音を聞く。②

 チカチカと瞬く光に照らされ、空音はゆっくりと目を開けた。白に白を塗り重ねた天井が照明を更に反射して目に痛い。

 なぜだかとても喉が渇いている。半ば無意識のままベッドから降りた空音は、ここが我が家ではないことに気が付いた。


 ふと見れば自身の右手首に巻かれた黒いマジックテープのなにかがあり、そこから更に伸びたケーブルがベッドの傍の液晶に繋がっている。乱暴にそれを剥がすと、脈拍を示す数値が0になった。


「病院……?」


 果たして病院に窓のない病室などあるものなのだろうか。

 どこか肌寒い患者衣を一瞥し、空音は部屋の外に出ようと──


「……あれ」


 扉が開かない。

 加速する思考の明瞭化に伴って、空音の中で一つの疑念が頭をもたげ始めた。すなわち、自分は閉じ込められているのではないだろうか。


 思えば、ヘッドフォンも耳栓もないのに周囲の音が全く聞こえない。いつもの自身の聴力ならば、並みの壁なんて意味を為さないはずなのに。

 つまり、この部屋を覆う壁は相当の厚さをもっているか、音を遮断する素材で造られていることになる。


「……」


 部屋にあるのはさっきまで自身が寝ていたベッド、ベッドのそばの機器、あとはすべて真っ白な壁と床と天井──そして。


 天井の隅を占領している小さなスピーカーとカメラ。


『──調子はどう? 頭痛や吐き気はないかしら』


 スピーカーが突然、女性の声を吐きだした。空音はカメラに目線を向けたまま、


「私、監禁されてるんですか」

『ごめんなさいね、確認が終わったらすぐに出れるから』


 空音の台詞に、スピーカーの声は寸分の遅れもなく返して見せた。なるほど、どこかにマイクがあるのだろう。


 心は不思議なほど平静を保っていた。なぜかはわからない。警戒と混乱と不安が渦巻くから、最後の二つをそのままそっくり汲み上げたみたいだ。空音はふとそんなことを思った。


 数分の沈黙ののち、扉から電子音が鳴る。それから少し遅れてスピーカーが再び声を吐き始めた。


『それじゃあ外へ。大丈夫、危害は加えないから』


 扉が開いたその途端に、空音の中に音が溢れだす。いくつものうるさい電子音、繰り返される何人もの息遣い。……ああ、“いつも”に戻ったんだ。


 部屋の外には、何人かの研究員らしき人々が待機していた。似たような顔立ちのその男たちは、終始無言のまま椅子に座るように促してくる。

 大人しくそこに腰を下ろすと、続いて現れたのは赤髪の女性だった。もはや紫に近いほど濃い赤を揺らしながら、その女性は空音のほうへ、ペットボトルを差し出す。


「ごめんなさいね、怖かったでしょう?」


 スーツ姿の彼女が手渡してくれたペットボトルの天然水を有難く頂戴した空音は、それを一気に飲み干した。想像以上に喉が渇いていたらしく、ペットボトルはあっという間にになった。


「軽い検査を――血を取ったりするけどすぐ終わるから」


「チクッとしますよ」

「は、はい」


 研究員らしい男の一人がやっと発話したかと思うと、彼は空音の二の腕に注射器の針を優しく刺し入れた。みるみるうちに注射器内は赤い液体に満たされる。

 黒スーツの女性のほうをちらりと見れば、彼女は空音をじっと見つめていた。と、どうやらその視線に気づいたらしく、女性は柔和な笑顔を浮かべる。


「私の名前は守崎 千尋もりさき ちひろ、よろしくね」


 空音は軽く会釈をした。


「えっと、終わりました。検査結果は追々で」


 研究員の一人がおどおど言うと、守崎と名乗った女性は軽く微笑む。


「ありがとう、もういいわよ」

「た、助かります」


 と、途端に、微笑んだ男以外の研究員たちの動きが止まった。そのままだんだんとその身体は服をも含めて白く染まり、ついにはぼろぼろと崩れ、空気へ溶けていく。


「そ、それでは、失礼しました」


 最後に残った男が去っていくと、そこには唖然とする空音と守崎のみが残された。


「彼、人見知りなの」

「え……え? い、今、なにが──」


 守崎はそれには答えず立ち上がると、


「それじゃ、行きましょうか」


 ◇


 元通りの衣服を身に着け、いつもの如くヘッドフォンをつける。部屋を出るとそこは──


「──な、なん──」


 空中の、回廊だった。


「ツリーハウスって呼ばれてるの、なかなかオシャレでしょ」


 巨大な吹き抜けの中、いくつものガラス張りの小部屋が空中にせり出し、ぶら下がり、中には吹き抜けの中心に完全に浮かんでいるものさえ存在する。それらは蜘蛛の巣状に張り巡らされた階段や通路によってつながり、それぞれが独立して存在していた。


 今、自身が出てきたのもそんな空間に浮かぶ小部屋の一つに過ぎないのだと理解する。脳が同時に理解を拒む。“こんなものが、現実にあり得るわけがない” と悲鳴を上げる。


「──既存の法則から外れた、新たなこの世界のルール。理解できないすべての事象を総じて"魔法"と。私たちはそう呼んでるの」


 後ろから守崎の声。しかし空音はそれに返事すらできない。

 上下左右、縦横無尽に張り巡らされた通路を何人もの人が歩いているのが見えた。吹き抜けの底から、空音のいる高度を通り越して更に上へと続くエレベーターが昇っていくのが見えた。

 まるで、不可思議なトリックアートをそっくりそのまま現実に持ち出したような、そんな“あり得なさ”が、実在を共存なしえていた。


「さ、行きましょうか。驚くのは多分これからになるわよ?」



 ツリーハウスの部屋と部屋を繋ぐ通路、そこを歩き続けながら守崎は言葉を続ける。


「自然発火からテレポーテーション。思考盗聴に精神操作みたいな、実在するかすら怪しいオカルト。これらもすべて魔法の枠の中に入るものよ」

「……実在、するんですか」

「う~ん。まあ、そこそこの率で、ね?」

「そこそこ……」


 点在するガラス張りの小部屋は中身が見えるような構造になっていた。

 ある部屋では、研究員がフラスコに小さな石を入れ、そのフラスコから大量の泡が吐き出されていた。

 また別の部屋の中では頭が3つある犬が研究員と戯れ、そのまた別の部屋では宙を舞う水晶片を見てなにかを書きとる人々がいた。


 すべてが未知で、すべてが既存の事象から外れている。これが──魔法か。


「あなたは、そんな魔法を駆る者──魔法少女になったの」

「魔法、少女……」


「到着よ。ここが目的地」


 守崎が立ち止まったのは他と何も変わらぬ小部屋の一つだった。その部屋はさきほどの数々とは違い、くもり加工のガラスがその向こう側を見通すのを拒否していた。


「どうぞ、開けて」

「え、中にはなにが――」

「それはお楽しみってことにしましょう、本人たっての希望だもの」

「……本人?」


 恐る恐るドアノブを回し、引く。

 部屋の中は何の変哲もない会議室の様相を呈していた。長机とパイプ椅子、大きなホワイトボード。そして――対面に座る人物。


 ――桃色の髪が揺れ、白兎のように赤い瞳が空音を捉えた瞬間跳ねた。

 立ち上がったその少女は空音に片手を差し出す。空音は――


「──桜空?」


「やっほー空音!!!」

「うわわっ……」


 少女が空音に飛びつく。その身体を支えきれず、二人はまとめてそのまま床に倒れこんだ。


「……こーら、飛びついたら危ないわよ」

「だって千尋さん、我慢できるわけないって!」

「まるで好物を前にした犬みたいね……」


 半ばあきれ顔で倒れた少女の顔を覗き込むと、守崎はため息をついた。


 空音は目を白黒させながら状況を飲み込めずにいた。なぜなら目の前の彼女は、空音にとってひどく見慣れたものであったからだ。


 綾瀬 桜空あやせ さくら。幼いころからの腐れ縁にしてお隣さん。いうなれば幼馴染である。そんな彼女がなぜ──


「ほら、彼女、大混乱よ?」


 守崎の腕に引かれ、立ち上がった空音は改めて自らの幼馴染の全身を眺めた。記憶の通りの姿、記憶の通りの言動、そこでようやく認識が追いつく、つまり彼女は。


「そんな桜空も魔法少女! ……ではないけど魔法関連のサポートをちょこっと」


「い、いつから?」


 最初に出てきた言葉はそれだった。守崎と桜空は顔を見合わせ、


「えと、何年前だっけ?」

「2年と少し……? 3年にはいかないくらいだったような気がするけれど」

「え、じゃあずっと秘密で?」

「うん、放課後とかに……もしかして秘密にしてたこと、怒ってる?」


 ……2年と少し前。ちょうど彼女と疎遠になりはじめた時期と一致する。なるほど、再三言っていた放課後の用事とは、これのことか。


「ごめんねぇ!!!」

「ちょっ……」


 すぐさま飛びついてくる癖はきっといつになっても変わらないんだろう。

 ……変わってほしいというわけじゃ、ないけれど。


「大丈夫、怒ってないから」


 ようやくひねり出した台詞。桜空はその言葉に、空音にうずめていた顔を上げる。


「ほんと……?」

「怒らないって」


 桜空を引きはがし、椅子に座らせる。そもそも怒る理由がないし、正直に言われていたとしても冗談だと思っただろう。

 こうして実際に体験しなければ信じることなんてできるはずがない。


 一つ腑に落ちると、脳は次の納得を求め始めた。空音は守崎のほうを向き、


「ここ、いったいなんなんですか。組織? それとも──」

「あっ、その疑問は私から!!」


 意気揚々と椅子から立ち上がった桜空は、少し沈黙したのち、もう一度椅子に座った。どうやら立ち上がる必要が無いことに気づいたらしい。

 ……勢いで行動するところもあまり変わっていないようだ。 


「空音、魔法って信じる?」


 魔法。古今東西の創作物によって使い減らされ、すり減ったその概念を私は既に目にして──いや、この身をもって味わっている。


「前までなら……信じなかったよ」

「私は、私たちはNRの魔法調停部門の職員なんだ」


 ──NR──New Rules

 広告を大々的に打ち出さないその会社は、“世界に新たなルールを作る” の標語のもと、提供する数々の技術革新によってその名を世に知らしめてきた。医学、薬学、工学と分野を問わないそれらの技術は今も世の中を、世界を支え続けている。


「NRの提供する技術、その約半数は魔法によるもの。なにを世に出し、なにを秘匿するか。この国の魔法最大勢力としてそれをある程度コントロールする義務がある。……っていうのがお上の考えなの」


 守崎はそっと天井を指さすと、言った。


「魔法をもって魔法の悪用を阻止──警察的な感じ!! ……だよね?」

「まあ……間違ってはないわね。結果的にそういう役割を為している。というだけだけれど」


 ──幼馴染はいつの間にか会社員になっていた。それも、魔法とかいう訳の分からないものを扱う部門の。



「温かいお茶、よかったらいかが?」

「ありがとうございます」


 紙コップから立つ湯気に唇が触れる。


「空音ー、お菓子食べる?」

「ありがと、でも大丈夫」


 やっと、理解が情報に追いつき始めたと感じる。

 空音は唇をわずかに湿らせ、ゆっくりと息を吐いた。


「さて」


 守崎が手拍子を鳴らした。


「ここまで話したのは、手伝ってもらいたいからよ。音無 空音さん」


 守崎が端末を操作すると、部屋の四方を構成していたガラスがくもり具合を強め、光を完全に遮断した。感心する空音を他所に、ホワイトボードに映像が投影される。


 それは、彼女が意識を失う最後の光景、空音にとっての“当たり前”が変質することになった場所──学校の廊下だ。


「これって……」

「あなたが魔法少女として覚醒した現場、校舎の二階ね」


 壁と天井と床。その三面に赤とピンクの液体とゲル状の何かが飛散って模様を描いている。その光景に一瞬怖気を覚えた空音は思わず両肩を震わせた。


「分析結果として上がって来たのを見るに……うん、人を構成している物質のみが検出……と」


 声を一トーン落とし、真面目モードになった桜空が、手にしたファイルを元にポインターで画像を示して見せる。


「空音、その……色々と急すぎてごめん。でも学校にカメラなんてないし、私たちもなにがなんだか分かってなくて……」

「分かっているのは、恐らくこれが魔法による事象であるというその一点だけ。あなたが見て、聞いたことをできる限り教えてもらえると助かるわ」


 守崎はそこまで言うと、一旦言葉を止め、


「……無理だけはしないで。具合が悪くなったらすぐ言ってね」


「──」


 思い出せるのは、巨大な目玉、それらを囲む触手とザラザラの肌、血と悲鳴と──


「っ……」

「空音!?」


 思わず頭を抑えた空音に、桜空が飛び寄る。空音はそれをやんわりと拒むと、顔を上げた。


「分かり……ました。思い出せることでいいのなら」

「助かるわ、それじゃ──」


 気になる。どうしてあんな怪物が学校に、それも人の中から現れたのか。

 そして、この会社は、組織は、どういった場所なのか。それを見極めたい。

 なによりも、あのとき味わった感覚はいったい。魔法少女とはなんなのだろう。


 疑問は尽きない。ならば、今いる“この場所N R”を使って、それらを解決して見せよう。空音はゆっくりと、その場で思い返せる限りの記憶を最初から掘り起こし始めた。

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