2.Ordinary → Extraordinary

「遅いですよ、あんちゃん!」


 未だ力無く横たわるあずを抱き起こしながら白い髪の少女― マリン=アンブローズは、肩に担いでいた両手剣の切っ先を地面に打ち下ろして仁王立ちする紫紺の髪の女性、狩場かりば あんへ口を尖らせて言った。


「ごめんなさい、今日は日直だったから」


 杏は、眠そうだが、鋭く光る眼光を目前の敵であろう何者かへ向けながら、抑揚のない声で背中に向けて言い返す。

 

「いや、あのメールの内容で日直の仕事を優先しないでくださいよ!?」


 とっさにマリンは状況にそぐわない呑気な彼女の回答へ右手でツッコミを入れた。


「先に頼まれた依頼だったから…。以後気をつける」


 表情を変えずに杏は呟くと、地面に立てていた両手剣を片手で・・・切り上げた。

 耳腔を撫でる不愉快な金属音が響き、火花が一瞬辺りを照らす。


 それは、本当に刹那とも呼べる瞬間で、そこまで大きく明るくもなかったが、暗闇の中照らし出されたアルアイネと杏の視線は互いに交錯した。

 アンバーの金瞳と深い藍色の瞳が絡み合ったのは一秒にも満たなかっただろう。すぐ後には、杏は眉間に力を込めて、跳ね上げた獲物を両の手で握り直すと、間髪入れずに地面へ向けて凄まじい勢いで叩きつけた。

 

 しかし、アルアイネは、小さくバックステップして一撃を交わす。

 とにかく最小限で、ぎりぎりのタイミングで実行された動作は、先程まで彼が居た場所を砕く位の重量を持つ杏の両手剣の、致命的な隙を生む。


 幾度となく、くぐり抜けてきた修羅場によって培われた経験則が、アルアイネにそう告げている。

 後は、いつもの様にその隙を突いて、無慈悲にガラ空きの喉元へ自分の短剣を突き立てるだけで、終わりだ。

 

「悪い、な…!?」


 ―― そのはずだった。


 その、はずであったが、彼は慌てて杏へ目掛けて突き出そうとした腕を引き留め、前傾になりかけた上体を無理やり後方へ捻った。

 すると、彼の直前の空間を、杏の両手剣の剣身が轟音を上げて通過する。


 今度は大きく飛び退いたアルアイネは、思わず目を見開く。

 信じられない事に、杏は、自分の身の丈ほどもある長大な刀剣を片手で軽々と振り回しているではないか。


 袈裟、左薙ぎ、切り上げ、刺突。

 まるで小型の台風かの如く、馬鹿げた速度で次々と繰り出される剣戟に、背中を冷たい汗が伝うのを感じると同時に、彼の脳裏をある名がよぎる。

 アルアイネは、思わずその名を口から零した。


「キャメロットの騎士が一人、円卓のガウェイン」


 再び頭上から襲う致死の太刀筋を躱したアルアイネは、無表情で両手剣をバトンの様にくるくると回し、肩の高さで止めた後、切っ先を自分の心臓へ向ける杏を苦々し気に仰ぎ見た。

 その表情は本当に微かにすら変化しておらず、感情の機微は一切感じ取れない。


 アルアイネ自身、後ろ暗い商売を生業としており、感情のコントロールに関する訓練はそれなりに積んできていると自負している。

 そんな彼ですら、機械の様に変わり映えせず淡々と剣を振るう彼女の表情には、えも言えないうすら寒さを感じた。


 ―― マビノギオンを収集する、謎の組織、【キャメロットの騎士】。

 教授プロフェッサーから、その厄介な存在の事は聞いていた。


 中でも、特に警戒すべき円卓の名を冠する騎士たち。

 人の力を逸脱した特殊な能力と、戦闘能力を持つ、非常に面倒な相手である。


 加えて、キャメロットの騎士を統べ導くと言われる、魔術師。

 先程から聖杯サングリアを取り込んだ少年を腕に抱いたまま動きを見せないが、彼女はルーン魔術を行使する。

 正面から相対さざるえないこの状況で、常軌を逸した膂力で暴れまわる眼前の女を、魔術師を警戒しながら相手するのは大分骨が折れる。


 潮時か。

 折角お目当てのモノを見つけたというのに、今日は星のめぐりが悪い。

 アルアイネは、杏の後ろで少年を抱きかかえるマリンの表情をわずかに窺うと、暗闇に溶け込む様に姿を消した。


「逃げた。よかったの、マリン?」


「取り敢えずは、問題ありません、杏ちゃん。それよりも、こちらの梓さんの方ですね」


 マリンは、徐々に温もりを帯び始めた梓の上体を支えながら、目を伏せ思案を巡らす。

 先程の暗殺者ヒットマンに貫かれた心臓の傷は信じられない事に、既に塞がっていた。


 マビノギオン・【聖杯サングリア】が伝承の通りであれば、それも十分理解できる。

 だが、まさかそれを取り込むとは思いもよらなかった。


 過去、マビノギオンと融合したという事例は確かにいくつもある。

 けれども、それは大抵がマビノギオンと強いえにしを持っていたり、特殊な異能を持っていた場合がほとんどで、梓の様に一見ただの高校生が、特に力の強い聖杯サングリアをその身に宿すなど…。


「だめですね、情報が少なすぎます。モーガンに診てもらいますか」


 マリンは、纏まらない思考をいったん中断すると、ポケットからスマートフォンを取り出して手早くメールを打ち始めた。

 暫くマリンの姿を眺めていたが、手持無沙汰な杏は、肩に担いでいた両手剣を足元に突き刺し、それに寄り掛かる。


 マリンは画面をスワイプする指を止めて杏の姿を見た後、ところどころヒビたり砕け散った舗装路へ目をやると、渋い表情を浮かべて深くため息をひとつつき、打ちかけのメールの文面にいくつかの事項を追加したのだった。



■■■■



 ―― ピピピ…ピピピピピ…!


 けたたましく、頭上のデジタル時計が今すぐ目覚めよと耳障りな電子音を繰り返し叫ぶ。

 彼は、手探りで時計を探り当てると、頭の突起を叩いた。


 少々頭がぼうっとして今一すっきりしないが、そうして目覚ましの音を止めて、おもむろに時計を見る。

 午前七時十五分。

 いつもの登校準備を始めなければならない時間である。

 

 梓は手早く寝間着を脱いでクローゼットの中の、ベージュのチェック柄のズボンを履き、少ししわの付いたワイシャツへ袖を通して、紺色のブレザーを掴むと、洗面所へ向かった。

 寝癖の付いた頭へ霧吹き状の寝癖直しを振りかけ、くしでなでつける。


 それから、顔を洗うと、少し頭が鮮明になり回転を始めた。

 そうすると、唐突にある光景と疑問が頭に浮かんだ。


 白いワンピースの少女と、黒スーツの男、それから、筆舌に耐えがたい激痛――。

 梓は自分の胸の中心を恐る恐る撫でる。

 

 が、そこには傷ひとつなく、何の変哲も無いいつもの彼があるだけだった。

 あの光景は夢だったのだろうか?


 思い出そうにも、霞がかったようで今一鮮明さに欠ける。夢だったと言われれば、そうだと思うし、違うと言われれば、そうかもしれない。

 うーんと梓はうなり、首をひねる。


「あ、やば!」


 洗面所の小さなアナログ時計が指し示す七時三十分の針を見た梓は、現実であり間違いなくこのままでは直面してしまうであろう遅刻という未来を避けるため、慌てて朝食の準備をしにリビングに駆けていった。



* * *



 彼、龍頭りゅうず あずの両親は、共に考古学を専攻する学者で、彼が中学校二年生の頃から欧州へ出張中だった。

 だので、一人暮らしの彼は炊事・洗濯等基本的な家の仕事も自分でやる必要がある。

 

 仕事を優先し息子を一人残していった両親に、初めの頃は不満もあった。

 だが最近は、全部を自分でやらなければならない日ごろの生活は確かに結構大変ではあるのだけれど、気ままな一人暮らしも存外悪くないものだなと感じている。


 梓は、洗面所を出て玄関に続く廊下を小走りに進み、二、三メートル先の右手の扉を開く。

 その先は、リビングとダイニング、それからキッチンのある、いわゆるLDKの部屋があった。


 今日の朝食は何にしよう?

 そう言えば、食パンが何枚かまだ残っていたはずだから、時間も無いしトーストにでもしようか…そんな事を考えながら部屋へと足を踏み入れた瞬間、甘い卵のにおいが彼の鼻腔をくすぐった。


 そして、同時に、白雪の様な純白の髪をポニーテールにした、幼さと大人びた雰囲気が同居した、目鼻立ちの整ったルビーの瞳の少女が目に飛び込んできた。


 彼女は、梓に気付くと軽妙に言う。


「おはようございます、梓さん、ようやく起きたんですね。朝ごはんは、拙作ながらフレンチトーストを準備しました」


「…君は」


 梓は、無意識に身構えた。

 頭の霞は徐々に晴れていき、やがて鮮明に昨晩の出来事が再生された。


 梓は、思わず胸を押さえる。

 しかし、少女はそんな彼へ柔和な笑みを向けると、ダイニングテーブルの椅子の一つを引いて、丁寧に座る様に促す。


「まぁ、まぁ、冷めてしまうとおいしくないですし、学校にも遅れてしまいます。とりあえず、いただきましょう?」


「いや、どう言う事?そもそもなんで君が家に?て言うか、一体君は?」


「おっと、そう言えば自己紹介してませんでしたね」


 少女は、わざとらしくおどけた様子で肩をすくめた。

 それからスカートの裾を両手でつまんで少し上げ、左足を少し引いて小さく体を上下させた。


「私は、マリン=アンブローズと申します。さ、朝ごはんを召し上がれ。それに、このままでは学校に遅れてしまいますよ」


「いや、説明に…!」


 疑問に一つも答えない少女、マリンの回答に苛立ちを覚えた梓は、詰問しようと口を開こうとしたが、彼女の人差し指によって塞がれた。

 マリンは、上目遣いで続けて、そうして梓の耳元へ囁くように言う。


「放課後、改めて私のもとにいらっしゃい」


 奥には何があるか窺い知れない深い赤い瞳が艶やかに光り、サーモンピンクの唇がなまめかしく動いた。

 そのしぐさは、外見からは想像もできない程に妖艶で、大人の女性というものを妄想させるには充分だった。

 

 ほのかに香るバラの様な甘いけれど、どこか透明感のあるさわやかな匂いは、その雰囲気をより一層引き立てており、梓は顔を真っ赤にして硬直すると、彼女の言われるまま、ダイニングの椅子に大人しく座った。


「フフ…それに学生の本分は、何より、勉学ですしね」


 思考は止まったままの彼だったが、取り敢えず、口にしたフレンチトーストはとんでもなく美味しいと思った。



* * *



 梓の通う県立葉守高等学校は、彼の住む住宅地から歩いて十五分くらいの位置にあった。

 隣接する、昨晩不可思議な出来事が起きた総合公園と道路を挟んで向かい側だ。


 高校を通り過ぎて向こう側には、十年ほど前に出来た、都心へつながる路線の駅がある。

 その駅には、昨今関東圏で店舗を拡大している大型のショッピングモールが隣接しており、週末ともなれば買い物客でごった返していた。


 葉守市内の外れにあるこれと言って特色のない普通の学校だが、不思議と周囲の環境には大変恵まれている。

 そんな、変哲の無い高校の校門は、登校中の学生たちの挨拶でにぎわっている。


 梓は、高校の名前が書かれたプレートがはめられた片側の門の前に立つ、遅刻者を取り締まるジャージ姿の体育教師へ会釈をして、校舎の方へ足を向けた。


「りゅ、龍頭君、お、おはよう…」


 校門をくぐって直ぐ、梓は、か細い声をかけられた。

 聞き覚えのある、小さいが透き通ったガラスのような声の方へ顔を向けると、予想通り、彼の肩くらいの身長の、前髪で両目を隠した女の子が居た。


 彼女は、生名いくな はく

 クラスの隣の席に座っている女子で、非常におとなしく、特定のグループに混ざることも無く結構一人でいる事が多いのだが、礼儀正しく、よく登校時や下校時など事ある毎に声をかけてくれていた。


 人付き合いのあまり得意でない梓にとってすれば非常にありがたく、入学から中々他のクラスメイトに声をかけられないうちにある程度のグループができてしまい猶更その輪に入れなくなっていた彼は、柏と自然と友達と呼べる関係となっていたのだった。


「あ、おはよう」


 梓も、柏へ挨拶を返し、にっこりと微笑む。

 柏は、それを見るなり嬉しそうに俯いた。


「…」


 しばらくお互いに黙ったまま、歩みを進め、下駄箱の前で上履きへ履き替えていると、柏は梓の顔を見つめ、なにか言いたげな表情を浮かべた。


「何?どうしたの、生名さん」


 押し黙ったままの柏へ不思議そうに聞き返す梓。

 やがて、柏は無言で小動物のように頭をプルプル振ると、口を開いた。


「き、今日は英語の小テストがある、けど、勉強してきた?」


「…あ」


「私、ある程度予習してきたから、英語は二限目だし、す、少しでもやっとこう?」


 両手を顔の前で合わせて感謝の言葉を繰り返す梓を、微笑ましく思いながら笑った柏は、あれはたわいのない夢だよね、と独言ひとりごちて、足早に教室へ向かう彼の背中を追いかけた。

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マビノギオン 藤芳 @go4480

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