音を聞く。④

 車の外に出る。砂利を踏む音と共に僅かに香るのは鉄のそれであり、工場地帯特有のものだ。


「おい、手伝え」

「あっ、はい」


 トランクから大きな黒いケースを降ろしたメタセコイアは、空音にそれをずいと突き出した。そして、自身はそれよりも一回り小さなケースを持つと、工場の入口に歩き出す。


 ケースはそこそこ重く、両手で持つしかない。しかもこれ、ちゃっかり重いほうを任せられているような。



 工場内には熱気と錆びの臭いが充満していた。思わずむせるほどの臭気を手でかき分ける。


「げほっ……」


 警備員らしいプロテクターをつけた人々、端末片手に作業を行う研究者らしい人々──全員、NRの社員なのか。

 オレンジのヘルメットを被った人々は、この工場の本来の作業員たちだろう。研究員たちにインタビューを受けており、そうでない人は所在なさげにコーヒーの空缶をいじくっている。


「……?」


 一瞬、聞き覚えのある音が聞こえた気がして、空音は立ち止まった。が、すぐにその音だったかもしれないなにかは蒸気と足音によってかき消される。


「……しっかりとついて来いよ」

「はっ、はい!」


 先行するメタセコイアを追って、奥へ。鉄の香りはすぐに消えた。なぜならばそれを覆い尽くしてもなお余りあるほどの臭いが漂ってきたからだ。血と、肉──。


「凄い臭い……」


 更に奥の奥、ビニールで封鎖された部屋に入ると、強烈な臭いが鼻を突いた。磯でなにかが腐っているような――


「ッ……」


「さぁて、お目見えだな」


 メタセコイアがビニールの手袋をはめる。空音はただ立ち尽くし、眼前の"それ"を見つめた。作業着姿の死体を割り、中から出てきている“それ”を。

 濁る巨大な眼球は虚空を見つめたまま動かず、四方に伸びる触手はくたりと力なく床に横たわっているものの、その姿は明らかに“常”から外れた理外のそれだった。

 空音の喉が勝手に唾を飲み込む。


 それは、悪夢の産物。音無 空音おとなし そらねという少女を魔法の世界へ導いた醜い案内役。

 ──触手の化け物、その死骸だった。


 ◇


「おい、それをよこせ」


 メタセコイアは近くの研究員からライトを奪い取ると、死骸を舐めまわすように観察し始める。ある種の抵抗はまったくないらしく、早くも表皮のサンプルを取り始めた彼女を、空音はぼうっと見つめていた。

 不思議と怖くなかった。動いていないからだろうか。


 ――「そーらね!」

「うひゃっ――」


 声と同時に、空音の背中に何者かがとびついてくる。正体はもう分かっていた。こんなタイミングで、こんなテンションで犬のように飛びついてくるのなんて一人しかいない。


「……桜空」


 振り返り、背後の桜空の頬を掴んでみょん、と伸ばす。


「ふぁれふぁらふぃれ……」


 もがもがと不明瞭な声を上げる桜空。その横には、苦笑いを浮かべる守崎がいた。


「……音無さん、愛されてるわね」

「……まあその、はい」


「博士に連れてこられた?」

「はい、えっと……マズかったですか」

「あなたが良いなら構わないんだけれど……ほら、なかなかショッキングでしょう? あれ」


 守崎は親指で化け物の死体を示して見せる。


「確かにその、インパクトというか……」

「そうよねぇ、まったく博士はこれだから」


 呆れたようにこめかみを抑え、死体をいじくり続けるメタセコイアに守崎は向かっていく。


「来たか、手伝え」


 メタセコイアは彼女のほうを向かず、ただハンディライトを手渡した。


「はいはい」


 切り裂いたらしい怪物の中身をライトで照らしながら守崎は、


「彼女、連れてきたんですね」

「ん? ああ、魔法少女のことか。軽い社会科見学にな」

「軽い……これが?」


 粘液で糸をひく肉の断面を見て、守崎は眉をしかめた。


「お前が言いたいこともわかる」


 ピンセットで何かを取り出しながら、メタセコイアは言う。


「だが――そうだな、彼女には早めに慣れてもらわねば」

「音無さんがを選ぶとは限りませんよ」

「どうせ監視はするだろう?」


 守崎は目をつむり、もう一度ため息を吐いた。


「否定はしません、ですが彼女はまだ――」

「お前はあいつに娘を重ねているのかもしれんが、あれはお前の娘じゃあないぞ」

「――」


 僅かに目を見開いた守崎はじっとメタセコイアを見つめる。いや、見つめるというより睨むのほうが近いか。

 が、当のメタセコイアは守崎のほうを見る気は一切ないらしく、相変わらず化け物の体内をいじくりまわすのみ。


「……それで、なにか判明しました?」


 諦めたように守崎が質問を投げかける。


「ああ、コイツはいわゆるゲイザーだ」


 守崎が手招きすると、桜空が端末片手に近づいてくる。空音も一緒に――ただし恐る恐るだ。


「ゲイザー?」

「ゲイザーはゲイザーだ。ビホルダーじゃあないほうだな」


 頭に“?”が浮かんだ空音は桜空のほうを見るが、それは桜空も同じらしい。


「えーっと、ビホ、ビホル……?」


 桜空のあいまいな台詞にメタセコイアはわざとらしく呆れて見せた。


「ビホルダー、コイツはゲイザーだ。どちらも創作物中の生物だ。出身がアナログかデジタルかの違いはあるが」


 ぬちょり、というなんとも言い難い音とともにゲイザーの死骸の中から臓器を取り出すと、続いてピンセットを持ち出す。


「うぇ……」


 桜空が舌を出し、少し遠ざかる。


「既存の生体を利用した改造──改変か。早期に作るならそっちのほうが早い。理にはかなっている、な」


 おおよそ人に伝える気があるとは思えない速度でまくしたてながら、メタセコイアは端末のキーパッドを叩き続けている。両目は顕微鏡覗き込んでいるというのに、今自分がなにを打っているのか分かるのだろうか?


「個人がゲイザーに対して持つイメージ、その解釈が練りこまれた独自の細胞増殖魔法式。これを作った奴は結構なやり手と見える」

「誰か特定できます?」

「もう少し時間をくれ、ただ――」


 メタセコイアは顕微鏡から目を離す。


「“神話起こしリミュトス”、だろうな」



 ──神話、伝承、その他一切合切の創作物に至るまで。その中に息づくありとあらゆる非実在生命は受肉を待っている。だから、自分たちが彼ら彼女らに肉体を与え、自由を、現実を生きるという救いを与えねばならない。


 そんな考えを根本に持つ組織が──


「それが、リミュトス?」

「そ、街中だろうとなんだろうと色々しでかす面倒な奴ら」

「アイツらにとって、非実在生物が先、人間は後。人側が順応すべき、なんだそうよ」


 顔を見合わせた桜空と森崎の苦々し気な表情を見るに、実際に面倒を掛けられたことがあったのだろう。


「そのリミュトスが……なんで?」


 なぜ、この場所なのだろう。リミュトスにとって人の都合は無視するなら、わざわざ工場の従業員を選んだりするものなのか?

 そして──


「……なんで、私の学校に」


 それが、最大の疑問。そもそもあの怪物は、メタセコイアによれば人の内側で造られた。ならばなぜウチの教師に──


「──」

「今の音は?」


 ガチャン、という音。恐らくは隣の部屋から聞こえてきたものだろう。


「隣にはなにが?」

「確か保護対象者を控えさせているはずですが……」


 警備員の答えに、守崎は眉をひそめた。


「なにか倒したんでしょうか」


 次に聞こえてきたのは、叫び声だった。そして、壁にドン、という衝撃が走ったのを最後に、隣からの音は消える。


 一瞬ののち、その場の誰もが、既に行動をとっていた。研究員は迅速に部屋の入口から離れ、警備員たちは反対に入口を固める。


「空音、こっち」


 桜空の手を取る。やらかい、暖かくて、包み込んでくる手だ。

 その手に従って、空音は少しずつ部屋の奥へ──


 ──大きな音が、上から──


「──上?」

「えっ」


 天井が、崩壊した。



 瓦礫が、コンクリートの礫が頭上から降ってくる。まるで星のように、空から堕ちる流星のように。空間という夜空を染める星だ。


「空音っ!」


 桜空の行動は早かった。自身の腰に括り付けたポーチを開き、そこから中身を素早く引き出す。


「──行け!」


 桜空の叫びに従って、ポーチから飛び出した何本ものリボンが空間を横断した。それらは壁から壁へと展開され、落ち来る天井の残骸を弾き飛ばす。そうでない数本は生存者を巻き取り、部屋の隅へと寄せた。


 守崎は、彼女は崩壊時点から他のことには目もくれず、ただ一点を見つめている。

 ただ一点、そうすなわち崩壊した天井のその先を。


 落下を続ける瓦礫の隙間から、ぬらぬらとした触手がその先を表す。巨大な胴体と、その大半を占める無感情な単眼──


「──ゲイザー」


 空音は呟き、茫然とその光景を見つめた。

 大きい、あの時のものよりも更に。視界の大半を覆うその姿は正に怪物。神話から出てきたと言われても疑うまい。


「こんな──」


 ぐいん、と。引っ張られる感覚。見れば桜空のリボンが空音の胴体に巻き付いていた。


「空音も! こっち!」


 桜空の額には汗がにじんでいた。心なしか顔色も悪く、荒い呼吸を繰り返している。


「ごめん、そろそろリボンを維持するのがキツくって」

「これが……桜空の──」


 これが、魔法か。


 既に十数本に達したリボンはそれぞれが独立して動作している。なるほど、魔法を扱うのに代償が必要なのかどうかは知りえないが、これらを同時に操作するのでは精神の消耗も著しいだろう。


 ならば、自分も彼女の負担を減らすために行動をしなければ。しかし──なにを?


「っ──」


 ふと、何かが頬を掠めた。微量の出血。私を仕留め損ねた触手は返し刀とでも言うべき動作で再び襲い掛かってくる。


「まっ……」


 咄嗟に頭を横にずらせば、よけきれなかったヘッドフォンが触手に粉砕された。間違いなく、触れちゃいけない類のものだ。


 触手が次々と天井から伸び、やたらめったらにあたりを駆けまわる。無差別、血を求めるかのような演舞。


「千尋さんっ、早く!」

「分かってるっ、わよ!」


 振り返れば、守崎は近代的な二振りの剣を手に大立ち回りを演じていた。


「博士も観てる暇があるなら何かしてもらえます!?」


 メタセコイアはそんな守崎の様子を見ながら大きな口を開け、あくびを一つ。


「そんくらい、アタシなしで捌けるだろうが」

「こんのっ、生意気怠惰!」


 守崎が怒りに任せて剣を振る。触手が切断され、断面の赤熱が肉をぐずぐずにするのを見届けると、守崎はそのまま後方に剣をぶん投げた。まっすぐに飛んだ剣は、今にも研究員の一人を貫かんとしている触手を壁に縫い留める。


「こんなザコに手間取るとは……お前も随分と歳を取ったな」

「さっきからうるっさい! 引きこもりロリババァ!」

「……眼球の中心から右に3センチ、45°」

「それを先にっ──」


 森崎は未だ手にある二本目の剣でもって辺りの触手を薙ぎ払うと、それを逆手に持ち替え、思い切り──


「──言ってくださいッ!」


 投擲された剣は触手の隙間を通り抜け、ゲイザーの眼球中心部辺りに突き刺さった。


「博士っ!」


 守崎がメタセコイアを抱きかかえ、退避すると同時に、ゲイザーは人の悲鳴とも金属の軋みともつかない声を上げながら暴れまわり始める。


「ちょちょちょっと! 当たる当たる当たるっ!」

「千尋さんっ! 毎回毎回“とりあえず”でトドメ刺すのやめっててば!」

「……なんでもいいが、とりあえずアタシを盾にするのをやめろ」


 緊張感のない会話。今の状況とどこか噛み合っていないものを感じながら、空音はわちゃわちゃする三人を苦笑いで見つめた。

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