第5話


 その子はナイフをすっと空気に差し込んだように見えた。それが本当かどうかはわからない。だって啓介は、瞬きしてしまったから。


 でも、オニヤンマがそのナイフで作った隙間に飛んでいくのはよく見えた。不思議なことだと思う前に、啓介の好奇心がまた大きな翼を携えて湧き上がった。


 いがぐり頭の子は、啓介を心の底から馬鹿にしたように見るのに、隙間に消えたオニヤンマへは愛情のたっぷりこもった優しい目を向けた。啓介はあの虫の絵を描いたのはやっぱりこの子だと確信しながら、それでも好奇心には勝てずに『ハテナ』を減らすために口を開く。


「ねえ! 今のどうやってやったの!」


「どうって——」


「ボクにもできる?」


 ついうっかり、ママと話すみたいに気を許していつもの話し方になってしまった。学校とかじぃじの家とか、そういうところでは絶対に『ボク』なんて言わない。


 啓介はパチンと手のひらで口を抑えた。それなのにその子はそんなことまったく気にしていない。もう塞がってしまった隙間を眺めて、眉と眉の間に皺を作っている。


 オニヤンマに許したのはその子のはずなのに、それをものすごく後悔しているみたいに見えた。それがわかったのは、啓介が優しい男の子だからだ。学校でも、『うるさいだけでつまんない』と一括りされる男の子たちと違って、女の子たちから特別扱いの評価を受けている。


「おい」


 女の子のくせにちょっとだけ偉そうないがぐり頭の子は、啓介を新しいウィルスみたいに何か言いたげにじろじろを眺め回した。正直に言うと、居心地はあんまりよくなかった。その子の視線はトゲトゲしていて、啓介の皮膚に突き刺さるみたいにちくちくした。


「おい、お前」


 返事をしないから、というわけではない。その子はじっくりと観察するための時間を作るためにそう繰り返したのだと、どうしてか啓介にははっきりわかっていた。


 そして、トゲトゲした視線を少しだけやめて、ニヤリと笑った。でも相変わらず、啓介を馬鹿にしたような目で眺めている。


「そんなに魂を膨らませて、何を心配しているんだ?」


 その言葉——魂を膨らませて、という意味は啓介には理解できなかった。だけど心配ごとはあった。もう何日も何日も考えていることだった。


 うん、と頷いた啓介は、その子に言うことが当たり前だというように心の中を打ち明けた。


「あのね、ばぁばが死んじゃった。死んじゃったらどこへ行くんだろうって、ボクね、ずーっと考えてるんだ」




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