マビノギオン
藤芳
Chapter1 ― Holy Grail ―
1.It's all of a sudden
その石は、きれいな立方体で、不思議なことに中心が仄かに輝いていた。
何の変哲も無い、いつもの通学路の途中にある川べりに転がっていたそれを見つけた彼は、嬉しそうにほほ笑み、大切にポケットにしまい込んだ。
きっと、特別な何かがあるわけでもない、ただの石。
しかし、少年のこころをときめかせるには充分であった。
この現実は、きっと彼が時折思い描くようなことなどは特になく、日々淡々と過ぎ去っていくものであるはずだし、それは彼も理解している。
けれども、大好きな物語の主人公たちが手にする宝物を発見したような高揚感と、少々の緊張感を感じながら彼は、慎重に辺りを窺うと、再び家路についたのだった。
―― ポケットの中の石は、僅かに輝きを増していた。
* * *
県立
そこは、葉守市内の外れにある高校で、県下随一の進学校…と言うわけでもない普通の学校である。
特色を上げるとすれば、すぐ向かいに大きな公園があるのと、大型のショッピングモールが隣接した都心直通の路線駅が近い、東京と茨城へ向かう常磐高速道路の乗り口まで車で十分ほど、と本当に学校に関係のない事ばかり。
そんな平々凡々な高校に通うショートマッシュの黒髪、中肉中背のやや中性的な相貌の少年、
放課後、特に部活動に入っていないし、やや人付き合いが苦手だった梓は、高校と道路を一つ挟んで隣接する葉守総合公園の中をのんびりと散策しながら家路に着くのを入学してからの日課にしていた。
おおよそ某ドーム十個分ほどの広さがあるこの公園は、葉守市の緑・スポーツ・文化の拠点として整備が進められているらしい。
公園の中には、散歩に最適な遊歩道だけではなく、野球場や野外ステージ、総合競技場、ボート乗り場、バーベキュー場、アスレチック、植物園、体育館と言った施設に、茶室なんてものまである。
因みに、春には桜が咲き誇り、花見会場としても結構有名だったりする。
今は、桜の代わりに、木々が青々とした若葉を生い茂らせ、初夏に向かうさわやかな空気が辺りを包んでいる。
日中は家族連れやジョギングにいそしむ人、芝生で遊ぶ子供たちなど様々な人たちでにぎわっているが、いささか梓にとっては騒がしく感じられた。
だので、彼はそんな公園の、やや日も落ち始め、どこか物悲しい雰囲気を醸し出す午後17時以降が、人気もまばらになるし、下校時間とも若干リンクする事から散歩には絶好の機会と考えていた。
ちょっとした野球場位あるのではないかと思える位広い芝生を囲うように敷設された舗装路を、日没が近づきオレンジ色から徐々に濃い青色に染まっていく幻想的な空を眺めながら、のんびりと歩く。
不意に、冷たい風がほほを撫で、身震いした梓は、まだ新しい学ランの上着のポケットに手を突っ込んだ。
と、ポケットの中に入れていた何かに指が当たり、それをつまみ上げると目の高さに掲げた。
「あ、持ってきちゃってたのか」
何故か捨てられず、ほぼお守り同然に保管していたおおよそ三センチメートル四方の立方体の石。
最近はすっかり忘れて机の奥にしまい込んでいたそれは、不自然なほどに正確な形で、中心辺りが仄かに金色に輝いている。
昔は、UFOやネッシーとか超常現象の類をありえない事だと考えつつもどこか存在に期待をしていた。今ポケットの中にある石は、もしかしたらそんなありえないけれどロマン溢れる事象かもしれない。
偉大な自然の営みにより形作られたもので、きっと期待するような特別なんてないし、他愛の無いものである、そう分かってはいても万が一を信じてしまいたくなる雰囲気がそれにはあった。
だもので、それ関係の書籍やWeb等々を熱心に調べたり、色々な様式がごっちゃになった謎儀式を行ったりして、調査という名目のはたから見れば中二病全開の行動を繰り返した。が、結局何の変哲も無いただの石であることが分かっただけで、彼が妄想するような一切が起ることなどなかった。
そんな、やや気恥ずかしい石にまつわる思い出を回想しながら梓は微笑んだ。
「変な石だな、ほんとに」
摘まみ上げた石を指先でコロコロと弄びながら、梓は改めて凝視した。
と、不意に彼は、何かに気付いた。
今まで微かに光っていた石の中心部分が若干強くなったような気がした。
何かの見間違いではないかと、彼は双眸を細めもう一度確認する。
今まで、こんな事は一度だって起きた事は無かったのだ。
注意深く、光を確認するとそれは目の錯覚などではなく、明らかに先程よりも輝きを増している。
しかも、加速度的に。
燃え上がる炎の様に激しく輝き始めた石から目を逸らした彼は、思わず石を手放し、後退る。
そうして、二、三歩距離を置き、改めて状況を確認しようと石に目を向けるも、その目を疑った。
まばゆい金色に包まれた石は、先程梓が掲げた高さと何一つ変わらない位置でゆっくりと回転しているではないか。
「嘘でしょ」
到底現実とは思えない光景に、梓は独り言ち、目を伏せつつも無意識に手を伸ばす。
「…
唐突に響く幼い声に、石を握る直前の手を、梓は反射的にひっこめ、その声のした方、ちょうど自分の背後へ振り返った。
視線の先には、腰まで伸びた雪のように白い髪に、長いまつ毛の下でルビーの如くきらめく赤い瞳が特徴的な美少女が、髪の毛と同じ色のシンプルなワンピースといういでたちで、片手を腰に、もう片方の手をびしっと梓に向けていた。
少女は、そのままの体勢でツカツカと石の方へ歩み寄ると、面倒臭げに立ち尽くす梓を押し除け良く通る高音で毒づいた。
「ちょっとどいてくれますか?…けれど、なんでこんな所に
全く視線を合わせないまま、早口で捲し立てる少女に気圧される梓は、しどろもどろに答える。
「あ、ボクは、この近くの高校の生徒で、龍頭 梓で、す。」
「梓さんですか、わかりました。で、この石どこで?どうやって起動を?」
けして高くない身長の梓の肩くらいの背の少女は、梓の胸ぐらを乱暴に掴み梓の顔を引き寄せる。眉間に皺を寄せ、睨め付ける美しい少女の容姿に頬を赤くしながら目を逸らし、問いに答える。
「この石はずいぶん昔に拾って、すっかり忘れてたんだけど、上着のポケットに入ってて、取り出したら突然光り始めて…」
「具体的な術式も知らずに、
「あの?」
胸ぐらを掴んでいた手を放し顎に当てると、ぶつぶつとつぶやきながら思案にふける彼女は、梓の答えに何を返すわけでもなく自分の世界に入り込んだ。
「えー…と…」
思わず放置された梓は、苦笑いを浮かべながら気まずそうに鼻の頭を掻き、目をうっすらと閉じますます思考の海へと潜って行く眼下の少女を眺めると、取り敢えず、しばらく待ってみることにしたのだった。
* * *
「うん、分からないけど、一先ず、確保することにしましょう」
大体二十分くらい経った頃だろうか、少女は突然頷き、その様なセリフを吐くとワンピースのポケットからスマートフォンを取り出すと誰かにメールでもしているのだろうか、手慣れた手つきでフリックを繰り返す。
梓からは彼女のスマートフォンの画面は確認できなかったので、実際の所はわからないが、器用に片手で操作を行い、タップ・本体側面の電源ボタンを華麗に押すと、ポケットに筐体を滑り込ませ、少女は顔を上げた。
「恐らく、当該のマビノギオンの停止方法は分からないと思いますし、私にも不明ですので、現状維持のまま搬送します。サングリアの機能はまだ謎が多く、どの様な危険があるか分かりませんので、決して手は触れない様にしてください。輸送用の封印を持たせた応援が約十分少々で到着しますので、それまで待機で」
いいですね、と少女は続けた。
「あ、うん。…じゃなくて、一体これは何なんだ?君は何か知ってるみたいだけど…?」
やはり一息に説明を行う少女にあっけにとられながらも、梓は少女に質問を返す。
「現時点では、あまり詳しい事をお伝えする事は出来ません」
少女はぴしゃりと言い放つとそれきり口をつぐんだ。
梓は、その突き放してそれっきりな、乱暴な言い方に微かな苛立ちを感じ、続けて問いかけようと口火を切ろうとしたが、二人のすぐ傍で先刻より変わらず空中でゆっくりと浮遊している金色の石の向こう側から、唐突にかけられた声がそれを遮った。
「キャメロットの騎士の魔術師が先に嗅ぎつけているとはな」
いつの間にか、日は完全に落ち、辺りは夜の闇に包まれていた。
夜間にあまり利用者のいない公園は、街灯もまばらで、梓と少女の周囲には金色に光る石以外の光源は見当たらない。そんな暗闇からわずかな気配も無く、ぬるりと、黒いスーツに身を包んだ何者かが姿を現した。
あまりに前触れの無い登場に、梓は目を見開いた。
驚きで声にすらならない。
恐らく声色から男であろう彼が、何時からそこにいたのかすら分からなかった。
「誰ですか!?」
そこからは、スローモーションに感じた。
眉根を寄せ、声の方向を向く少女。
暗がりで多分笑った男、そして右手に閃く刃渡り20㎝程あろう白刃。
予備動作なく一瞬で少女の前に躍り出る。
踏み出す。
言葉にならない絶叫を上げて。
そして、男は小さく舌打ちした。
「梓さん!!」
数瞬後、気が付くと梓は少女の前に跪いていた。みぞおちの辺りが焼けるように熱い。
梓はキョトンとしながら口を動かしたが、苦い金属みたいな味の液体がこみ上げてくるだけで言葉はついぞ紡がれなかった。
それから、続いて筆舌に耐えがたい激痛が彼を襲い、全身の力が急速に抜けてゆく。
駆け寄ってくる少女の手が届く前に、梓は糸の切れた操り人形の様に、うつぶせに倒れる。
ただ、痛い、苦しいという感情が頭の中を支配し、徐々に視界が霞がかってゆく。
少女が何かしら自分に向かって叫んでいる姿が見えた気がしたが、直ぐに彼の意識はぶつ切れになった。
* * *
―― ポケットの中の石は、溢れ出るくらい強い輝きを放っていた。
茜色に染まる河原にたたずむ梓は、一人の女性と向かい合っている。
眉毛の上で切りそろえられた前髪が特徴的な艶のある紫紺色の髪をボブカットに纏めた、少し眠たそうな目だが整った目鼻たちを持つ、彼と同じくらいか少し上の年頃の女性。
彼女は大人びた慈愛に満ちた笑みを浮かべると、梓の手を取り呟いた。
「あなたは、死なせない。なぜなら、ようやく会えたのだから」
女性が静かに両目を閉じ、何かを口ずさむと、ポケットの中の石の光が奔流となり、梓を包み込む。
やがて、光は徐々に梓の体の中心辺りに集まってゆき、消えた。
* * *
「聖杯を取り込んだ?」
漂うだけの光る石がいきなり閃光を放ったかと思った矢先、それは眼下に倒れ伏す少年の体に吸い込まれ消えた。
ただの高校生かと侮っていたが、しかし中々、まさか自分の一撃を防がれるとは思いもよらなかった。
アルアイネ=リーンは鮮血が滴る獲物を一振りし、胸元から取り出した紙で拭うと、射貫くように倒れた少年の傍らで腰を落としこちらを燃えるような瞳で睨む少女に再び狙いを定める。
が、アルアイネが次の行動を起こすよりも早く、少女は、指を鳴らし、早口で唱えた。
「
すると、氷の刃が少女の眼前にいくつも発生し、凄まじい勢いで正面に向かって飛来する。
アルアイネは、仕方なく距離を開け、襲い来る氷をたたき落とした。
返す刃で続き来る第二波を同じように防ぐと、そこで一旦攻撃は止んだようだ。
この程度で、妨害したとでも?
アルアイネは疑問に感じながらも、この一瞬の好機を逃すまいと利き足に力を込める。おおよそ距離にして五,六メートル程度。詰めるのは彼の力をもってすれば容易だ。
だが、少女はニヤリと口角を上げた。
その表情を見たアルアイネは、忌々し気に大きく舌を打ち鳴らしていた。
直後、轟音が響き渡り、彼と少女の間に爆発したかのような土煙が噴出する。
もうもうと立ち上る煙はゆっくりと晴れていき、その後には、へこんだ地面と、その中心で身の丈と同じ程もある両手剣を肩に担ぎ、こちらに鋭利な眼光を向ける紫紺の髪の若い女が立っていた。
「お待たせ」
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