音を聞く。③
「目玉、触手──肌の色はなんて言ってたっけ」
「茶色……かな。乾いた土みたいな質感だったと思う」
質問に答えるたび、桜空は手元のパッド端末を淀みなく操作していく。
「うん、うん……うーん。データベースに該当なし。類似が2003年に一件」
「担当者は?」
守崎の質問に、桜空は若干を眉をひそめた。
「それが……」
「もうその反応で3択ぐらいまで絞れたわよ……で、どれ?」
「……千尋さんが一番知ってて、一番会いたくないほう」
守崎は天を仰ぐと、大げさに額に手を当てる。そしてそのまま深く深くため息をついた。
「あの……いったい──」
事態を飲み込み切れていない空音の言葉を遮って、守崎は部屋の扉を開ける。
「行きたくないけど……行きましょうか」
「えっと、行くっていったいどこに……?」
苦々し気な笑みと共に、守崎は、
「変人屋敷よ」
そう、のたまった。
◇
「今から会うのは、NR内でも相当な知識と技術を持った人よ」
無限にも思えるほど下降を続けるエレベーターの中で、守崎が言った。
「本人の人格周りを除けば、引く手数多の人材と言えるでしょうね」
「……噂じゃ、その人格のせいで、引く手が無いって話」
ぼそり、と桜空が耳元でつけ足す。
空音は嫌な予感を感じ始めていた。桜空が噂だけでこの対応……噂だけとはいえ、どこまで変人──いや、それを越えて怪人なのだろうか。
エレベーターが開くと、ツリーハウスとは打って変わって閉鎖的な廊下が三人を待ち受けていた。前を歩く守崎に先導されて二人はそこを歩み始める。
「桜空もここ来るの初めて……かも」
桜空が少し警戒気味に呟いた。
「倉庫だもの、早々用事なんて生まれるものじゃないわ」
空音の嫌な予感は確信に変わり始めている。こんなところにいるような人間がマトモさを持っているわけがない。
「さあ、ここよ」
守崎が立ち止まったのは、他のもの同様、鉄製の無機質な扉の前だった。扉のノブには札がぶら下がっており、そこにはたった一言、乱暴な殴り書きが。
“睡眠中、入るな”
「入っていいんですか、これ」
「いつものことだもの」
呆れたようにそれだけ言い放って、守崎はノブを回した。
部屋の広さはおそらく、一般的な学校の教室ほど。ただし、所狭しと置かれた雑品によってスペースはかなり圧迫されている。
明かりは薄ぼんやりと光を発する裸電球のみ。天井から垂れさがるそれを空音が軽くはじくと、電球は点滅と共にジジジッとセミの断末魔のような音を立てた。
「うわぁ、なにこれ……」
桜空が机の上のガラス瓶を持ち上げて見れば、なにかの生肉のようなものがミチミチに詰まっていた。それは瓶の中でぬぞんっ、と蠢く。
「さて、と……」
守崎がスマートフォンのライトで薄暗い部屋を照らす中、空音は床の書類を避けながらあてもなく部屋の中を見回した。
『多元宇宙論』『呪術成立による人への影響』『胡蝶の夢の証明』。そんな胡散臭い文字列が並ぶ紙束を足で軽く退けると、ふと、部屋の隅のこんもりと盛り上がった山に目が行く。
どうやら布団やらクッションやらで構成されたものらしく、それらは平等に、しかしぐちゃぐちゃに折り重なっていた。と――
もぞり、と山が動く。
「!?」
掛け布団とイルカ型のクッション、その隙間から飛び出したのは人間の手だった。その手はあたりの空間を少しまさぐり、力尽きたようにぐったりと伸びる。
「あー、そこね」
守崎はこともなげにそう言い、山に近づくと重なった掛け布団を引きはがした。続いて中に詰まっていたクッション類を掻きだす。
「――ほら、起きてください博士」
守崎が最後の敷布団を一枚取り払うと──そこに居たのは、背の低い少女だった。
「聞こえてますか、メタセコイア博士!」
――メタセコイア。本名なのだろうか。
「……う"ぇ、あ"ぁ……誰かと思えば……千尋か」
くすんだ抹茶色の髪の毛は驚くほどの癖と量を誇っており、ぐねぐねと、まるで荒れ切った海の波をそのまま停止させたかのようにうねっている。瞳に光はなく、その下の濃いくまは明らかな不健康の証として機能していた。
「……あたしの睡眠時間を……どういうつもりだ……」
見た目にそぐわぬ不遜な態度を取る彼女は、緩慢な足取りで山の跡地から這い出ると、そこらの帽子掛けから大きな魔女帽を取って頭にのせ、最後にローブを羽織り、三人の顔を見渡した。
「……なんだ、見ない顔のガキが二人もいるな」
◇
メタセコイア。それが名前だという背の低い不遜な少女は、心底面倒だとでも言いたげに長い前髪をいじくった。
「はい博士、お茶」
守崎が彼女にお茶を手渡す。このお茶は、雑貨で埋まっていた台所を発掘して淹れたものだ。
「扉に札がかかっていたはずだが」
ずず、とお茶を一口すすると、そう言ってメタセコイアが睨む。が、守崎はどうやら微塵も気にしていないようで、
「逆に、札がかかっていない時があるんですか?」
「……ふん」
今、3+1人は部屋の中心を無理やり開けて生み出した空間に座っている。座るとメタセコイアの小ささがより際立ち、その言動とのミスマッチさが強調されるようだった。
「……おい、そこの小娘」
「え、はいっ、ごめんなさい」
唐突にメタセコイアが空音を指さす。心でも読まれたかと慌てる空音だが、彼女は不思議そうな顔で、
「なんだ、お前は悪いことをしていないうちから謝るのか。変わってるな」
「……守崎さん? 桜空、見るの初めてなんだけど、この人が本当に?」
桜が小声で訴えかけると、守崎も小声で肯定の旨を伝える。
「ええ、メタセコイア博士よ。ちんまりしているけど」
「……背丈が小さいと便利だ。狭いスペースで眠れる」
二人を睨むと、メタセコイアはまたお茶を一口飲んだ。
「それで、何の用だ。こっちは睡眠不足なんだよ」
「あ、じゃあ映像を――」
桜空がタブレット端末を取り出す。
「……」
しばらく桜空の目線が端末とメタセコイアをいったり来たりしたかと思うと――
「よいしょ」
桜空はメタセコイアの身体を持ち上げ、自身の膝に座らせた。そして改めて端末の電源を入れる。
「……おい、なにをしてる」
「さ、見ようね~」
「……おい、アタシは園児かなにかか」
「……どこからどう見ても」
面白がるように守崎が呟いた。メタセコイアは逃れようと暴れるが――
「おいこのっ……離せっ! この……力、強いなッ……」
「引きこもってるから筋肉が衰えているだけでしょうに」
「五月蠅いっ、アタシは頭脳労働担当なんだよっ……コイツ、本当に離す気無いな!?」
「はーい、大人しくしよ、ね?」
「ぐぐぐ……おい、少しは敬いを――」
「守崎さんを見てて、”あ、こういう対応でいいんだなぁ”って」
「おい、部下に悪影響が出てるぞ……この年増」
ああ、桜空のコミュニケーションの犠牲がまた一人……と思ったのもつかの間、メタセコイアの一言で守崎の顔に青筋が浮かんだ。
「……年増ァ!?」
「そうだろうが、40代」
「40……ヨンジュウ……ああ、つい最近まで学生だったはずなのに……」
ふらふらと、守崎はうわごとを漏らしながら部屋内を徘徊し始めてしまった。一方のメタセコイアは桜空の膝の上から逃れようともがき、桜空はそんなメタセコイアをぬいぐるみがごとく扱う。
……どうすればいいんだ。これ。
取り残された空音は、この先も続くであろう混沌を思って一人肩を落とした。
◇
「結論から言ってしまえば」
映像を見終わったメタセコイアは、桜空の腕から脱すると、そこらのガラクタ山を漁る。そして、そこからひっぱりだしてきたミニお絵かきボード──磁力で消したりできるあれだ──をばしばしと叩きながら言った。
「確定なのは一つ、これが人為的な現象であるということだな」
「人為的……」
いつの間にか徘徊から復活した守崎が、ひょっこりと声を漏らす。
「ああ、恐らくは、だが」
あくびを一つして、メタセコイアはお絵かきボードになにかしらを書き始める。
「破裂した死体の映像じゃあなんとも言い難いが──人の身体を内側から組み替えるか設計図と同期させたんだろう」
人の絵から化け物が這い出る図解を描き終わった次の瞬間に消しながら、“自然発生ならああいう抜け殻は綺麗に残らん” と彼女は続けた。
「でも……」
「なんのために、そう言いたいんだろう。小娘」
桜空が頷くと、メタセコイアはその場でおもむろに横になる。
「わからん」
「え」
「確定的なことは以上だ。あとは続報待ちだな……じゃあたしは寝る」
メタセコイアはそう言い放ち、周囲の毛布をかき集め、その中に潜ろうとする。そんな彼女の背中に、守崎が一言。
「――新しい魔法少女、出ましたよ」
「……なに?」
ずるずると這い出してきたメタセコイアが、毛布山のてっぺんに被せてあった大きな魔女帽を再び頭に乗せた。
「……どこの誰だ。特性は? どういうきっかけで――……待て、お前か」
メタセコイアの指が空音をまっすぐに刺した。
「お前だけ明らかに浮いている。お前が魔法少女か」
「ええ、そうです。彼女の分析と健康診断をお願いしたくて――」
「すぐやろう、こっちだ」
空音は一度守崎のほうを見る。彼女はにっこり微笑んだ。
「興味ある対象は丁重に扱ってくれるわ。……割と、だけれど。その間私たちは――」
「はーい! 私は被害者――というか、怪物化した人たちの足取り調査してくるね」
「……作戦内容を話していい、と言った憶えはないのだけれど」
「え、だって空音もチームに入るんだよね、千尋さん」
「えっ――と」
空音は再び守崎のほうを見る。今度は彼女は笑わなかった。ほんの一瞬だけ、だが。
「その話は後にしましょう、ひとまず私たちは仕事を。それじゃあ博士、お願いしますね」
「お願いされたが、機材が足らん。これらを一式用意してもらう」
メタセコイアの手渡したメモを見た守崎は苦笑しながら、
「またこんな高価なものばかり……はいはい、それじゃあツリーハウスの64番に運び込んでおきます」
「なに?」
メタセコイアが不機嫌そうに眉を上げる。
「なぜここに運ばない」
「暗い、狭い。こんな場所で被験者を扱って、精神不安を招いたらどうするんです?」
「……うん? それも……まぁ、そうか」
……扱いなれている。
◇
ツリーハウスの中層に存在する部屋。“64”と記されたその扉を開けると、ごちゃごちゃと床を這うコードが目を引いた。
「来たか、そこに座れ。魔法少女」
部屋の中心。椅子と長机が隅に寄せられて作られた空間には、椅子がひとつだけ鎮座している。
「痛みはないはずだ。少しばかり脈と概念属性、それと波紋残滓の有無を調べさせてもらう」
「……えっと」
空音は恐る恐る椅子に座ると、所在なさげにあちこちを目を泳がせた。メタセコイアはというと、手元の端末やら椅子を取り囲む機械類を操作している。当然言葉はない。空音も、コミュニケーションに明るいほうではないため、お互いにそうだ。
……気まずい。
「これを付けろ」
空音に背を向けたまま、メタセコイアが投げてきたのは黒いシートだった。見た目的には腕に巻くもの……なのだろうか。
「おい、さっさと……もういい」
メタセコイアは口をへの字に曲げ、無言で空音の腕にシートを巻きつける。
「じゃ、検査を始めるぞ。しばらくじっとしてろ」
ふわり、と床から飛び立った数基の小型ドローンが、謎の光を空音に浴びせかける。数分後、それらが再び床に転がるころ、メタセコイアはようやく端末から顔を上げた。
「終わりだ。楽にしろ」
それだけ言うと、メタセコイアは再びタブレット端末に目を落としてしまう。
「質問はあるか」
空音に目すら向けず、ぶっきらぼうな言葉。
質問。したいことは沢山ある。それこそ数えきれない。けれど、うん、質問──
「魔法少女って、なんなんですか」
空音の口から出たのは、今最も大きい懸念事項。
魔法については、外殻だけではあるものの、教えられた。では、魔法少女とは?
最初、魔法少女とは魔法を扱える個人を指す言葉なのだと思っていた。だが──
──『魔法をもって魔法の悪用を阻止──警察的な感じ!! ……だよね?』
──『そんな桜空も魔法少女! ……ではないけど魔法関連のサポートをちょこっと』
桜空の台詞にのっとれば、魔法を扱う者=魔法少女では、どうやらないらしい。いや、空音が気になるのは本当はそこではないのだ。
──つまり、私は、“なに”になった?
「……」
メタセコイアは、タブレットから顔を上げた。その目はじっと、空音を見つめる。
「お前、魔法を知ってどれくらいになる」
「き、今日です……知ったの」
この人、こんなに他人を見つめる人だったんだ。という驚きと困惑の中、メタセコイアは大きく大きく息を吐く。
「ふぅ……まったく、本当にこれは“まったく”案件だぞ」
メタセコイアは眉を顰め、
「悪いな、アイツ──千尋はお前をこっち側へ引き込みたくないらしい」
「……こっち側、ですか」
「とはいえ説明不足にもほどがある。よって、アタシが特別講義をしてやろう」
“なにより、こんなに素晴らしい
◇
「魔法少女とはなにか。この質問に答えられる人間は恐らくこの世界にいない」
「……」
メタセコイアの特別講義は、静かに始まった。それはいくつかの寄り道を経て、しかし簡潔に述べられる。
一つ、魔法少女とは、既存のそれから逸脱した魔法を扱う者である。
二つ、魔法少女へと至る経緯は不明であり、そうなる人間に法則性も見当たらない。
三つ、魔法少女は──
「魔法少女は、明らかに異常だ。我々が知るどんな魔法からも逸脱している。根源的な法則を見つけたがゆえだとも言われているな」
「……根源的な法則を、見つけた?」
「この世界を支配するなんらかの法則。我々人類が求めてやまない神の領域だ」
薄く、メタセコイアが微笑む。ざわり、と。空音の胸の内を波紋が広がっていく。
あの時──自身が魔法少女となっていたとき。私は、なにを見つけ、なにを為したのだろう。
「心当たりは──ないだろうな」
「その、分かりません。当時の記憶もおぼろげで、あの力をもう一度、というのも難しくて」
メタセコイアは再びタブレット端末に目を落とした。
「あの……魔法少女って、人間なんでしょうか」
「その答えには二通りある。片方は“YES”で、もう片方は“NO”だ」
「……?」
端末からもう一度顔を上げ、メタセコイアは続ける。
「魔法少女とそうでない者を分けるのは、その力を除けば異常な眼球の光輪と、空間へ波紋を発生させるかどうかだ」
“故に”
「故に、お前が信じたいほうを信じるといい。人か、人でないか」
「──」
空音はしばらく呆気にとられ、口をぽかんと開けてしまった。てっきり、この人は自分になんらかの答えを。少なくとも断定的な意見をくれると思っていたのだ。
「……」
続きなどない。メタセコイアは“話は終わった”と言わんばかりに端末を操作している。
段々と意識に冷たさが戻ってくる。同時にそれは冷静と平静の再来であり、再考の合図でもあった。
考えてみれば、なぜ自分は人であることにこだわっていたのだろう。ひとえに、自身の力が恐ろしいからだ。あの時、目玉の化け物へ自身が放ったものは明確な殺意と、破壊をもたらした。そんな力を自身が持つことが怖いからだ。
なぜ、銃が恐ろしいのか。それは他人が持っているからでも、人を簡単に殺せるからもでない。自身が持ったとき、ふとした拍子に引き金を引きそうだから恐ろしい。銃そのものよりも、それを持った自分が恐ろしいのだ。この力も、魔法少女も同じ。
もし、引き金に指をかけたとき、私は、押し込むことを我慢できるのだろうか。
「──おい、魔法少女」
「──えっ、あっ、はい!」
唐突に、思考は中断された。深みに潜ろうとしていた意識は一気にアンカーで表層へ引き上げられる。
「アイツらがなにかを見つけたらしい」
メタセコイアがこちらに掲げるタブレットの画面に記されるはメッセージの “差出人:守崎” の文字。
「アタシが呼ばれている。お前も来い」
「私も、ですか?」
「ああ、アイツは嫌がるだろうが、社会見学だ」
メタセコイアはそれだけ言うと、部屋を出ようとして──振り返り、一言。
「そうだ。魔法少女、お前、グロテスクなものに耐性はあるか?」
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