第2話
部屋へと一歩を踏み入れたデゼル。
瞬間、その視界に光の暴力が叩き付けられる事となった。
「ッ~~~~~!?」
まるで暗がりから出て、真昼の太陽を見上げたかのような光の奔流にランタンと櫂をそれぞれの手に持っている事も忘れて、デゼルは腕で顔を庇ってしまう。
金属の囲い越しにランタンの熱が軽く火傷しそうな程度には自己主張してくるが、視界の暴力がその腕を下す事を許してくれないのだ。
時間にしておよそ五分。デゼルは部屋に踏み込んだ位置から動く事が出来なかった。
光が収まった、というよりも光に目が慣れてきたところでデゼルは漸く両腕を抑える事が出来た。顔の左側、というか首筋辺りがヒリヒリと痛むが、今の彼にそれを気にしている余裕は無い。
「太陽、じゃねぇな。照明か?……にしても、眩しいな」
ランタンの火を落として腰に提げ、右手を庇に天井を見上げるデゼル。
踏み込んだ部屋は広かった。それこそ数十人規模でゆったりと過ごせるような直方体型の真っ白な部屋。
もうお腹一杯になりそうな状況だが、この部屋の中央にあった巨大な機械が思考放棄を許さない。
幾つもの太いチューブや電線コードが下の方に接続された円筒がそびえており、その周囲を囲むようにして幾つもの機会が配置されている。
それは宛ら、光に引かれる蛾の様に。デゼルは警戒を無くしはしなかったが、それでも機械の元へと近づいていく。
そして、機械との距離が3メトラ程になった所で、事態は動く。
「ッ!」
咄嗟に両手で櫂を構えるデゼルの前で、円筒が突然白い煙を吐き始めたのだ。
そこでふと、彼は気付く。目の間の円筒はその大きさからして人一人入るには十分な大きさなのではないだろうか、と。
彼が考察している間にも、機械は動き続けている。
周りの機械が不規則な光の点滅を繰り返し、そして中央にあった円筒がゆっくりとだが下へと降りてきたのだ。
そして、
「!女の子!?」
左右に開いた円筒の正面と、その開いた部分より零れ落ちる金糸。
その姿を確認するかしないか、といった所でデゼルは咄嗟に前へと駆け出していた。得物である櫂すらも放り出して。
滑り込む様にして駆け込んだデゼルの腕の中におさまったのは、金の髪をした白い肌の少女だった。
その容姿だが、纏っている衣類もデゼルには見覚えのないもの。
白く、纏う人間の体格に大きく余白を持たせるような上下一体型の一張羅。首、手首、足首の辺りには金属の輪のようなものが見受けられたが、その輪の内側には傍目から見ても分かるようなクッション性のある塊が詰められており、皮膚と擦れ合うことは無いらしい。
腕の中の少女を観察していたデゼルだが、この間にその観察対象となっていた少女は目を覚ます。
まるで、蒼天からそのまま削り出してはめ込んだかのような、鮮やかなブルーが光の下に晒され、僅かに揺れるとアンバーと向かい合う。
「あな、たは……」
少女の口から零れた言葉。だが、それ以上は紡がれることは無い。気絶してしまったからだ。
服のせいか、見た目以上に重い少女だがデゼルにしてみればそれほど苦になるものではない。
問題なのは、この後だ。
腕の中で眉間に薄っすらと皺を寄せる彼女は、明らかな厄ネタ。連れて行けば、まず間違いなく面倒を呼び込むことになるだろう。
かといって、ここに放置する訳にもいかない。というのも、彼女が出てきた円筒含めて、機械は既に完全に沈黙しており、それどころか部屋を照らしていた光源も徐々にだがその太陽にも勝るかもしれない明るさを落とし始めている。
あと十分とかからずに、この部屋は暗闇に飲み込まれる事になるだろう。そもそも、この遺物自体もいつまでこうして砂の海から顔を出していられるか分からない。
「はぁ……」
だから、選択肢がある様に見えて無かったデゼルは、一つだけため息を吐き出すのだった。
*
揺れる、揺れる、世界が揺れる
かつて潤っていた世界は渇きによってその姿を大きく変えた
『水』は沈み、そして『砂』がやって来る
*
乾いたニオイ。吸い込むだけでも喉の奥がカラカラに乾いてしまいそうな砂のニオイが混じる空気が、少女の意識を暗闇より引き上げる。
ぼやけていた視界のピントが合い、最初に少女が認識した情報は木材による粗末さすらも感じるような天井と、それから時折感じる揺れだった。
自分が何故、こんな場所に寝かされているのか。寝起きで惚けてしまった彼女の頭は思考が上手く纏まらない。
代わりに、体は沁みついた癖に基づいて動く。具体的には、粗末な寝台から身を起こすという形で。
室内は薄暗い。寝台が置かれているのは部屋の最奥であり、木製の床が敷かれた部屋には重厚な天板の机や簡素な椅子。机の上にはボロボロになった紙切れのようなものが置かれ飛ばないように、文鎮が乗せられその他にも雑貨の類が転がっている。
その他にも、少女には見た事のない品々が幾つもこの部屋には揃っていた。
そんな部屋の出入り口は、ただの扉ではなく上へ向かうための木製の階段。その行く先は蓋が被せられ、室内は薄暗い。
ぼんやりと少女が室内を眺める間に、気付けば揺れは止まっていた。
誰かが歩く音が、少女の頭上から聞こえてきて、やがて階段近くで止まる。
蓋が軋みを上げて引き上げられ、薄暗かった部屋に燦々と照り付ける日差しが注ぎ込まれてきた。
「起きたか」
そして、日差しを受けながら階段を下って来るのは一人の青年。
「あ、ケホッ!コホッ!」
「まー、待て、落ち着け。まずはこっちだ」
話しかけようとしてむせる少女に、彼は腰から下げた革袋の水筒を取り外すと、あまり近付かないようにして寝台に身を起こしている少女の太もも辺りに放り投げる。
チャプリ、と軽い音がして収まった革袋を青年を交互に見る少女。
「水だ。心配しなくても……そもそも、言葉、通じてるか?」
「ッ、ッ!」
何度もうなずく少女は、次いで太ももに乗った革袋へと手を伸ばす。
飲み口が馴染みのないものであったから少しばかり四苦八苦していたが、栓を抜く事に気付けば後は流れで。
カラカラに渇ききっていた喉に、水分が染み渡る。口の端から飲み切れなかった分が溢れるが、しかし渇いた体はそんな事気にも留めない。
革袋の中身が四分の一程度無くなった所で、少女は飲み口より口を離した。
「……はぁ……ありがとう、ございます……」
「良い飲みっぷりだったな……さて」
机の側に転がっていた椅子を引きずって、彼は寝台の近くに腰を落ち着ける。
「初めまして、で良いか。あの時はろくに話せなかったし」
「あの時……?」
「忘れてるのなら、良い。俺は、デゼルだ。この船で旅をしながら商人の真似事をしてる」
「デゼル……だ?」
「デゼル、で終わり。まあ、色々と質問はあるんだが、まずはお前の名前を聞かせてもらえないか?」
「名前?」
「お前が何であんな所に居たのか、とか。あの遺物は何なのか、とか。そもそも遺物と関係あるのか、とか。疑問はある。だけどな、やっぱりこれから会話しようと思う相手なら、まずは呼び方だ。別に、本名じゃなくても良い。あだ名、通り名、仮称、何なら
そう言って、デゼルはひらりと手を振った。
彼の言葉に嘘はない。この場における“名前”というのは一種の記号であり、会話というコミュニケーションツールをより円滑にするための注油のようなものだ。
だから、その名前に正解不正解は無い。
「……リリアナ=ガロファーノ」
少しの間をおいて少女、リリアナはそう名乗った。
「リリアナ=ガロファーノ……んじゃあ、リリアナって呼ぶけど良いか?」
「うん」
「良し。それじゃあ、リリアナ。まずは、着替え……いや、女物の服はこの船には無かったな。荷にも積んでないし……」
「服?……アルトラの事?」
「アル……?何だソレ」
「貴方が服って言ったコレの事。正しくは、外装式耐圧耐熱防護層。長くて複雑だから鎧、という意味のアルトラって呼ばれてたの」
「はー……成程……で、結局その白いのは服、なのか?」
「服であって、服じゃない……かしらね。少し待って」
そう言うと、リリアナは寝台から立ち上がろうとする。咄嗟に、デゼルが補助に動こうとしたが、存外彼女の足は確りと床を捉え揺らぐことも無い。
そうして、彼女は左の袖口に触れた。
瞬間、アルトラと呼ばれた白の一張羅から白い煙が噴き出し、空気の抜けるような音と、それから金属の外れる音が響く。
まるで蛹から羽化する蝶のように。現れるのは、群青色の乙女の姿。
青を基調とした七分袖のワンピースの様な服に薄手の白のポンチョ。ワンピースの腰の辺りで絞るような太めの黒いベルト。更に両手にはオープンフィンガーの黒い手袋でそれぞれの指の付け根辺りに金属製の輪が見受けられた。足元はローファーだ。
「どう?」
「うん?まあ、良く似合ってるんじゃないか?」
「そっか。気に入ってたんだ、コレ」
裾がふわりと軽く上がる程度にターンをするリリアナの表情には喜色が見て取れる。
一方で、椅子に座り直したデゼルもまた、目の前の少女の観察を続けていた。
仕立ての良い服だ。生地が薄いようにも見えるが、その実かなり丈夫であり、尚且つ高い。商人としての彼の目は、その服一式でかなり大きな邸宅を手に入れる事が出来るだろうと当たりを付けていた。もっとも、そんな事を実行する気は毛頭ないが。
「んじゃ、話の続きといこうか。リリアナは、何であそこに居たんだ?」
「……そう言うデゼルは、何であそこに居たの?」
「俺か?……まあ、あの規模の遺物が砂上に顔を出しているのは珍しいからな。興味本位で足を踏み込んで、って感じだ」
「いぶつ……って?」
「遺物は、先史時代の代物さ……何となくだが、まずはリリアナ。お前に現状の把握をしてもらった方が良い気がしてきた」
「……」
「動けるか?無理そうなら抱えるが……まあ、とにかくついてきな」
そう言って、椅子から立ち上がったデゼル。寝台に腰掛けていたリリアナは、そこで改めて彼の服装を見ることになる。
シンプルだ。それでいて、彼女の知る伝統衣装、特に砂漠などの乾燥地帯に対応した風通しが良く、日光を防げる、そんな格好。
兎にも角にも立ち上がって、リリアナは先導するデゼルの背についていき、階段を上って部屋を出た。
「ッ……」
彼女を出迎えるのは、乾いた風。それから、そろそろ地平線に没するであろう真っ赤な太陽。
そして、一面に広がる砂の海。
「こ、れって……」
絶句。辛うじて絞り出した言葉は、しかしそれ以上の文章にはならない。
口元を抑えて、目を見開いた彼女を、しかしデゼルからは声を掛ける事はしなかった。
納得というのは、自分でしなければならないものだ。誰かの口からもたらされる納得は大なり小なりのしこりを生む。
もしかすると、彼女は受け止めきれずにその心を壊してしまうかもしれない。しれないが、そうなったとしてもデゼルは受け入れるつもりだった。それが、あの場所から彼女を連れてきた自分の責任であると思うから。
果たして、どれ程時間が経っただろうか。沈むまで猶予のあった太陽は、既に地平線の彼方から僅かに赤い光を伸ばすのみで、反対からは夜の帳と共に星が煌めき始め、青白い月が顔を覗かせようとしている。
未だに呆然としていたリリアナ。そんな彼女を引き戻したのは、ふんわりとした感触と突然の視界の封鎖。
慌てて手を動かせば、それは毛布だった。自然と頭から被って顔を出すような格好となった彼女の側では、デゼルが石を削って作られた持ち運びも考慮して持ち手の付いた炉を設置し、その中で火を起こしている処。木製の甲板で危険にも思えるが、ソレはソレ。旅を続ける彼にとっては慣れたものだ。
炉の形状的に甲板に直接腰を下ろす事になるのだが、まあその辺りは旅をするうえで致し方ない事だろう。
いそいそとそのまま夕食の準備を進めるデゼルと、炉の側に腰を下ろして膝を丸めて顔をうずめ毛布を被ったリリアナ。
静かな時間だ。砂の海の夜は、オアシスにでも居ない限りどうしたって星や月を相棒にして静かに過ごすものだった。
炉の上に置いた金網。その上に更に使い込まれた鍋を置いて、デゼルは中身をゆっくりとかき回していく。
調理用のスプーン。木製のソレで掬われた鍋の中身は、半透明のスープだった。具材は、ジャガイモ、玉ねぎ、干し肉。味付けはシンプルな塩。
スープが完成したところで、デゼルは食材と一緒に持ってきた手のひら大のハード系の丸いパンを金網に乗せた。
砂の海、もとい砂漠の夜というのは急激に気温が下がっていく。これは放射冷却によって地表に溜まっていた熱が夜間になって急激に失われてしまうためだ。温度差は、場所によっては20度とも40度とも。
慣れているデゼルは何ともないが、リリアナはそうではない。
「……くしゅんっ!」
くしゃみと一緒に毛布が揺れて、彼女は顔をうずめていた膝より顔を上げた。その目は、赤く潤んでいる。
「落ち着いたか?」
「……」
「まあ、そうじゃなくとも先ずは食え。動いて、食って、寝て。心を休ませて余裕をくれてやれ。詰まったままじゃ、真面な答えなんて出せないからな」
差し出されるのは、木のお椀。中には、確りと火の通ったジャガイモや玉ねぎ。それからスープを吸って柔らかさを取り戻した干し肉が入っていた。
両手で椀を受け取ったリリアナ。木製であるからか、手に伝わる熱さはそれほどではない。
ただ、じんわりと温めてくれるのだ。
暫くの間椀を眺めていたリリアナだったが、目の前でデゼルが同じく椀にスープを掬って食べ始めたのを見ておずおずとその縁に口を付けた。
シンプルな味だ。ベースは塩味で、後は具材から出た旨味がそのまま出汁の代わりになっている。
食べる気がある事を確認して、デゼルは更に木製のスプーンを差し出した。スプーンを受け取ったリリアナは、よく煮込まれたジャガイモにその先端を向ける。
よく煮込まれていたからか、特別鋭くもない先端は殆ど抵抗なくその一部を削り取っていた。
「……おいし」
「口にあったなら、何よりだ。パンもあるぞ。少し硬いが、スープに浸せば柔らかくなるからな」
「うん……」
少し鼻をすすりながら千切られたパンを受け取り、言われた通りスープに浸す。
表面が焼かれて、中は若干硬くなっているパンだったがそれは裏を返せば乾いたスポンジに水を含ませるようなもの。
少し滴る程度にスープを吸ったパンを頬張ったリリアナは、パン独自に香ばしさと塩味のスープの旨味にその目を緩ませる。
同時に、一滴。ほろりと零れ落ちる、涙の雫。
一筋決壊してしまえば、後は総崩れだ。ホロホロとその白い頬を濡らして涙は、流れるばかり。
デゼルは、何も言わない。何かせずとも、彼女は泣きながらに食べ進めているから。
静かな夜は、ゆっくりと更けていく。
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