死に音なんてない。風の音、心臓の鼓動、足音、あらゆる音が先ほどまで渦巻いていた死を表しているように聞こえるだけ。そう、気のせいでしかない。そのはずだ。だから、耳を塞げ、心を閉じろ、踏みつぶされてしまわぬように。
◇
耳栓によって余計な音は遮断できたし、危機も去った。なんだかどっと疲れた気もする。
空音は職員から貰ったマグカップを両手で抱え、ほぅ、とため息をついた。
「……落ち着く」
「はぁ~、やっとゆっくりできる~」
隣に座る桜空も、同じくマグカップを抱えてため息をつく。
「……いつも、こんな感じなの?」
「割と多め、かなぁ。こんなに急なのは久しぶりだけど」
そう言いながら、桜空がポーチを開けると、中からリボンがするりと姿を現した。
「これ、さっきの……」
「そそ、防刃防弾の優れものだよ。これを──」
ポーチの内部にリボンをカットする機構でもついているのか、リボンは中途で切断された。長さで言えば手のひらの端から端より少し長い程度だろうか。
「見ててね」
シュルリ、と、リボンはひとりでに絡み合い、結ばれて、できあがったのは蝶だった。一部ほどけた繊維が足を成し、触覚を成すほどの精巧さを誇るそれは、ゆっくりと羽をはためかせ、飛び立った。
「これっ、て……」
蝶は、やがて切り傷の残る空音の頬にそっと留まると、その小さな足を細かく動かし始める。
「痛っ──」
「痛いのはすぐ済むから、じっとしててね空音」
蝶の足が動き、傷から汚れと余計なものを取り除く。そしてその身体を構成する糸をもって傷を縫い、塞いで──
「これって、治してるの……? 傷を」
「うん、軽い縫合だけどね」
桜空は二匹目の蝶を指先に留まらせると、微笑んだ。
「《
「魔法……」
“魔法とは未発見の法則に過ぎない” 守崎はそう言っていた。法則に過ぎないのならば、なぜ唯一無二の、自分だけの、なんてものが成立するのだろうか。
◇
「と、いうわけで。一休憩したら私も怪我人の手当てに行ってくるね。蝶々は自動で縫合とかしてくれるけど……複雑なのは結局自分でやんなきゃいけなくて」
「私も手伝うよ、桜空」
立ち上がろうとした空音を、桜空は手で制止した。
「大丈夫! 空音はもうちょっとゆっくりしてて」
「いやでも──」
「救護班で手の空いている者は──」
「あ、はーい!」
聞こえてきた声に、桜空が元気な声と共に手をあげた。
「ごめん、ちょっと行ってくるね」
「……じゃあ、ここで待ってる」
「うん、空音はちゃんと休んで!」
言うが早いか、彼女は駆けていく。声を上げたらしい救護員のすぐそばの床には男が寝かされていた。どうやら腹部に鉄のなにかパーツのようなものが刺さっており、作業着には血が滲んでいる。
桜空の蝶々が男に停まり、手術を始めると、空音はほぅ、とため息をついた。
戦う理由が、必要だった。
空音には今、動機が無い。言うなれば、モチベーション。命をとして、この身を捧げて、あんな
生きるため、と言い切るのは簡単だ。だが、それならば逃げるだけでもいいのだ。憂いを払う。という言い方をすれば──いや、立ち向かうには足りない。
自分を知るため? 確かに、魔法少女という得体のしれないもののことをもっと知りたくはある。だが、それならば恐らく戦わずとも済むのだ。
そもそも、自分はなぜ理由を欲しがっているのだろうか。
「……桜空」
桜空の蝶々はひらひらと、男の身体から摘出した金属パーツをトレイに載せていく。からん、という音は現状に反して随分と心地よく聞こえた。
そして──聞き覚えのある音。
「また。この音」
どこかで聞いた覚えのある音。絶対に聞いたことがあるのに、肝心のどこでかが思い出せない。そんな気持ち悪さは空音をどこか焦らせる。
絶対に、絶対に忘れてはいけなかったような気がする。気がするだけ──か?
「ああ、もう」
空音は頭を軽くかきむしった。自身がある程度短気であるという事実は点きつけられたくないものだ。
「はぁ……どうしてこうも……」
今日も、そして先日も、化け物に襲われ。魔法を、魔法少女を知り、最近は疎遠になっていたとはいえ、良く知っていると思っていた少女のことを何も知らなかったことが発覚して。急転直下だ。
空音は蒸れてきた耳栓を外し、もう一度はめた。やることはない。ただここでボーッと思索にふけっていても──
──思わず、顔を上げる。工場内部の様子は何も変わっていない。人々はあわただし気に作業を行っているだけだ。
そう、何も変わらない。ただ一つ、怪我人を懸命に救おうとしている桜空と、そんな彼女に自然な動きで手を伸ばす救護要員だけが目立って──
「っ──」
ここからでは、間に合わない。手を伸ばしてももちろんのこと、走ったって無理だ。なにか、なにかが──
「桜空ぁ!! 横、跳んで!!」
その言葉だけで伝わったのは、本当に幸運だった。それとも、長年の仲だからだろうか。ともかく、結果的に桜空はその場から飛びのき、救護要員は手を引っ込めた。
「空音! 大丈夫!?」
「こっちの台詞! なんで桜空が心配するの」
桜空と空音は背中合わせに立つ。それは半ば本能的な行動、というよりは自然に形作られた警戒用の布陣だった。
「一応、なにがあったのか聞いてもいい?」
「救護要員が怪しい」
「……ふむほう?」
「俺……怪しいんですか?」
救護要員は首を傾げ、一歩踏み出す。二人はそれに伴って一歩下がった。
「して、その根拠は?」
桜空の質問に、空音は顔を向けずに答える。
「音、心音」
──そう、心音。ずっと忘れていたその音の正体は心音だった。他でもない怪物、ゲイザーの。
「たまたまにしては、ね」
学校で遭遇した奴も、今回遭遇した奴も、心音は同じだった。そして今、目の前にその音とまったく同じ心音を持つ者がいる。偶然にしてはあまりにもできすぎているではないか。
「杞憂ならそれでいいんだけど。でも、とりあえず誰か呼んだ方がいいと思う」
桜空はちらりと周囲の状況に想いを巡らせる。
現状、人員の配置はかなり分散している。守崎とメタセコイアの所在は不明、警備員は何人かいるものの、呼ぶには少し時間が掛かる。さきほどの空音の叫びに気づいてくれればあるいは面倒を回避できたかもしれないが、あいにくと怪我人の捜索中とあっては叫び声も当たり前の一部となってしまっている。
「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ。俺はただ……」
「黙って」
桜空の手に固く握られたそれが救護要員へ向けられた。
「……そんなもの、持ってたんだ」
「うん、護身用に」
それは、拳銃だった。銃口は黒光りする殺意を拡散させ、しかしそれでもってただ一人を、救護要員である男を威圧していた。
「待ってくださいって! そもそも理由もないのになんで俺が疑われなきゃいけないんですか!」
「なんで? なんでって当たり前じゃん」
桜空は開いた手で髪の毛をかきあげる。
「“空音がそう言ったから” それ以外に理由って必要?」
「……うわっ、信頼重たい」
「信じない方が良かった?」
「感謝してる」
「ならよ~し」
「だからっ、なんでソイツの言うことを信じて──」
救護要員は声を荒げた。当然だ。未だ空音は部外者、ぐうの音も出ない正論、しかし、今相手にしているのは──
「はい、アウト」
桜空は、なんでもないことのように銃口をわずかに上げ、引き金を引いた。回転し、直進する弾丸は、そのまま救護要員の肩に吸い込まれ──触手に、止められた。
「……狂ってるんですか? それとも、最初から確証が?」
服を突き破って伸びた触手を撫でると、救護要員の男は、桜空へ不思議そうな目線を向けた。その顔は先ほどまでの純朴そうな、困惑する青年とはかけ離れている。
「確証? さっき言ったでしょ」
「……はぁ、苦手な人種だ。理性を欠き、制御ができない」
トントン、と。額を叩くと救護要員だったはずの男は苛立ち気に首を振った。その身体は今や全体が脈打ち、服の下のなにかはうねうねと蠢いているようにも見える。
「これ、は……」
「俺はよく他人から、“デザイナー”と呼ばれます。あなたたちも、そう呼んでください」
「まあ、もっとも」とだけ男──デザイナーは言うと、指と指を打ち鳴らした。
「呼ぶ機会は、今回だけです」
空音が聴いたのは、頭上からするなにかがしなるような音だった。
「避けっ──」
咄嗟に、隣の桜空を抱えてその場から身を投げる。二人して床にがりがりと身を打ち付け、痛みに呻いた。
天井からは、醜い肉の塊が伸びていた。筋線維を無理くりに伸ばして繋げたような、そんな生々しく、にくにくしい棘が工場の床、鉄製のタイルを貫通しているのだ。
「避けるなよ」
デザイナーは両手を重ね合わせ、それを広げた。
「──《
床がうねり、目が、触手があらゆる器官が形作られていく。
「さあ、もう一度だ」
指が、パチンと鳴った。
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